2018年12月31日月曜日

年頭のご挨拶

新年あけましておめでとうございます。会員・誌友の皆様は、昔風に申せば、一つ歳を取られたことになります。おめでとうございます。九年母誌は大正13年に誕生しましたので、今年で95歳となります。同い年の会員・誌友もいらっしゃると思います。戦時中の一時期を除いて営々と刊行され、今年の4月号をもって創刊以来1100号となりますので、6月には生田神社会館にて、記念祝賀会を開催すべく準備中です。その他、播水の生誕120年を記念する姫路市民俳句大会や、姫路市立文学館の特別展示などのイベントが予定されています。また、10月には摩耶山天上寺に主宰の句碑を建立する計画が進められています。

同人会に於いても新営業体制の構築が進んでおり、各地の句会との交流が実現する見通しが立って来ました。この5月には南紀の田辺市や白浜町をお訪ねし、地元の会員・誌友の皆さんと句会を催し、交流を深める予定です。この地域では5〜11歳の幼い俳人が若葉集に投句しており、今後の成長が楽しみです。

12月号でお話ししましたように、運営委員会の決議により今年の4月から会費を月200円値上げさせて頂くことになりました。皆様のご協力をお願い致します。

今年は忙しくなります。その昔ケネディ米大統領は就任演説において「国が貴方のために何が出来るかでは無くて、貴方が国のために何ができるかを考えてほしい」と述べました。今年は九年母会にとって正念場となります。会員・誌友が一致団結して着実に行事をこなして行きましょう。今年が皆様にとって良い年となりますよう祈念しまして、新年のご挨拶と致します。

2018年12月28日金曜日

悼句の募集

平成30年12月22日夕刻、九年母関東支部の五月女政夫さんが、病気のため70歳を一期として逝去されました。26日には通夜が、27日には告別式が、ご自宅のある、さいたま市の斎場にて営まれ、永遠に旅立たれました。

故人は平成26年2月、橋本文男関東支部長の紹介で九年母会に入会され、3年後の29年1月に同人に昇格されました。九年母会員としてのキャリアは短かったのですが、めきめき上達され、葬儀の直後に刊行された平成31年1月号雑詠選では5句入選で次席巻頭を得られました。奥様の代筆で投句され、絶筆となった2月号の雑詠選でも5句入選で次席巻頭で、2ヶ月連続次席巻頭という偉業を達成して逝かれました。今わの極みまで俳句に対する情熱を傾け続けられた、壮絶なご最期だったと思います。

奈良や京都など関西を散策された際には、千鳥句会の仲間達と飲みに行った事もありました。主宰就任以来、毎年関東支部を訪問し、一緒に吟行し句会を楽しんでいますが、お元気だっ頃の恩賜浜離宮公園吟行では、クネンボの木の前で一緒に写真を撮ったことが懐かしく思い出されます。

九年母誌の表紙絵を担当してくれている義妹の夫と会社の同期であったこともあり、親しく感じていました。将来的には関東支部幹部として九年母会を支えて頂こうと思っていましたので、残念でなりません。遺されたご家族には心よりお悔やみ申し上げますと共に、故人のご冥福をお祈り申し上げます。

つきましては、「九年母」3月号に故人を偲ぶページを設けますので、1月20日までに、お悔やみの句を発行所までお送り下さい。葉書、Fax、メールやラインでも結構です。皆さんのお志をお待ちしています。

2018年12月3日月曜日

句碑の建立

 この度、私の句碑を摩耶山天上寺境内に建てて頂くことになりました。昨年10月の摩耶山俳句大会の際、それまで秘めていた想いを、同大会選者で天上寺の浄厳貫主(俳号:虚舟)に打ち明けました。「境内の隅で結構ですので、私の句碑を建てさせて頂けませんか」と。貫主は即座に「いいですよ、但し摩耶山の句を詠んで下さいよ」と二つ返事で了解して下さいました。予定しています句は「星掬ひ月をすくひて摩耶に在り」にする予定です。この句は一昨年の摩耶山俳句大会で、貫主の特選に入った、記念すべき句です。

 これを受けて今年の1月15日の淡路島・伊弉諾神宮粥占い神事に吟行した際に、会員の大竹さんのご子息が経営されている石材店を、柏原・髙野・向田・脇野の皆さんと訪問、句碑のお世話をお願いしました。10月19日には片岡編集長や上岡・柏原各同人会理事と一緒に天上寺を訪問、貫主にお会いして九年母会の意向を正式にお話しし、了解を頂きました。これで句碑建立が確定しました。同時に句碑の設置場所も決まりました。何と、本堂の右前に建てて良いとのお許しが出たのです。嘗て九年母会が建立した蕪村の句碑と並んで建てられることになりました。更にこの11月19日には大竹石材社長と柏原同人会理事と一緒に句碑の設置場所を調査し、搬入方法などを確認しました。後は句碑に適した良い石が見つかることを祈るのみです。

