2016年12月9日金曜日

「冬うらら」という季題

先日、千鳥句会の吟行で、西宮市名塩の紙漉場を訪ねました。人間国宝のご当主の饒舌は、昔と少しも変わりません。歳を取られましたが、お元気そうで何よりでした。息子さんが後継者として修業を積んでおられ、将来が楽しみです。さて、その際の句会で、次のような句が出されました。
 
      紙を漉く人間国宝冬うらら

「うらら」は、ご存じのように春4月の季題である「麗か」の傍題です。しかし、ホトトギス新歳時記には「麗か」という季題は有りますが、「冬うらら」という季題は有りません。汀子先生は、冬には「小春」や「冬日和」という季題が有るのでこれを使うべきだ、と解かれています。

「麗か」という季題には、長閑に吹く春風の、空気の温みと適度の湿気を感じますが、「冬日和」にはこの様な長閑なイメージはありません。淡く温かい光は有るものの、冷たく乾燥した空気を感じます。つまり、「麗か」とはかなり違った季節感であり、「冬うらら」を季題とすることに抵抗があるのです。

一方、角川合本歳時記には「冬麗」という季題があり、「冬うらら」」はその傍題です。どちらが正しいという事ではありません。私はホトトギスの俳人ですので、ホトトギス新歳時記に依って作句します。従って「冬うらら」という季題は使いません。

しかし、角川合本歳時記という、現代の日本を代表する歳時記が収録しているのですから、無視することは出来ません。私は、「冬うらら」を季題とした作品であっても、優れたものであれば、選に頂きたいと思っています。


2016年11月29日火曜日

小春日という季題

先日、九年母の雑詠の選をしていて、ふと通信欄に目が留まりました。そこには季題の解説の欄を設けて欲しい、とありました。確かに良いご提案です。この様な欄を設けている結社誌もあります。例えば、俳誌「雨月」では、若手の山田天さんが「季語を味わう」という1頁を設け、11月号では「亥の子」について解説されています。もう69回目となる名物記事です。

マンパワーの問題もあり、九年母でもすぐにとは行きませんが、今後の課題としたいと思います。
さて、11月に入ると「小春日」という兼題があちこちの句会で出されます。それ程この季節には親しみ深い季題なのですが、その本意がしっかり掴めているかというと、どうもそうでもないようです。

この季題と対照的な季題に「春の日」が有ります。この二つはどう違うのでしょう。そのヒントは次の句に隠されていると思います。

     玉の如き小春日和を授かりし     松本たかし

この季題を代表する句であり、俳人なら常識として知っている句です。この句の「玉の如き」とは何の事でしょう。それは、冬という滅びの季節を間近にした直前の、愛おしい一日の事だからです。
玉のような児を授かるという時の、玉の如き、です。晴れ上がった、暖かい一日。やがて訪れる厳寒の日を思う時、その暖かさを有難いものに思うのです。

では、小春日と春の日とはどう違うのでしょう。春の日は、湿気に富んだ暖かい日であり、夏というエネルギーが噴出する季節を間近にした、若々しい日です。この違いをしっかり押さえないと、どちらでも通用するのでは季が動きます。

     乳母車集ひおしやべり園小春

ある句会で出された句ですが、「園小春」を「春日影」としたら春の句になります。そしてこの方が良いのです。何故なら、乳母車に乗った赤ちゃんは若々しい命のかたまりだからです。

     窓際へ父のベッドを小春の日    伸一路

父が亡くなる直前の句です。小春日という季題の裏には、滅びという悲しさが隠されているのです。

2016年11月8日火曜日

題について

日本伝統俳句協会では毎年「日本伝統俳句協会賞」への応募句を募集をしています。30句を一組として応募します。九年母会でも、今年から「九年母賞」を設け、20句を一組として投句を募集しました。会員の皆様のご協力により、53編の応募が有りましたが、初回としては上々の応募数だと思います。

先月中に6名の審査委員による審査も終わり、私の手元での取り纏めも終了し、順位も決定しました。来年1月号で発表し、1月15日の、生田神社会館における新年俳句大会の席で表彰する予定です。53篇、どの句も力作ばかりで、九年母作家の層の厚さを、改めて実感しました。今後、優秀作品を九年母誌で発表し、審査委員の皆さんには、審査に当たっての感想を述べて頂く予定です。

さて、日本伝統俳句協会賞でも九年母賞でも、一組の俳句の集合体に題を付けます。九年母誌には推薦作家の俳壇である「○月抄」という頁が有りますが、それぞれの作品に題がついています。今回の九年母賞の応募作品を拝見していますと、この題が出来ていない作品が散見されました。俳句のレベルは相当に高いのですが、その一組の俳句と題とがうまくマッチしていないのです。関連性が無い作品も有りました。実に惜しい事です。

題は、その一組の俳句の底に共通して流れている思いや詩情を、最大公約数のように纏めてシンプルな言葉で表現し、読者に内容を伝えるものです。その際には、自分がその一組の俳句の中で、最も重点を置いて読者に訴えたい俳句に含まれている言葉を題として使うのが一般的です。単に、一番最初の句から、あるいは最終の句から選ぶのではありません。この間違いが多かったように思います。

毎月、九年母誌の巻頭に私の句が12句、主宰の句として掲載され、招待席には一流のホトトギス同人の句と、当会を代表する作家の句とが載っています。そのいずれの作品にも必ず題が付されています。作品を鑑賞された後で、この題を味わってみて下さい。題の付け方の参考になると思います。

2016年10月18日火曜日

季題の変遷

ある新聞社で俳句の募集があり、その選者を務めました。兼題は「夜食」で約300句の応募が有りました。

夜食と言えば、夕飯が済んだあと夜なべ仕事や勉強をし、一段落ついたところで、小腹を満たすためにパンや握り飯を食べたり、果物や菓子を抓む程度の食事であると考えて来ました。本来の夜食という季題はこれで良い筈です。しかし、選を進めるうち、この季題の中身が変わってきている、と感じました。

先ず驚いたのは、夜食をヤショクと読まず、ヨルショクと読む人が何人かあったことです。指を折って数えても、ヨルショクでないと句の数が合わないのです。確かに、私達の子供や孫たちは夕食の事をヨルゴハンと言っています。朝食・昼食と来ると、次は夕飯ではなく夜食です。従って、夜食をヨルゴハンの事だと解釈してもおかしくはないのです。

夜遅く、それも寝る前にたらふく食べてもたいじょうぶか、と思いながら選を進めていきますと、どうもこれは夕飯の事だと思い当たる句が、段々増えて来ました。そういえば、昔のように、夕飯の後で夜なべや夜業をすることはなくなりました。お勤めの方は残業で帰りが遅くなり、帰宅して食事をしますと、夕飯が昔の夜食と変わらない時間になってしまいます。

昔は裸電球を灯して土間で草鞋を編んだり、囲炉裏端で縫物をしたり、という夜なべ仕事が有りましたが、現代では、そんな光景は日本中探しても見当たりません。夜食が、労働者のわずかな楽しみであった時代とは違うのです。リオ・オリンピックの深夜の生中継を、夜食を食べながら楽しんだ、という句が沢山ありました。

時代の流れに沿って、季題の詠み方が変わっていくのはやむを得ない事です。しかし絵踏や藪入という江戸時代の季題が未だに詠まれているということは、季題の本意は時代が変わっても受け継がれていくのかもしれません。日本人の勤勉さを物語る季題として、夜食や夜なべといった季題は詠み継がれてほしいものです。

2016年10月10日月曜日

時事句について

8月募集分の雑詠の選をしていて、リオデジャネイロで開催されたオリンピック、パラリンピックを詠んだ句が沢山あるのに驚きました。時事を題材にした、いわゆる時事句と呼ばれるものです。

     手に汗のドラマ続くやリオ五輪
     星月夜日本の裏でリオ五輪

この他、リオ遥か、リオの夏、リオの汗など、リオデジャネイロ大会での熱戦を題材にした句が、それこそ五万と有りました。4年後に、東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。この時にも

     手に汗のドラマ続くや江戸五輪

の様な句が詠まれるでしょう。そうなると、リオ五輪の句は、一過性の、単なる思い出の句になってしまいます。俳句の芸術作品としての普遍性はどうなるのでしょう。この様な句は、まさに芭蕉の言われる、流行の句になってしまうと思います。

私達が追及して止まない理想の句は、不易の句、つまり人間の営みをも含めて、自然界の真理を描いた句です。一過性のものでは無く、いつの時代にも通用する普遍的な作品です。

