2024年3月2日土曜日

新人の獲得

 俳句結社の主宰の仕事で最も大切なことは何でしょう。優れた句を読むことでしょうか。雑詠の選をすることでしょうか。そうではありません。一番大切なことは、結社の経営です。会社の社長と同じで、結社という組織を発展させ、会員の福利の向上を図ることです。

ところが最近、俳句結社が相次いで解散、今月に入っても二つの結社誌の終了が報じられています。一番の原因は会員の減少だと思います。少子高齢化が急速に進行し、どの結社でも高齢者の退会が悩みの種です。会員の減少は即ち会費の減少であり、経済基盤が失われれば、結社誌の継続は不可能になります。当会でも、90歳以上の会員が約35名と高齢化が進んでおり、予断を許しません。

組織を維持するためには、一つには新しい句会を設けることです。一昨年の1月に加古川にて発足した笹子句会はその成功例であり、毎月のように新しい方が入会されています。当初8名で発足しましたが、20名にまで増えました。JRの新快速の停車駅毎に句会を置き、発展拡大させる、それが私の考え方です。二つ目は、既存の句会の会員を増強することです。各句会の会員が、それぞれ一人の新人を句会に紹介する。これで句会の会員数は倍になります。会員増強の意識を常に保持し、どうすれば会員を増やせるか、会員全員の問題として考えることが大切です。

汀子先生が居られない関西の俳句界は、戦国乱世の様相を呈してくるでしょう。その中で九年母は、摂津・播磨・丹波・但馬・淡路・紀州を地盤として、土豪の如く強固な根を張って生き残りましょう。今までの100年がそうだったように、これからの100年もそうしましょう。皆様のご協力をお願いします。

2024年2月1日木曜日

俳句の信念

 今月の19日(月)に、俳句雑誌「俳句界」4月号の巻頭グラビア「俳句界NOW」の撮影とインタビューに、東京から取材に来られことになりました。私のような者が適任なのかどうか、大いに疑問がありますが、「九年母」の宣伝になることであれば、火の中でも水の底でも厭わず行くのが主宰の務め。何とかお役目を果たしたいと思っています。

グラビアのインタビューはこれで3度目。最初は「俳句界」、2度目は「俳句四季」でした。何を話そうかと、本ホームページに動画がセットされている「俳句界」のインタビューを再度見てみました。そして私の俳句に対する考え方が、主宰に就任した8年前と全く変わっていないことが確認できました。曰く「俳句は詩である」、曰く「自分の感動を季題を通じて読者に伝え、共感を得て初めて俳句という文学が成立する」、などなど、今聞いても何ら変わりません。インタビューに対する受け答えは、句会でお話ししていることで良いと確信しました。

折角の機会です、是非参考にお読みください。

2024年1月1日月曜日

年頭に当たって

 新年のご挨拶を書き終え、送信をしようとした刹那にグラグラと揺れました。すぐテレビのスイッチを入れましたら能登半島で大地震が起きたとのニュースが飛び込んできました。画面を見ている間にも何度も地震が発生し、大津波警報も発令されました。芦屋は震度3でした。

震度7,マグニチュードは7.6。阪神淡路大震災がマグニチュード7.3でしたからそれより強い地震です。テレビの画面では火が出ている様子も見え、心配です。ビルや家屋が倒れ、停電になった病院に怪我人が運び込まれているという状況は阪神淡路の時と同じです。一夜明けたら凄まじい被害が判明するのではと案じています。一刻も速く地震が収まり、被災者がゆっくり休めます様に、そして復興が順調に進みます様に祈るばかりです。

ところで、今日は元日。神戸の生田神社に家内と二人で初詣に行きました。4月には九年母創刊百周年記念の句碑が建立されますので、その工事の無事や記念祝賀会の成功をお祈りして来ました。句碑建立の窓口になって頂いている沢田権禰宜様に、初詣の参拝客でお忙しい中をお会い頂き、挨拶させて頂きました。これで句碑建立は無事安全、記念祝賀会は大入り満員間違いなし。

創刊百周年記念事業が本格的に始まります。百年前の創刊号については、今月号の九年母誌に詳しく書いておきましたので、是非ご一読下さい。

今年が皆様に取りまして幸せな年であります様にお祈りします。

2023年12月3日日曜日

新年号の投句

 早いもので今日は師走の三日。もう幾つ寝るとお正月の時期になりました。昨年の12月、ある県の警察本部の機関誌の俳壇の句が私の所に到着しました。早速、選に掛かりましたところ、友人が亡くなったお悔みの句が目に飛び込んできました。こんな句を正月号に載せるのはどうかと思いましたが、他に正月らしい句が見当たりませんので、やむなく晩秋や初冬の句の中に混ぜて並べました。

そして講評の欄に、正月号に投句する場合は正月らしい句を選びたいものだと書きましたところ、今年の12月の投句はしっかり正月を寿ぐ句が並びました。正月号を手にして俳壇の欄をめくったら、友人が亡くなった句が巻頭になっていた。読者はどう思うでしょう。正月早々縁起でもない、と他の句を読まずに機関誌を閉じてしまうでしょう。特に正月号に付いては、このような気遣いが大切です。同人誌の場合は、会員自らが会誌を作っている訳ですから、気を付けたいものです。