 九年母11月号で、句碑建立協賛金募集の記事を掲載して、応募をお願いしました。応募いただきました皆様のご芳名を、第一回として11月末で絞めて、1月号で御礼かたがたご報告する予定です。協賛金は例年8月末まで募集を続けます。一口3,000円で幾口でも、何回でも結構です。ご浄財をお送り下さいますよう、宜しくお願いします。振込み口座は、九年母11月号をご参照ください。綴込みの協賛金の振込用紙で九年母会費をお送りになる方がおられます。お間違えの無いよう、用紙の確認をお願いします。

2018年11月5日月曜日

一致率指数について

毎月一回、稲畑汀子先生の御自宅の応接間で開催される下萌句会に参加して、もう12年になります。哲也前主宰は、淡路島で倒れられるまで、別の日に開催される夏潮句会に参加しておられました。毎回、関西一円のホトトギスの著名な俳人が25名ほど参加されます。最初に参加した日は、何処に座って良いのか分からず、壁に貼り付いていたのを思い出します。「貴方はそこにお座りなさい」という先生の一言を頂きほっとしました。それ以来、汀子先生の温かく飾らないお人柄に支えて頂きながら、九年母代表として12年間、頑張って来ました。

この句会で、私はあることを12年間実行して来ています。それは、先生の選と私の選がどのくらい一致しているか、チエックすることです。簡単な事です。先生が選をされた句と私が予選した句とで一致している数を数え、予選した総数で割る、それだけのことです。
例えば、私が予選した30句が汀子先生の予選50句にすべて含まれておれば100。25句が含まれておれば25÷30で83と計算します。これを毎回記録しておき、1年間ではどうだったか、3年間で見たらどうかと、自分の選句力の状況を汀子先生の選を基準にして確認します。これを勝手に、一致率指数と呼んでいますが、現状では70〜80で推移しています。これが急低下するようなことがあれば、私は雑詠選者としては的確ではないことになります。今後はこの状況を第三者に客観的にチェックして頂く事を考えています。九年母会の句会では、私の選を基準にされても良いと思います。皆様も参考になさって下さい。

2018年10月8日月曜日

有季定型について

 当然の事ながら、俳句の大原則は有季定型である。ところが、最近雑詠蘭に投じられる句を拝見していると、この有季定型の原則が守られていない句が散見されるようになって来た。前主宰の晩年の頃は脳梗塞を二度発症された影響で、ご自分の句にも選をされる句にも、この原則が崩れることがあった。しかし、最近の雑詠欄の状況は、これとは何の関係もない筈である。前月の雑詠投句まで定型を守っておられた方が、翌月の投句で急に五句すべてが字余りになり、それが続いているケースがある。五句全てが毎月、五・七・七の音律になっている方も居られる。五句とも無季の方も有った。

 もう一度俳句の大原則を見直す必要があるように思い、今月号の随想蘭で「季重なりについて」という一文を敢えてお示しした。来月号にて、定型の音律について申し上げる予定である。

 高齢化の急速な進行の影響かも知れないが、104歳になっても見事に有季定型を守り、素晴らしい俳句を毎月投じておられる方もある。そう思うと、一概に高齢化が原因とは云えないかも知れない。効果があるかどうかは分からないが、再度見直しのつもりで、敢えて一文を呈するものである。今更何を、と思われるかも知れないが、上記の事情をご賢察願えればと思う。

 父が隠居処として建てた滋賀県東近江市の家が颱風21号にて被災し、処分することになった。その手続きや家具の処分等に時間を取られ、更新が遅くなったことをお詫び申し上げる。

2018年9月3日月曜日

白樺集への投句勧奨

   従来、同人作品の欄を設けて、半ば強制的に作品を募って来ました。しかしそのような募集の仕方は、高齢化の急激な進行という時代の流れにに合わなくなり、中止の止む無きに至りました。それに代わるものとして、「白樺集」という俳壇を設け、強制されずに、いつでも、作品が出来次第、自由に投句して頂くことにしました。俳壇を設けて日が浅く、会員諸氏の認識未だし、の感がありますので、再度御案内します。