     古池や蛙飛び込む水の音      芭蕉

赤穂浪士の討ち入りのもっと前、つまり今から330年ほど前に詠まれたこの句が、今でも光を失うことなく、芭蕉の代表句として人口に膾炙しているのは、普遍の真理を詠んだ句であるからです。真理を詠んだ句は、いつの時代でも読者の心を打ちますが、流行の句は、詠まれた瞬間に老朽化が始まります。心したいものです。


2016年9月28日水曜日

俳句の講演会

芦屋川カレッジは、公民館の活動の一環として、市立公民館を会場に定期的に開催されています。いわゆる老人大学・シルバーカレッジの類ではなく、若い方も沢山参加されています。

今日は日本文化コースの講演会があり、「俳句の楽しみ」というテーマで90分間、熱く語らせていただきました。今まで、野鳥についての講演は何回かさせて頂きましたが、純粋の俳句の講演会は初めてでした。午前中は京大の医学部の先生が講演され、私は午後の部でした。それでも60名ほどの方がお集まりになり、熱心にお聴き頂きました。

話の進め方としては、①俳句の歴史 ②伝統俳句の約束 ③私と俳句 ④俳句の楽しみ、としました。平成22年12月に、芦屋市の市制70周年記念行事として開催された、NHKの番組「俳句王国」の公開収録の話を枕にしました。覚えていると、頷かれる方も有りました。

先ず、俳句は世界で一番短い詩であり、季題というものが有って、大変難しい。五七五に季語を一つ入れれば誰でも簡単に作れる、と誘うのはインチキでありペテンであり詐欺である。だから迂闊に近づかない方がよい、と申しました。講座の担当の方は、何を言い出すのかとはらはらされたそうです。

その後、俳句の歴史から説き起こし、俳句の楽しさ、素晴らしさを私自身の句を使って説明して、最後に、今日の話を聞いて、俳句を始めようと思う方が一人でも現れたら嬉しい事だと、締めくくりました。虚子記念文学館や三代句碑、年尾先生や汀子先生など、芦屋ゆかりの話には、興味を持って頂けたようでした。

虚子館は、名称は違いますが鎌倉と小諸と芦屋に有ります。汀子先生はご自宅の隣接地が震災で被災し売りに出されたのを購入され、虚子記念文学館の建設用地に提供されました。その先生のお膝元である芦屋市民の皆さんに俳句を知ってもらって、芦屋を俳句の街にして行きたいと思っています。

2016年9月17日土曜日

季重なりについて(重要)

ある俳壇の選をしていたら、こんな句が有りました。

   ① 朝露を浴びて目覚めし蝸牛
   ② かたつむり幼き日々や走馬灯
   ③ 夕立の残せし虹に癒さるる
   ④ 夕立を知らす蛙の大合唱

作品の出来・不出来は別として、どの句も季重なりです。①の句では露と蝸牛、②の句ではかたつむりと走馬灯、③の句では夕立と虹、④の句では夕立と蛙と、どの句にも二つずつ季題が入っています。季重なりは、感動の焦点が分散するので避けた方が良い、とされます。避けた方が良いのであって、季重なりが法律に触れる訳では有りません。江戸時代の作品で人口に膾炙されている次の句は、季重なりで有名です。

     目には青葉山時鳥初鰹       素堂

①の句では、蝸牛が主で、その説明に朝露が使われています。②の句では、幼い日々の記憶が走馬灯のように過る、と詠んでいるので、走馬灯は説明の材料であり蝸牛が主です。③の句では、夕立という兼題であるのに、虹に癒されたと、虹が主としての働きをしています。④の句は蛙の大合唱を詠んだ句で、夕立は材料に使われているだけです。この様に見て来ると、季題が二つ入っているから季重なりだ、とは決めつけられないことが分かります。

先日のある句会で、私は敢えて季題が二つある句を、自信を持って巻頭に推しました。例え季重なりを指摘されても、反論する自信が有りました。ある程度修練を積んでこられると、季重なりにしないとどうしても句にならないという事を経験します。この様な場合は、季重なりと言う批判を受けても動じないだけの判断と自信を持って、季重なりにします。作品としての完成度を高めるためには、やむを得ないと判断した時に限って、敢えて季重なりにするのです。

季重なりで良く無いのは、季重なりになっていることすら気付かずに詠んでしまう事です。この場合は、指摘されて気が付きます。従って、初心の頃は季重なりを避けるように教えられます。十分に修練を積まれたら、思い切って季重なりにすることも、作品の為には必要な事です。

2016年8月31日水曜日

「や」止めの句

今月の紀伊俳壇の投句の中に、次の様な句が有りました。

    人の子を蹴散らし去った夕立や

先日選が終わったばかりの住吉大社観月祭献詠俳句の中にも、この様な「や」が散見されました。ある俳壇の投句には、この「や止め」の句が10句もありました。下五の最後に詠嘆を示す「や」を置く「や止め」は、ある程度俳句を学んだ方であれば、異常な止め方だと思われる筈です。

喜ぶべきことか、はた悲しむべきことか。私は喜ぶべきことだと思っています。九年母会で俳句を学んでおられる皆さんは、この様な「や」止めの句はお詠みにならないでしょう。しかし、初心の頃には、お詠みになったことが有ると思います。「や」で止めると何となく俳句らしくなると思う、初心者に多い詠み口と言えるでしょう。

    黒きしみつとあり五郎兵衛柿とかや   虚子

虚子にもこの様な「や止め」の句が有りますが、上記の俳壇の句の様な詠嘆では無く疑問の「や」で、五郎兵衛柿と言うのだろうか、と言う場合の「や」です。

団塊の世代の方が定年を迎えられ、シルバーカレッジやカルチャーセンターが大変賑わっているようです。講座を担当する者の実感として、確かに俳句の習得を希望される方が着実に増えています。特に、60歳台後半から70歳台前半の方の受講希望が増えているように思います。加えて、ある民報のテレビの番組の、俳句の出来・不出来を辛辣に批評・格付けする女流俳人の活躍のお蔭で、俳句に興味を持つ方が増えているようにも思います。

従って、この様な「や止め」と言う、通常は使わない止め方が目に付くようになったことは、それだけ初心者が増えて来ていることの証しかも知れません。そうであれば、大変うれしいことで、「や止め」の句が益々増えることを、期待したいものです。俳句の修行を積まれ、やがて気付かれる日が来るでしょうから。

2016年8月24日水曜日

神の池

先代の主宰が亡くなられ、その奥様が入院されるという事態になり、私の業務がそれこそ爆発的に増加しています。明日は兵庫県警本部の方と、機関誌の俳壇の件で打合せをする予定です。大阪、兵庫の両警察本部に知り合いが出来るのも、俳句の縁と申せましょう。社寺と病院には、俳句を通じた知己が沢山居られますが、警察は初めてのこと。俳縁とは不思議なものです。

さて、先日雑詠の選をしていて、こんな句に出会いました。

     古代蓮咲き揃ひたる神の池

句意は分かり易いのですが、下五の「神の池」の用法に違和感を覚えました。神社の池だから神の池で良いではないか、との反論もあろうかと思いますが、私は無神経で安易な用法だと思います。神の社とは、そこに神が居られる建物です。神の杜と言えば、神が居られる鬱蒼とした森のこと。ならば神の池とは、神が居られる池でしょうか。神の庭という言葉もよく使われます。神が居られる庭のことでしょうか。どちらも神社に在る池であり、神社の庭のこと。そんなところに神様は居られる筈はないのです。この違いを無視して同列に使うのは、言葉の感覚からして如何なものかと思います。

誰かが発明し、使いだした言葉が人口に膾炙し、真似る人が増えたのでしょう。確かに便利な言葉です。神の池だけではなく、お寺の庭を「法(のり)の庭」と詠む人も多い。初めて目にした人は、そのカッコよさに惹かれて、つい使いたくなるのでしょう。しかし私には、お寺の庭がなぜ「法の庭」か分かりません。ならば、お寺の屋根は「法の屋根」でしょうか。お寺の台所は「法の台所」でしょうか。禅寺では、トイレの事を「東司(とうす)」と言い、「法のトイレ」とは言いません。

安直な、流行の言葉に流されることなく、自分の言葉で詩を紡ぐことが大切です。その為には、言葉に対する感性を磨くことが必要だと思います。例えばテレビのニュースを聞きながら、アナウンサーの言葉の使い方に対して「あれっ、変だぞ」と思う。これを続けることにより、言葉の感性は鋭くなります。一度試してみて下さい。