2023年11月5日日曜日

読者を意識して詠む

 俳句結社の会員は毎月いくつかの句会に参加しています。九年母で言えば本部例会や本部吟行、各自が所属している句会などです。多い人になると俳句講座を含めると六~七つほどの句会に参加しておられます。皆さん頑張って、選者の選に入る句を、願わくば特選や巻頭を、と思って詠まれています。

しかしそれでよいのでしょうか。俳句を詠む目的が句会での入選になっていないでしょうか。句会で選者の選に入る、それだけで良いのでしょうか。雑詠欄に投じるための句を選者に選んでもらうために句会に参加する人も居られます。それでよいのでしょうか。私たちは何のために俳句を詠むのでしょう。

常々句会で申し上げていますね、札幌の人にも熊本の人にも分かるように詠みましょうと。俳句とは、全国の読者に自分の思いを伝え、共に感動してもらうために詠むものだと私は思っています。読んだ人が感動して褒めてくれる。これが俳句作りの喜びだと思います。先ず手始めに互選で会の仲間に伝えて感動してもらう。同時に選者にも評価してもらう。そして雑詠欄を通じて、全国の読者に評価していただきます。九年母誌は、国会図書館を始め、全国各地の図書館や教育機関に、毎月贈呈していますから、全国に読者が居られます。

読者を意識して、共感してもらえるように詠む。句会の小さな、狭い世界での出来不出来に拘らず、読者の存在を意識して詠みましょう。私は選者として、そのお手伝いをさせてもらいます。勿論私自身も、全国の読者に向かって句を詠んでいます。全国誌を通じて、俳人としての、また九年母の主宰としての評価を問うています。視線を遠くに向けましょう。

2023年10月2日月曜日

羞恥心を去る

 本部例会、本部吟行など、私が選者を務めている句会に於いては、講評が済んだ後で必ず質疑応答の時間を設けている。灘区文化センター(旧 六甲道勤労市民センター)の私の俳句講座を修了されて九年母会に入られた方は、師匠と弟子という関係から、私に対して比較的気楽に発言される。俳句に関してはゼロからのスタートであり、修行の度合いも分かっているので、仲間同士でも本音で話ができるのである。

そのため、講座を修了された会員は活発に質問されるが、それ以外の方には「下手なことを質問したら恥ずかしい」という気持ちがあるようで、なかなか質問や意見が出ず、私が「何かありませんか」と問うと一斉にうつむいてしまう。この恥ずかしいという思いを取り去らないと、質問もできず意見も言えず、疑問点が解明しないまま帰宅することになって進歩が遅れる。

私は浩洋先生の句会にいた時、先生が私の句を講評される際には「私の句です」と名乗って拝聴し、講評が終わったら必ず「有難うございました」と一言申し添えた。これを毎回繰り返していると、「さあ、何でも仰って下さい」と思うようになり、恥ずかしいという思いが消えたのである。病気の治療をお医者様にお任せするような気持ちだった。お医者様に対して、病気であることを恥ずかしいと思っていては、病気は直せない。すべてをお任せして直して頂く。このような境地になって、羞恥心を取り去ってみてはどうだろう。

2023年9月3日日曜日

虚子の予言

 先日ある結社の主宰と、季重なりや切字について話をする機会がありました。私は季重なりや切字についてはうるさく言う方針ですが、その主宰は、季重なりについても切字についてもあまりうるさく言わないようにしているとのことでした。あまりうるさく言うと作者が委縮してしまうので、出来るだけのびのびと詠むような指導を心掛けているとのことでした。

選をしていると、この作者は季題や切字の使い方について、基礎的な勉強をしていないのではと思うくらい、自由奔放な句が有ります。俳句は人様々であり、型にはめるのはおかしいという選者も居られます。

芭蕉が今の俳句の原型を打ち立てられた時には蕉風と言われる詠み方が有りましたが、芭蕉の没後それが崩れて百家争鳴の状態になりました。数十年後にその状況をを憂いた蕪村が蕉風への回帰を呼び掛け、しばらくは奏功しましたが、やがて再び月並俳諧に堕落してしまいました。明治になって子規により俳句の改革が叫ばれ、虚子の活躍によって客観写生や花鳥諷詠などの作句理念が全国に普及しました。その後、その後虚子の指導に反発する人もあり、幾多の変遷を経て現在の俳句の状況に至っています。

しかし、季重なりの容認や切字の否定などを通じて、再び月並みに戻ろうとする流れが起こってきています。汀子先生が日本伝統俳句協会を立ち上げられたのは、実にこの流れに抗するためだったのですが、少子高齢化も影響して、汀子先生亡き後、伝統俳句に迫力がなくなって来ているように思われます。

昭和10年12月に、赤星水竹居という虚子の高弟が虚子に尋ねました。「先生、百年経ったら、俳句はどうなっているでしょうか」これに対して虚子は「また元の月並みに返りますね」と答えられたと、水竹居著「虚子俳話録」にあります。それから今年で88年。もうすぐ100年になります。テレビの俳句ショーと言い最近の季重なりの状況と言い、虚子の予言が当たるかも知れないという恐ろしさを感じる今日この頃です。