2016年8月7日日曜日

一致率指数

今日は汀子先生宅で、下萌句会が有りました。毎月1回勉強に行かせて頂き、来月で10年になります。最初に参加した日は要領が分からず、部屋の隅っこに立って、頭を下げてばかりいました。先生に席を決めて頂き、以来同じ席に座り続けています。大半の方がそのころから在籍しておられるので、高齢化も進んできました。私を含め猪年が3人おりますが、いつまで経っても最年少のままです。

さて、今日の成績は5句出句で、汀子選入選が1つと特選が1つ。先月は5句全部入選、その前の月は3句入選でしたから、特選を頂くのは久し振りです。それはどうでもよいのですが、一致率指数が85.2と近年に無い高率となったことが、最大の収穫でした。

一致率指数とは私が勝手に考案したもので、指導の適否が問題になるかも知れませんが、一つの参考にはなるのではないかと思います。下萌会の場合で言いますと、私は今日の句会で27句を予選に採りました。その後汀子先生がご自分の選を披講されましたが、その際に、私の選と一致する句に○を付けて行きました。その結果、汀子先生の句が3句と他の方の句が20句、合計23句に〇が付きました。

一致した句数23を私の余選の数27で割って100を掛けると85.2となります。私の直近の一年間成績を見てみると、次の通りです。

    27年  9月  60.0            3月       69.2    
          11月   84.0       5月   79.3    
         12月 82.6       6月      69.6     
     28年 1月     67.9      7月  76.9      
          2月 74.1       8月    85.2    平均 74.9

こうして毎年の平均値を算出します。この数値の動向によって選句力の向上度合いを測り、勉強の方法を考えるのです。年々向上して来れば選句力が付いて来たと判断します。但しこれはあくまでも勉強の一環であり、先生の選句が全て正しい訳でもありません。しかし、勉強の過程で、自分の選句力がどの程度向上したかをチェックする方法としては有効だと思っています。           


2016年7月20日水曜日

哲也先生の教え

哲也先生の後を継いで、大阪府警本部の機関誌「なにわ」の俳壇の選を担当することになった事については、以前このブログでも報告しました。担当して第一号となる九月号の原稿を、本日府警本部宛てに送付しました。月刊発行部数が二万五百部というのも驚きまです。この機関誌に「なにわ文芸」という文芸欄が設けられ、現職警察官やOBの方、またそのご家族の方の俳句、短歌そして川柳を発表する場となっています。

その4月号の俳句の欄に、哲也先生最後の選評が掲載されています。「選後に」と題する一文を転載させて頂きます。

「俳句は季語を詠み込む十七音の短い文芸です。季題をよく勉強することが俳句上達の近道であり、本道でもあり大切です。(以下略)」

これが恐らく先生が遺された最後のお教えだと思います。先生の後を継いで選者として参加している句会が幾つかありますが、もう何年も俳句を習っているのに、未だに季語と季題の区別がつかない方が居られます。今まで先生のお教えを何と聞いて来られたのか。

虚子もその著『虚子俳話』の中で、俳句は季題を最もよく活用したものである事を要する、と述べておられます。そして「俳句には季題といふものがある。その季題の有してをるあらゆる性質、あらゆる連想、それ等のものを研究し、これを(俳句を詠もうとする=著者注)その情熱の中に溶け込まして、その思想と季題とが一つになって、十七字の正しい格調を備へて詩となる。それが俳句なのである。唯の詩でない。俳句といふ詩なのである。(後略)」と説いておられるのです。

哲也先生も、上述した通り、季題を良く勉強することが、俳句の勉強の本道である、と教えておられます。先生がホトトギスの翼の下で俳句を詠み続ける、と仰ったのも同じことなのです。花鳥諷詠が先生の俳句理念であったことに、いささかの疑問もありません。季題を良く勉強せよとのご遺訓を、私達九年母会の会員は胸に刻み込まなければなりません。

2016年7月4日月曜日

ルマン24

「伝統の自動車耐久レース、第84回ルマン24時間は18日から19日にかけて、フランス西部ルマンのサルテ・サーキットで決勝が行われ、トップを走行していた中嶋一貴選手のトヨタ5号車が24時間まで残り約3分でマシントラブルのため失速し、初の総合優勝を逃した。ポルシェが2年連続18度目の優勝を果たした。」これは読売新聞に掲載された記事です。

トヨタは日本のメーカーとしては1991年のマツダ以来25年ぶり2度目の、トヨタとしては初めての優勝を目前にして、エンジンが止まってしまったのです。残り約3分を走り続ければ優勝できたのです。トヨタチームにとっては何が起こったのか、信じられない事だったと思います。

後日の読売新聞にトヨタの広告が掲載されました。タイトルは「まだ何かが、足りない。」とあり、「『敗者のままでいいのか』、あえてプレッシャーをかけ、悔しさを跳ね除ける戦いを続けてきた。全員が、力を尽くし。改善を重ね、『もっといいクルマ』となって戻ってきたル・マン。悲願達成・・・と、誰もが、その一瞬を見守る中、目の前にあったのは、信じがたい光景だった。(以下略)」と悔しさが滲む内容でした。

思えば恐ろしいことです。100%間違いがないと思っていたことが、直前になって齟齬を来たすのです。しかしあり得ない事では有りません。世の中に絶対という事は有りえないのです。嘗て、ある俳句協会賞の最優秀賞に決定した作品の句数が、規定の30句に1句足りないことが判明したことが有りました。この他、送り仮名が1字間違っていたため、最優秀作品が失格となったこともありました。

いずれも、ほんの一寸した油断が原因なのでしょう。人間のすることですから、完璧というものは有り得ません。そこに一人でする仕事の限界が有ります。必ず複数の人が目を変えて確認することの大切さを、銀行員時代に先輩から叩き込まれました。札束の計算は、先ず束を縦に数える縦読みをし、次に扇形に開いて横読みをします。更に紙幣計算機に、上下逆にして二度掛けてやっと一束の計算が終わります。手から手へ渡す時には、もう一度札束を計算機にかけて、お互いに納得してから授受します。これだけしていても、束の数え間違いなど、違算は起こるのです。

諺にも「九仞の功を一簣に欠く」といいます。「人事を尽くして天命を待つ」という諺もありますが、どんな仕事でも、勿論俳句の世界でも、この慎重さは大切だと思います。

2016年6月18日土曜日

右脳と左脳

人間の大脳は右脳と左脳とに別かれます。右半分と左半分という事です。広辞苑に依りますと、右脳は空間的・音楽的認知を司っているとされ、逆に左脳は言語的・分析的・逐次的情報処理を司っている、とあります。つまり、職場で情報を分析したり、事務を処理したりする知的な仕事は左脳が、音楽を聞いたり、作曲したり、詩を書いたり、絵画を鑑賞するという情緒的な仕事は右脳が担当しているのです。

では、俳句を詠むときにはどちらの脳が働いているのでしょうか。虚子はその著『虚子俳話』の中で、「季題の有してをるあらゆる性質、あらゆる連想、それ等のものを研究し、これをその情熱の中に溶け込まして、その思想とその季題とが一つになって、十七字の正しい格調を備へて詩となる。唯の詩でない。俳句といふ詩なのである。」と述べています。この文章の内容からすると、俳句は右脳で詠むと言えます。

句材をしっかり観察するのは情報の処理、つまり左脳の仕事です。選評の際に、説明的と評される句は左脳の産物。これに対して余情・余韻の深い句、と評される句は右脳の産物、という事が出来ます。播水は、心を澄まして対象が語るのを待て、と述べておられます。まさに右脳の働きです。

詩が右脳で詠むものであれば、詩である俳句も右脳で詠むべきです。見たままを五七五の句にしても、それは単なる句であって俳句では無いのです。知で詠まず情で詠む、そのために私は、季題を情で理解するようにしています。楽しいものか、悲しいものか、嬉しいものか、寂しいものか、という基準で季題を考えます。こうして季題の本意を掴みます。

俳句を構成する言葉を適格に選ぶのは左脳の仕事ですが、季題の本意に基づいて、詩情豊かに言葉を配列するのは右脳の仕事、と言えるでしょう。

2016年6月8日水曜日

紀伊俳壇について

九年母誌の雑詠の選を初め、毎日100句・200句と選をしています。中には意味の分からない句や、解釈に苦しむ句もあり、なかなかに時間が掛かります。肩の筋肉が、若い頃と違って弱って来ていますので、重い頭を前傾させて一日中投句用紙に向かっていますと肩が凝ります。そんな時に心が癒される句を拝見しますとホッとします。

      チューリップ唱歌の如く咲いてゐる       静枝
      どの家も一鉢二鉢チューリップ         同
      おちょぼ口ほほふくらますチューリップ      鈴子
      赤白に寄する風波チューリップ         同

これらは、田辺市に本拠を置く地方新聞『紀伊民報』の「紀伊俳壇」に掲載された句ですが、選をしていて癒される思いがしました。いわゆる装飾過剰の、キラキラした句に比べて、何と素朴な句でしょう。思ったままを、難しい表現に頼らず、素直に詠んでおられます。

この俳壇は、毎月100名を超える地元の俳句愛好家が投句され、入選句が毎日順番に掲載されます。私は、哲也前主宰が倒れられた時に即引継ぎ、3月は「春風」、4月は「チューリップ」、5月は「鯉幟」の兼題をお出して、投句を募りました。投句者は兼題で詠んだ3句を官製はがきに書いて、新聞社の俳壇係へ送ります。こうして集まった葉書が翌月初に、一ヶ月分纏めて私の手元に届きますので、数日以内に選をして返送します。

俳句の基礎を習っておられない方もあり、我流で詠んだ句もかなりありますが、それだけに素朴な、素直な句が多く、好感が持てます。特定の指導者の偏った影響も感じられません。私の仕事は、虚子の示された伝統俳句の理念に基づいて選をすることです。

『紀伊民報』では九年母会の紹介広告をしばしば紙上に掲載して下さり、購読者の中には30名を超える九年母会員が居られます。九年母会の前身である「盟友会」が、大正4年に和歌山市郊外吉田村秋月で創設された事もあり、和歌山とは深い所縁が有ります。田辺市滝尻には播水・哲也の親子句碑が有ります。この所縁は、これからも会が続く限り、大切に続けて行きたいと思います。

2016年5月31日火曜日

「卯浪」という季題

先日のある句会にて「卯浪」という兼題が有りました。しかし、どうもこの季題の研究が十分では無かったようで、詠めていない句がかなりありました。この季題をホトトギス新歳時記で見てみると、「陰暦4月(卯月)のころ、波頭白く海面に立つ浪をいう。」とあり、角川合本歳時記では「卯月(旧暦4月)ごろに立つ波のこと。このころは天候が不安定で波が立ちやすい。(後略)」とあります。

シベリアから張り出した寒気団と、南方から吹き込んでくる暖かい空気とが日本列島の上でぶつかり合い、急に天候が変化したり、突風が吹いたりします。このため、突然波が高くなることが有ります。海面に白波が立ち、あたかも海面を白兎が跳ねているような景観を呈します。私も若い頃、しばしば乗合船で海釣りに出掛けましたが、船頭が船を出すのを嫌がるほど、高い波が立ったことが有りました。

つまり、卯浪とはこのような波なのです。ひたひたと寄せて来る波では有りません。二つの歳時記に共通しているのは、荒い波である事です。因みに私は、小さいなみを波、大きいなみを浪、断崖に打ち付けるなみを濤として使い分けています。

     貝拾ふいつもの浜辺卯浪寄す
  海の面きらりと光り卯波立つ

その句会で出された句ですが、卯浪の感じではなさそうです。

  雲垂れて波が風呼ぶ卯浪かな
  せめぎ合ひ鳴門の卯浪飛沫立つ

これらの句はに卯浪らしい趣が有ります。

卯浪と卯波、どちらが正しいのか、という質問が有りました。ホトトギス新歳時記では卯浪、角川合本歳時記では卯波が季題となっています。どちらが正しいという事ではないと思いますが、私は浪の方がイメージに合うように思います。

  渦巻きていよいよ高き卯浪かな      伸一路


2016年5月28日土曜日

継続という事

大阪府警本部教養課の方が2人訪ねて来られ、哲也先生が担当しておられた機関誌の選者を引き継いでほしいとのお申し出が有りました。播水・哲也と受け継がれて来た仕事であり、私は当然の事として、お引き受けしました。

その時に頂いた資料によると、昭和26年に55歳で亡くなられた本田一杉というホトトギス同人が初代の選者の様で、播水先生で3代目、哲也先生で4代目です。本田一杉さんが何年担当されたかは分かりませんが、2代目の牧野美津穂というホトトギス同人は31年10ヶ月、播水先生は18年10ヶ月、哲也先生は15年11ヶ月と、それぞれ大変長い間担当されています。さて私が何年出来るか、心配になって来ました。

俳壇を担当するという事は、体力的にも精神的にも、相当な覚悟が必要です。和歌山県田辺市に本拠を置く「紀伊民報」という地方新聞の俳壇の選者を、この3月から、哲也先生の後任として私が務めております。聞いたところでは、播水先生は約50年間、哲也先生は16年間、選者を務められたとか。このような地味なご努力が有ったからこそ、九年母会が維持・継続されたのだと思います。

最近では、俳句結社は雨後の竹の子の如く創設され、3年を待たずに消えてゆく、と言われていますが、播水先生は70年間の長きにわたり、九年母会を主宰してこられたのです。男性の平均寿命を考えると、普通の人にはとても不可能な長さです。

病気のデパートの様な私には、とてもこの様な真似は出来ませんが、毎日打席に立って、安打をコツコツと打ち続けて行きたいと思っています。継続の大切さ、難しさを痛感する今日この頃です。


2016年4月26日火曜日

麗かと長閑の違い

ある句会で麗かという題が出た。春四月の季題である。ホトトギス新歳時記では「春の光がうるわしくゆきわたり、すべてのものが明るく朗らかに見えるありさまをいう」とある。広辞苑には「空が晴れて、日影の明るくおだやかなさま」とある。これらから麗という季題は、春の光が明るくおだやかに行き渡るさまであると理解される。

これに対して長閑という季題をホトトギス新歳時記を見てみると「心がのびのびしてくるような春らしい日和をいう」とある。角川合本歳時記では「春の日はゆったりとしてのびやかである。その静かに落ち着いたさまをいう」とある。

これらの説明を要約すると、麗かという季題は、春の日の明るく朗らかなさまを云うのに対して、長閑という季題は、ゆったりとのびやかなさまをいうのである。今回の句会の句を幾つか書き抜いてみよう。

     麗かやバギー並べて立ち話
     園うららバナナ持ち上ぐ象の鼻

どちらの句もしっかり詠めていると思う。しかし、上記の季題の本意を考えるとき、季題の働きに問題が有りそうだ。両方の句の季題を、長閑に置き換えてみると、次のようになる。

     長閑けしやバギー並べて立ち話
     園のどかバナナ持ち上ぐ象の鼻

どちらが良いか、微妙な違いである。季題が違うという事は、本意が違うという事。言葉の感覚を磨いてほしい。そのためには、とにかく優れた例句を沢山読んで季題の本意を会得することが大切である。

2016年4月21日木曜日

象の小川

今週月曜日の朝日俳壇稲畑汀子選を見て驚いた。何と、巻頭・次席が九年母会の会員で占められているのだ。

巻頭句    清貧と云ふには遠し目刺焼く     池田雅かず
次席句    泳ぐ人溺るる人や花の海        髙田菲路 

同じ結社の方が巻頭・次席を取られたのは今まで記憶にない。多分初めてのことだろう。雅一さんは、俳号をそれまでの本名の「雅一」から「雅かず」に変えて投句されたその第一号が巻頭となったのである。
こんなことが起こるから、俳句の世界は面白い。 主宰冥利に尽きるとはこの事だ。

そのほかの親しい方も入選された。

        笹舟を象の小川に西行忌        高橋純子
        古稀にして受験の夢にうなさるる     黒田千賀子

純子さんの句の「象の小川」については、吉野町の公式ホームページに次のようにある。
  

象の小川(きさのおがわ)

象の小川(きさのおがわ)
喜佐谷の杉木立のなかを流れる渓流で、やまとの水31選のひとつ。吉野山の青根ヶ峰や水分神社の山あいに水源をもつ流れがこの川となって、吉野川に注ぎます。万葉集の歌人、大伴旅人もその清々しさを歌に詠んでいます。 



象をキサと読むのは難しいが、俳人の教養として記憶したい。

2016年4月15日金曜日

花びらという季語

千鳥句会の例会で、香櫨園浜に吟行した。参加者は20名。阪神香櫨園駅に集合し、夙川に沿って遊歩道を南下し、香櫨園浜に出た。西宮の御前浜の一部で夙川の河口付近の名称である。この浜から、私の住んでいるマンションが遠望できる。椰子の木の並木もあり、一見南国風の、リゾート地の様な海岸である。

阪急夙川駅の南にある夙川公園から河口まで、夙川に沿う遊歩道をオアシス・ロードと言う。川の両岸には桜並木が続き、お花見の名所となっている。遊歩道を吟行している途中で、ある方から「花筏」は季題になるかどうか、お尋ねがあった。

ホトトギス新歳時記には載っていないが、角川合本歳時記には「落花」の傍題として収載されている。特に花筏については、「水面を重なって流れる花びらを筏に見立てて花筏という」と説明がついている。私としては、花筏は詩情豊かな言葉であり、季題として詠みたいと思う。ならば「花びら」はどうだろう、と言う話になった。

花びらはチューリップなど様々な植物にもあり、季題として使うには無理がある。従って桜の花びらを詠むならば、花の傍題に有る「花屑」を使うようにというのが汀子先生のご意見である。しかしお言葉ながら、花屑という言葉には、土にまみれた塵の様な語感があり、花びらに代わる季題として使うには抵抗感がある。

ならば、枝を離れて空中を舞う花びらを落花と詠み、地面や水面に落ちた花びらを花屑と詠んだらどうだろう。この方が抵抗感が少ないかもしれない。静かに散れば、落花舞う。風が吹けば、花吹雪。美しい言葉である。

      流れゆく形は自在花筏    伸一路


2016年4月7日木曜日

本場所としての句会

九年母会では毎月一回、本部例会と称する句会を開催している。従来は20名前後の参加者であったが、ここ数ヶ月来参加者が急増し、今回は37名となった。従来殆どなかった大阪方面からの参加者が増えて来ているのも、その一因である。来月は更に数名増えるとの事も聞いている。来月から、婦人会館から新長田勤労市民センターに移転し、更に広い会場で勉強することになる。

九年母会には全国各地に支部がある。相撲界で言えば、親方が運営し弟子を育てている相撲部屋である。相撲取りは、各自が所属する相撲部屋で血の滲むような猛稽古に明け暮れる。そして初場所や大阪場所など年6回の本場所で、その稽古の成果を問うのである。この本場所に当たるのが、九年母会では本部例会である。

本部例会では兼題で詠む。当季雑詠の句会もあるが、これでは自分の好きな季題ばかり詠む事になる。国語の好きな子は国語ばかり勉強する。理科が好きな子は理科ばかりを学ぶ。これでは偏った学力になってしまう。押し出しが好きだからと言って、これでしか勝てないようでは、本場所では戦えない。これと同じことだ。そのためには、苦手な季題についても勉強することが大切だ。

本部例会では、その日の兼題について時間を掛けて説明をしている。今回は「日永」と「草餅」であったが、素晴らしい俳句が発表された。講評で私は、日永と遅日との違いや、草餅・蕨餅・鶯餅・桜餅・椿餅という、餅に関する4月の季題の詠み方などについてお話しをした。

新体制下での本部例会は、誰でも自由に参加できる勉強会として位置づけられている。ベテランの皆さんの胸を借るつもりで挑戦しに来て頂きたい。折角の勉強の場である。年一回でも良いから、遠方の方も参加して欲しい。

        心地良き疲れ日永の鍬洗ふ     伸一路

2016年3月31日木曜日

浪速の春

大阪支部創立70周年記念の祝賀会にお招き頂いたので、久し振りに大阪都心部へと出かけた。先日の住吉大社の献詠俳句選者会では、JR大阪駅で環状線に乗り換え、新今宮駅で南海線に乗り換えた。つまり周囲を回っただけだったが、今回は久し振りに大阪駅から御堂筋線の「なんば」まで地下鉄に乗った。

会場は、なんば駅から歩いて10分程。かなり時間の余裕があったので、途中の道頓堀川に下りて、川岸を歩き、浪速の春を探した。嘗て播水先生がそうされたように、じっと佇んで春の気配を探った。先生は、気に入った場所が有ればそこにじっと佇まれた。2時間も同じところに居られたと、聞いたことが有る。

道頓堀川は波もなく穏やかで、春の光を返して煌めいていた。いつものように目を瞑って耳を澄ます。探鳥会で鍛えた聴力を研ぎ澄ます術である。すると、街騒の中から、船の水音が聞えて来た。曳舟が一艘、東の方から近づいて来て、前を通って西の方へ去って行った。艀は曳いてらず、軽いエンジンの音と水音が前を通った時に、こんな句が出来た。

          曳舟の水音とんぼり川のどか     伸一路

余談であるが、大阪人の音感の素晴らしさは、「上本町6丁目」を「うえろく」、谷町9丁目を「たにきゅう」と呼びならわすことにも現れている。道頓堀も「とんぼり」となる。「ロイホ」「スタバ」「ファミマ」「ミスド」などにも音感の良さが感じられる。多分、大阪人の発明した言葉だろう。

道頓堀川のどか、では句が硬くなるので「とんぼり」としてみた。すると「のどか」という季題とうまい具合に響き合う感じがした。但し、「とんぼり川」と言う言葉が読者に分かって貰えるかどうか、再考の余地ありである。

次々とやって来る小船。浪速の春は水音から来るのかも知れない。

2016年3月28日月曜日

九年母誌の随想より①

この記事は九年母誌の昨年7月号に掲載したものである。九年母誌を購読されておられない方の為に、掲載してみようと思う。参考にして頂きたい。

初学の頃(一)                 主宰 小杉伸一路

 新しい主宰がどのように俳句に関わって来たのか、ということに関心を持たれている方も居られるだろうから、私の俳句の原点を少しお話ししてみたい。私が俳句を正式に始めたのは、昭和五十八年のことである。当時私は、太陽神戸銀行(現三井住友銀行)西宮支店の融資係の支店長代理であった。ある日、取引先の建築会社の社長が窓口に来られ、「西宮市役所の人が中心になって新しい句会を作ることになったが、貴方も参加しないか」と声を掛けて下さった。特にその社長と俳句の話をした覚えがないので、何故声を掛けて下さったのか、今もって分からない。しかし、このことが無ければ、今の私は無かったと思う。

 母方の祖父が、大正から昭和の初めにかけて、京都市山科に有った「如月会」という結社に所属する俳人だったことを、しばしば聞かされて育った。その母は永年短歌を嗜み、父も俳句を好んでいたので、自然に俳句に興味を持つようになった。大学を卒業し銀行に就職した後も、朝日や日経などの新聞俳壇にはいつも目を通し、気に入った句をノートに書き留めていた。

 俳句に関する本を初めて買ったのは、昭和五十三年のこと。勤務していた札幌支店の近くの書店で求めた、三谷昭著「現代の俳句」(大和書房)という本で、三十一歳の時だった。毎晩寝る前に、枕元で読むのが楽しみだった。それでもなお自ら句を詠むことはなかった。

先述の社長が誘って下さった句会の設立会が、和歌山県龍神温泉の「上御殿」で開かれ、生まれて初めて俳句を詠んだ。

  山の香の溢るる里や著莪の花  伸一路

碧桜会と名付けられたこの句会の指導者で、九年母同人、西宮俳句協会会長であった古澤碧水先生から、虚子が喜びそうな句だと褒められた。それから約十年間、阪神淡路大震災まで、毎月一回、男性ばかり五人の吟行会に参加した。会員は皆若く、俳句と酒を愛した。私も三十七歳で俳句生活のスタートを切ったのである。



2016年3月21日月曜日

季題まがいの言葉

季題と信じ込んでいるのに季題では無いという言葉がある。例えば早春賦という言葉がそうだ。
春は名のみの風の寒さよ 谷の鶯 歌は思えど 時にあらずと声も立てず 時にあらずと声も立てず、と唄いだす有名な歌がある。その歌の題名を「早春賦」という。ところで雑詠の選をしていて、こんな句があった。

       野を行けば唇洩れぬ早春賦

句の意味は分かりやすい。春の野を歩めば早春賦という歌が口をついて出た、というものだ。作者は早春という季題が含まれているので、早春賦という言葉を季題であると解釈したのだろう。しかし、広辞苑にも明鏡国語辞典にも早春賦という項目は無い。勿論、ホトトギス新歳時記にも、角川の合本歳時記にもこの様な季題は載っていない。残念ながら、早春賦は季題では無く、したがって掲句は無季の句となる。この様な言葉は季題まがいの言葉と言えるだろう。

恵方巻という巻寿司がある。節分の当日に、その歳の恵方に向かって棒状のままの巻寿司を食べれば幸運が舞い込むと言われる。今年の節分では、コンビニが予測を誤って作り過ぎ、大量に廃棄したことが報じられて大きな問題になった。この恵方巻を季の言葉として句を詠む方があるが、これも無季の句となる。

早春賦でも恵方巻でも、歳時記で確認すれば季題では無い事が確認できる。疑問を感じたら、手間を厭わず歳時記と相談することだ。

2016年3月16日水曜日

狭庭という言葉

雑詠の選をしていると、狭庭という言葉を最近よく見かける。句会の清記でもしばしば目にする。自宅の庭を謙遜して、狭い庭と詠んでいるのだ。初心の時期に、俳句では丁寧語と謙遜語は使わない、と習った。17音しかない俳句で、丁寧な言葉や謙遜した言葉を使う余地はないと言われている。それなのに狭庭という言葉が流行しているのはなぜだろう。

流行語とは、だれかが使いだすとそれを真似る人がいて、広がって行く言葉である。虚子の「たんぽぽ黄」などはその典型で、春になるとどこの句会でも、一つ覚えのように「たんぽぽ黄」と詠んだ句を見かける。虚子の句集『六百句』に次の句がある。

        人々は皆芝に腰たんぽゝ黄        虚子
        たんぽゝの黄が目に残り障子に黄      同

これが「たんぽぽ黄」の源流であると思う。この句が人口に膾炙し、俳人の間に広がったのだろう。ある人が発明した表現はその人の専売特許であり、他の人が使うと偽物感がする。二番煎じだと思ってしまう。この事に良心の呵責を感じない鈍感な人が使って失敗するのである。杉田久女の発明した「ほしいまま」も、同様に彼女の専売特許であり、頓着せずに使っている句があると、私は無視することにしている。

さて、掲題の話に戻ろう。狭庭(さにわ)という言葉は広辞苑にない。広辞苑にないという事は、日本語として存在しないのである。広辞苑に有るのは「さ庭」という言葉だ。これには「斎(い)み清めた場所。神おろしを行う場所。」という解説がある。つまり、神祀りを行う場所のことなのである。大阪の住吉大社松苗神事の献詠句を拝見すると、この「斎庭」という言葉がしばしば出て来る。これが正しい使い方なのであろう。この「さにわ」という音が「狭庭」にも通じるので、誰かが使い始めたのかも知れない。

     咲き初めし狭庭の椿ぎっしりと

雑詠選で見かけた句である。私は「狭庭」という言葉にわざとらしさを感じる。自宅の庭が広大であるのに、謙遜して狭庭と詠む厭らしさを感じるのである。謙遜表現は、俳句に持ち込んではならない主観的な表現だと思う。従って、私はこの狭庭という言葉を使った句は頂かないようにしている。
    

2016年3月5日土曜日

耕耘機は季題か

先日の句会で次の句が出された。

        耕耘機操り娘深田打つ

この句の季題は「田打」(たうち)であり、ホトトギス新歳時記では、「春の田を鋤き返し、打ちくだいてほぐすことである」とある。これに対して「耕」(たがやし)と言う季題は、田だけではなく畑も含めて土をほぐして耕作の準備をすることを言う。

掲句について、耕耘機は季題かどうかという質問があった。「耕」の傍題に、耕牛・耕馬・耕人等がある。耕人は別として、耕牛・耕馬は今では絶滅種。日本中探し回っても、農耕に牛や馬を使っているところは無く、代わって耕耘機が活躍している。ならば耕耘機を、耕牛・耕馬に代わって季題として使ってよいかどうか、これが質問の趣旨である。

俳句で最も大切なこと、それは季感つまり季節感である。虚子も「季感の無い句、若しくは無季の句は俳句では無いのである」とその著書『虚子俳話』の中で述べておられる。耕牛・耕馬には、雪を頂いた嶺々をバックに、農夫と共に畑を耕しているイメージがある。未だ寒い風の中で苦労している姿に打たれ、そこに季節感が感じられるのである。農の暦の第一頁の感じがするからである。

これに対して耕耘機に季節感が感じられるか。耕耘機の大型なものにトラクターが有る。。秋の稲刈りの時期にはコンバインという、稲刈りから脱穀、袋詰めまで一気にやってしまう機械が登場する。これらの農業機械に季節感が有るかどうか。

機械で動くものには哀れさを感じることが無い。たとえガソリンが切れて動かなくなっても、哀れを感じる事は無い。しかし、春とは言え未だ寒い中での農家や牛馬のご苦労には、季節感を感じる。季題として扱えるどうかはこの様に、季節感が有るかどうかで考えればよいと思う。従って、耕耘機は季題では無い、と私は思う。



2016年2月29日月曜日

紅梅と白梅

梅には紅梅と白梅とが有る。それぞれ種類が違うので、紅白別の花が咲く。紅梅には紅梅の、白梅には白梅の、それぞれ違った趣がある。

     紅梅は日に白梅は月にこそ     伸一路

この句は、紅梅・白梅それぞれの趣の違いが詠めたと思っている。言葉に関する感覚に個人差があるかも知れないが、紅梅はやや温かみのある、ベクトルで言うとプラスベクトルではないかと思う。これに対して白梅は、ややマイナスベクトルのような感じがする。

先日の句会の互選で、成績の良い梅の句が二つあった。

     人住まぬ家の紅梅香を拾ふ
 
人が住まない家というのは楽しいものか淋しいものか。私の感覚では淋しいものである。であれば、この句の場合の梅の花は、白梅とした方が淋しさが表現出来るのではないだろうか。もう一つの句は、
      
     白梅のほころび初めて娘は嫁に

私が娘を嫁に出すのであれば、紅梅が咲いていてほしい。その方が明るくて温かい感じがする。花嫁衣裳は白無垢とされているが、せめて紅梅にして、温かく送りだしてやりたい、と思う。

紅梅が咲いていたからとか、白梅があったからとか、という理由でそのまま俳句に詠いこむことは避けるべきだ。どちらの梅が、季題としてより有効に働くかを勘案してほしい。白梅が有っても紅梅で詠めばよい。俳句は詩である。見たままでは詩ではない。

ただ最近、「思いのまま」という名前の梅を良く見かける。一本の木に紅白両方の花が咲く。季題としての使い方は難しい。思いのままには使いこなせないかも知れない。

2016年2月26日金曜日

一人称の文芸

俳句は一人称の文芸であると言われる。俳句の詠み方の原則は「いま・ここ・われ」であるとお話ししているが、俳句は「われ」の文芸なのである。ある句会で次の句が出された。

      口笛で真似る鶯登校児

この句は、登校児が口笛で鶯の鳴き声を真似ている、という情景を句にしたものである。句の意味は分かるが、作者は唯見ているだけである。情景の説明をしているだけの句である。それでどうしたのか、その情景を見てどう思ったのか、という肝心なところが描けていない。

確かに季節感は出ている。しかし季節感と写生だけで俳句が詠めたと思うのは、早計である。鶯が鳴いている。作者は、一つ真似してやろう、と思った。口笛で鳴き声を真似てみた。ここで初めて作者が登場する。一句の中に作者の役割が生まれた瞬間である。読者はこの句を読んで、面白い事をする人だ、愉快な人だと思うかもしれない。また、自分もやってみようと思う人があるかも知れない。この結果、一句を通じて、作者と読者との心の交流が生まれ、俳句となるのである。

口笛を吹いているのが児童のこととなると、他人事となる。われの事ではないのである。他人の事では、読者に与える印象が弱くなる。俳句は「われ」の文芸。われが何をして、何を見、何を聞いてどう思ったか。読者と感動を共有するためには、われを描くことである。

     傘を持つ持たずの思案春時雨       伸一路

2016年2月22日月曜日

師匠を持つ幸せ

私には西田浩洋という師匠がある。九年母編集部の杉山千恵子さんと、正式には4月から編集部の一員となられる柏原憲治さんとご一緒に、播磨町から神戸市に転居されて以来初めて、先生のご自宅を訪問した。要件はお二人の紹介と、九年母賞選考委員就任の依頼である。

先生との出会いは、平成9年5月に開催された三木の伽耶院での、初凪句会の吟行会に於いてであった。私はその時49歳で、俳句の年齢で言えば若者であった。当時、初凪句会の世話をしておられた故渡辺さち子さんが、欠員の補充の為、九年母の雑詠欄から私を見出され、選者をしておられた浩洋先生に連絡されたのがきっかけだ。先生から二つ返事でのご了解を得て、初めて参加したのがこの吟行会であった。

当日の私の出達は、帽子から靴まで完璧な日本野鳥の会の探鳥スタイルだった。大型の双眼鏡とフィールドスコープと呼ぶ望遠鏡を格納したリュックに三脚を縛り付け、腰のポーチには野鳥の会の教科書である分厚い「フィールドガイド」が収まっていた。胸には兵庫県支部のバッジ。登山帽、ベスト、軽登山靴と、凡そ俳句の吟行とは思われない姿に、初凪句会の皆さんが目を丸くされたのを、昨日のことのように思い出す。オオルリやコゲラなどが出て、楽しい吟行になった。

句会終了後、先生に呼ばれ、リュックの中身を全部説明するように命じられた。この双眼鏡はニコンのエスパシオと言い、10倍の倍率があります、等と細かく説明した。この吟行会での思い出を、先生は「鳥博士」という随筆に纏められ、九年母誌に掲載された。素晴らしい名文であった。

それ以来、汀子先生の門を叩いた平成18年まで、先生には厳しくて温かいご指導を頂いた。六甲道の講座は先生のお世話によるものであり、五葉句会や葺合文化センターの講座は先生の後任である。もしこれらの講座を担当していなければ、今の九年母は無かった。先生のご指導については、稿を改めてお話ししたい。私の師匠は西田浩洋、と胸を張って言える幸せを思わない日は無い。

2016年2月20日土曜日

「かな」の切り方

先日の句会でこんな句が出された。

     振り返る友と目くばせ初音かな

最近、このタイプの「かな」の切り方を目にすることがしばしばある。「かな」の切り方が理解されていないのだと思う。何とも感じない方が居られたら、それこそ問題である。同じ句会で出された「かな」で切った句を、いくつか例に引いてみよう。

     朝日射す庭木の中の初音かな
     落人の里の静寂の初音かな
     分け入りて突如頭上の初音かな
     さみどりの秘湯に不意の初音かな

句の出来・不出来は別として、どの句も「かな」と言う切字が効いている。初音のすぐ前を見て欲しい。どの句にも、「の」と言う助詞が入っているのが分かる。つまり、

      庭木の中の初音
      里の静寂の初音
      頭上の初音
      不意の初音

と、どんな初音であるかが分かるようになっていて、その後ろに「かな」という切字を据えて感動をあらわしている。つまり「そんな初音であることよ」と感動しているのである。ところが、掲題の句では、目くばせという言葉の後ろに、いきなり初音がきており、初音の前に助詞が無い。

      目くばせ初音

こんな初音は聞いた事がない。つまり、最後を「かな」という切字で切るならば、詠嘆する対象の物(掲句では初音)をしっかり説明して、その感動を「かな」という切字で表現するという叙し方、言葉の並べ方が必要なのである。

      振り返る友と目くばせする初音

と、「かな」を取って詠むのも一つの方法である。

    

2016年2月13日土曜日

華やぐという表現

雑詠投句に次の句があった。

     買初のデパート華やぎ人あふれ

句意は明瞭であるが、内容が主観的だ。それは、デパートが華やいでいる、という表現に現れている。デパートの売り場に大勢の人が集まっているという表現は事実を写生しただけのことだが、華やぐという表現は主観的なもの。華やいでいるかどうかは、個人的な感想なのだ。掲題の句は、その個人的な感想(=主観)を読者に押し付けようとしているのである。主観を押し付けられると、読者は反発する。「貴方はそう思うかもしれないが、デパートの買初めくらいでは、そんなに人は来ないよ、何言ってんのよ、嘘ばっかり」と。そうなると、句の鑑賞どころの話ではなくなる。

俳句は、作者と読者との心の交流によって成り立つ文芸だ。作者の感動に読者が共感してくれて初めて俳句となるのである。一方的な感動の押し付けは、我儘・自分勝手であり、読者は共感してくれない。自分の句を鑑賞(=選)してもらおうと思ったら、個人的な感想を述べず有りのままの情景を描くことが大切だ。自分の思いを主張するのではなく、情景に託して思いを伝えることである。例えば、次のように詠んでみる。

     初買のデパートといふ人出かな

最近この、華やぐという表現がやたら目に付く。誰かが流行らせているのかも知れないが、こんな風潮に流されてはいけない。俳句の鉄則である、しっかりした写生と季題の活用とを忘れてはならない。

2016年2月7日日曜日

福袋は季題か

先日、九年母の雑詠の選していて、ふと次の句に目が止まった。

      福袋中身交換し合ふ子等

そう言えば最近、福袋を季題として使った句をよく見かける。確かに、現代俳句協会編の歳時記「現代俳句歳時記」には、「初市」の傍題として、初売り・初荷・初商い・初糶り、そして今回のテーマである福袋が載っている。しかし、ホトトギス新歳時記にも角川合本歳時記にも、あの何でも載っているカラー図説日本大歳時記にも無い。

どうしたものかと思案していたら、テレビから「春節祭向けの福袋を沢山ご用意してお持ちしています」というコマーシャルが流れて来た。テレビショッピングでは福袋の宣伝が、季節を問わず流れている。これでは季題としては無理だ、と判断した。

季題として立てられていない季語を使う事は、必ずしも間違いではない。先日の九年母新年俳句大会でも、当日が阪神淡路大震災の21回目の記念日とあって、阪神忌という言葉を季の言葉として使った句が散見された。私は選に頂かなかったが、この言葉はこれから季題となる可能性を多分に含んでいると思う。しかし、福袋にそれだけの季節感が有るだろうか。

福袋は、箸紙や年玉、戎笹や吉兆のような、明らかに季節性の強い言葉とは違うと思う。商店が、商品の販売促進の一環として売り出すものであり、そこに季節感は無い。色々な線香を入れた、お盆の福袋だって有り得るのだ。句に季節感がなければ俳句ではない。句であっても俳句とは言わない。敢えて言うならば、短歌の上の句であろうか。

2016年2月2日火曜日

平仮名表記

先日の句会で次の句があった。良い句であり、選に頂こうと思った。

      春時雨あおあおと畑かがやけり

しかし、あおあおの表記に違和感を覚えた。念のために広辞苑を引いてみたところ、青青の横にカタカナで「アヲアヲ」と書いてあった。やはりそうだった。青青は「あをあを」と書かなければならないのである。句の水準からして惜しいと思った。表記の間違いは、俳句の命取りになる。

戦後の国語教育で口語表現を習ったために文語表記が苦手な人が多く、「駆け抜くる」が「駆け抜ける」となるような送り仮名の間違いは日常茶飯事である。雑詠選でこれを厳しくすると、採る句が無くなるほど乱れているが、国語教育の問題でもあり、必ずしも駄目だとは言い切れない面もある。

しかし、先に述べた平仮名表記はこの問題とは根本的に異なる。本来ならば漢字で書けば何の問題も無いのだが、わざわざ平仮名で書くから失敗する。なぜ漢字表記を嫌って平仮名にするのか。漢字で書くと印象が固くなるから、平仮名の方が優しい感じがするから、などと言う理由を聞く。しかしそれは、もっと上達してから考えれば良い事で、初心の段階で、そこまで気を回す必要はない。それだけ気を回しても、残念ながら誰も気付かない。漢字を知らない人だ、と馬鹿にされるのが落ちである。
 
紫陽花と書けばよいのに「あじさい」と書いて失敗する。「紅葉」と書けばよいのに「もみじ」と書いて恥をかく。正しくは「あぢさゐ」・「もみぢ」。間違いが分かるだろうか。常用漢字に有る字は漢字で書く、と汀子先生も仰っておられる。

2016年1月31日日曜日

合評会

前回、席題について述べた。今回は更に、俳句の訓練方法としての合評会についてお話したい。句会を開く。清記・選句は通常通りであるが、披講では作者は名乗りを挙げず、代わりに各句に割り振られた番号を記録する。いわゆる点盛りである。披講が終わったら、点盛りの点数の多い句から、全員がその句の句評をする。選に採った人はその理由を、逆に採らなかった人はその理由を述べる。当然その句の作者も、素知らぬ顔をして、採った人としてその理由を述べるのである。

高得点の句については、全員の句評が終わったら、名乗りを上げる権利が与えられる。逆に点数の悪い句については、誰の句か分からないままにしておく。零点の句の場合、作者も素知らぬ顔で、自分の句の欠点を述べねばならないこととなる。酷評されても、辛抱しなければならない。作者が分からないので、良い句についても悪い句についても、だれでも自由に発言出来る。遠慮がないので率直な意見が出される。これが勉強になるのだ。

随分前の事だが、仲間7人が集まって毎月、芦屋で合評会を開いたことがある。3年ばかり続いたが、喧々諤々の句評の嵐の中で、随分成長させて頂いたと思う。自分の句を褒められるのは嬉しい。逆に批判されるのは辛い。そこまで言うか、と思う事も有った。しかし、この辛さの中にこそ、成長のバネが有るのだと思う。

欠点という事実を受け止め、それを改良するからこそ、産業は発展するのだ。自動車産業などはその典型である。ブレーキの利きが悪ければ改良する。俳句の勉強もこれと同じだ。自分の欠点から目をそらし、適当な句を作っていては、進歩はない。合評会を経験すると、この事が良く納得できる。機会が有れば、是非挑戦してみて欲しい。


2016年1月28日木曜日

席題

野鳥俳句会という句会がある。六甲道勤労市民センター俳句講座の受講生を中心に結成されたつぐみ句会とひよこ句会が、私の主宰就任を機に統合されたもので、在籍者24名と、巨大な句会である。欠席投句が目立つようになってきた他の句会と違って、毎回ほとんど全員出席。主宰直系の厳しい修行の場である。

この句会の特徴は毎回席題が出ることである。当日、私が白板に席題を一つ書く。この席題で1句詠み、兼題で詠んで持参した4句と共に、5句出句するのである。兼題は1か月前に出されるので、推敲する時間はたっぷりあるが、席題1句は30分以内に詠まなければならない。

しかし、互選や私の選の結果は、むしろ席題で詠んだ句のほうが成績が良いのである。席題では推敲の時間はほとんど無い。閃きの勝負である。逆にそれが、作者の真の実力を反映することになるのだ。席題の恐ろしさはそこに有るのだが、実力を涵養する上では有効な方法である。

虚子や播水の頃の句会の様子を探ってみると、席題で10句詠むやり方が多い。幹事が半紙に席題を二つ書き、それを句会場の鴨居にご飯粒で張り出す。これを受けて、虚子を含めた参加者が10句詠む。このような句会だったようだ。ホトトギスの雑詠投句が10句(今は3句)だった頃のこと。今から思うとすさまじいエネルギーである。

いつの頃からか、席題に代わって当季雑詠が主流となった。当季雑詠は自分の気に入ったものを自由気ままに詠めばよい。しかしこのことが季題の習得という大切な勉強の機会を奪ってしまった。気ままということは自分の得意な季題ばかりを詠むということ。理科しかできない、国語しかできない、という偏った勉強になってしまったのだ。

兼題で詠むということは、与えられた季題の勉強をすること。席題で詠むということは、応用問題を解くこと。当季雑詠だけの句会では、季題を深く勉強することも応用問題を解くこともできない。席題に果敢に挑戦して、実践力、即戦力を高めて頂きたい。

2016年1月21日木曜日

選の罠

句会で互選をするに当たって何を基準にすれば良いかは、悩ましい問題である。句会では清記が次々と回ってくるため、じっくりと句を読むのは困難である。200人もの参加者がある様な大きな大会では、一枚の清記を見る時間はおよそ5秒から10秒。その間に適格な選をしなければならない。他選の難しさはここに有る。

選をする際に陥りやすいのが情緒である。一種の感情移入であり、俳句の内容に惚れてしまう、と言っても良い。雑詠選に出された句に、

       冬桜ひかえめな母思い出し

というのが有った。選をする人はこの句を読んで、自分の母親の思い出に浸るのだ。母も控えめだった、との感慨に陥る。そうなると、この句が盲目的に愛おしくなって採ってしまう。冬桜という季題が響き合って、良い句だなと思ってしまう。文法も何も分からないくらい、盲目的な選になってしまうのである。

私が選をする場合、一読して先ず定型を踏んでいるかどうかを確認する。字余り、字足らずになっていないか。次に、季題の働きが十分かどうかを確認する。その次に文法上の誤りや、送り仮名の誤りをチェックする。あくまでも冷静に見つめるのである。その上で、作者の詠んだ感動が本物か偽物かを探る。心から感動して詠んでいるか、受けを狙って、頭の中だけで詠んだものか。それを判定するのである。

掲句で言えば、「思い」は「思ひ」の誤り。最後の「出し」はいわゆる連用止めであり、「出す」と終止形で止めた方が落ち着きが良い。感動は本物と思われて、甘さはあるが好感の持てる句だ。

互選の特選句の寸評を聞いていると、特選に採った句に盲目的に惚れ込んでしまって、句が見えていない人がある。自分の好き嫌いだけで、情緒的な選をしている人も多い。情緒というのは選の罠だと思う。罠に掛からないように、落し穴に墜ちないように、慎重に選をして欲しい。俳句の大家や選者に理科系の人が多いのも、むべなるかなである。


2016年1月15日金曜日

春隣の読み方

先日の吟行会で春隣という兼題が出た。レベルの高い句会であり良い句が沢山あったが、問題は披講の際の春隣の読み方に有った。この句会では披講子を決めず、ホトトギスの一般の句会同様、各自が自分の選を披講する。

さて、披講が始まると、ある人は「はるどなり」と読み、またある人は「はるとなり」と濁らずに読んだ。聞いていると、年齢の高い方に「はるどなり」と読む方が多かった。どちらが正しいのだろう。

歳時記を開いてみると、角川合本歳時記には「春近し」という季題の傍題に「春隣」があって「はるどなりと」仮名がふってある。一方、ホトトギス新歳時記ではこの逆で、「春隣」の傍題に「春近し」がある。どちらを季題として立てるかは、編纂者の感性だろうが、問題はその読み方。角川では「はるどなり」、ホトトギスでは「はるとなり」。汀子邸での下萌句会では、「はるとなり」と読まないとブーイングの嵐となる。それも「はる・となり」と軽やかに読むのである。

面白い事に、虚子編「ホトトギス歳時記」では「はるとなり」と読ませているのに対し、昭和59年版の角川合本歳時記では「はるどなり」ではなく「はるとなり」と読ませている。角川の歳時記では、編集上何らかの変遷があったのだろう。

どちらが正しいという事ではない。要は作者の感性であり、披講者の感性の問題であろう。「はるどなり」と「はるとなり」、どちらに春への期待感を感じるか、である。私は「はる・となり」と軽やかに読む方が、春が近い様に思う。読者諸氏は如何だろうか。どちらでも同じ、という方があったら、将来が案じられる。語感を磨いてほしい。


2016年1月4日月曜日

仕事始に当たって

今日正月4日は仕事初め。年末遅くまで仕事をされた一部の個人商店を除き、銀行も病院も株式市場も、日本中の仕事が今日から始まった。発行所の仕事も今日が初日。年賀状に混じって配達された会費の振込み連絡票の数はおよそ30枚。今日から記帳が始まる。雑詠の選も今日から始まった。昨日までの正月気分を一掃し、今日からは厳しい選が始まった。

嘗ての雑詠欄では常に4句抜けていたのに、私の担当になってからは2句になった。主宰は私を嫌っておられるのでは、と思って居られる方が有ると聞いた。これは大きな誤解である。ホトトギスの選者方は、作者の名前から選に入って行かれる方が多いようだ。九年母もかつてはそのような傾向があった。営業的な観点からすれば、沢山の方に喜んで頂いて、大いに繁昌する方が良い事は論を待たない。また、親睦を図ることが目的であれば、出来るだけ落ち零れる人が少ない方が良い。

しかし、それで良いのだろうか。私は詩情豊かな句を尊ぶ。このために、私の選は作品から入る。作品本意に選をする。この方の句だから採るという事は決してしない。従って、入選句が少ないからといって、その作者に個人的な恨みがあるのではなく、増してや、嫌っている訳ではない。誤解の無い様にお願いしたい。

私の選では、俳歴の長さは考慮しない。作品が優れたものであれば、俳歴の長短にかかわらず高く評価する。高名の方の句であっても、詩情の乏しいものは頂かない。そんな事に遠慮していては正しい選は出来ない。敬意を表する事と、選を甘くすることは別だ。選を甘くすることは、逆に作者に失礼に当たるのである。刀剣の鑑定家が、所持人の求めに応じて出鱈目な鑑定書を交付したとする。結果としてその所持人が恥ずかしい思いをすることになる。これと同じだ。

毎月1回の下萌句会において、汀子先生の選と私の選との一致状況をチェックしている。現状七割程度の一致率であるが、これが極端に低下するようだと、選そのものを遠慮しなければ、と思っている。素晴らしい句にお墨付きを与え、天下に送りだすのが私の務めだ。播水先生の選に一歩でも近づけるように、心を澄ませて作品に向かい合う日がまた始まった。