 嘗ての同人作品は、編集部からの指名方式で応募葉書を送付し、期限までに作品を送って頂く方法を取っていました。しかし、同人の高齢化が進むとともに応募者が減少し、編集部へ戻って来る葉書は6割程度になっていました。それとともに、往復葉書の無駄という、経費上の無駄も問題になって来ました。これを受けて運営委員会で考え出したのが今回の方式で、句が揃い次第、随時、官製はがきで投句して頂くというものです。

 雑詠欄に投句された残りの句で、思い切って実験をしてみる。こんな句が出来たがどうだろう、と思われたら白樺集に出してみましょう。雑詠は真剣勝負の場、白樺集は実験の場、と考えたらどうでしょう。新たな勉強の場として、是非ご活用下さい。

2018年8月2日木曜日

新しい俳壇について

①「白樺集」について:
 嘗て同人の作品を、編集部からの依頼として募集して来ました。同人会が発足した際、同人の特典として「同人作品」欄に雑詠5句を投句できることにしたのです。しかし、高齢化に伴う同人の減少が急速に進み、結果として同人作品を依頼するサイクルも短くなりました。編集部から依頼しても応諾して頂けない方が増え、応募率は60%程度に低下し、往復はがきの無駄も経費上問題になって来ました。
 前主宰の時代には、全ての同人作品の投句について、水準を越えても越えなくても、1人一律3句づつ入選としたため、水準の高い投句者の意欲を削ぐことになり、マンネリ化も進んで、応募率を下げることに繋がってしまいました。
 主宰を継承して以来私は、句の出来具合や完成度に応じて5句から1句まで頂くことにしました。しかし、雑詠5句の他に同人作品5句の投句を強制されるのは辛い、という声が寄せられるようになりました。そこで運営委員会で協議した結果、従来の様な依頼方式を止めて、「白樺集」として、官製はがきで任意に投句して頂くことになりました。
 未だ俳壇として浸透していませんので応募は僅かですが、同人の作品らしく水準が高く、今後が楽しみです。ある程度纏まれば、九年母誌に掲載します。「雑詠」の他に5句、同人として技量を競いましょう。同人各位の奮起を期待しています。
 
②「若葉集」について:
 「雑詠」の選の水準が高くなり過ぎて、初心者が付いて来れなくなっている、との指摘を頂きましたので、運営委員会に諮って「若葉集」という初心者専門の俳壇を新設しました。7月から募集を開始、同人会長の岩城久美さんに選者を委嘱しました。この度、9月号掲載分の選が終わり、主宰の手元に頂きましたが、応募要領にも投句用紙にも「若葉集」の投句者は「雑詠」への投句は出来ませんと書いてあるにもかかわらず、応募者の半数が両方投句されていました。今回は初回とあって徹底不十分な点もあり、応募者全員の句を掲載する予定ですが、今後機会があるごとに、説明を徹底していきたいと思っております。皆様のご強力をお願いします。

2018年7月2日月曜日

神戸芸術文化会議について

 神戸芸術文化会議(こうべ芸文)という組織がある。会則を見て見ると、組織の目的として、「本会は、芸術文化に携わる者が互いに協力し、広く神戸市民の要望を市政に反映させ、市民のための芸術文化を推進するとともに、会員相互の親睦を図ることを目的とする」とある。事務局は神戸市役所の市民参画推進局内にあり、運営資金の大半は神戸市からの補助金で賄われている。毎年開催され、私も色紙を出品している「神戸の百人色紙展」の売り上げも、この団体の運営資金として使用されている。音楽関係の団体を中心に昨年度は延1400名の会員が神戸市内の福祉施設を慰問している他、新人音楽家の発掘や、絵画・写真の展示会、舞踊・学術の発表会など、様々な文化活動が展開されている。
 会員名簿を見ると、初版が昭和49年8月とあるから、設立から44年経っていることになる。俳句は文学部門に含まれるが、音楽・書道・美術・工芸・建築等、8部門の学術・芸術関係の部門がある。私は哲也前主宰の推薦で平成16年2月に入会したが、当時の九年母関係の会員は、五十嵐哲也(運営委員)・大内君子・田丸三樽・永岡うろお・西田浩洋・橋本蝸角・秦羚羊子の皆さんであった。
 入会後は、年1回刊行される文学作品集「こうべ芸文アンソロジー」に作品を発表するだけの会員であったが、副主宰に就任して以来、講演会を聴きに行ったり、哲也前主宰と共に総会や懇親会に参加していた。今年2月に事務局から、選挙の結果私が運営委員に選ばれたとの連絡があった。以後、運営委員会や文芸部会等、俄然忙しくなってきた。今月は5日の文芸部会、25日の総会・懇親会と、行事が続く。
 俳句部門の会員が急減しているので、みやおか秀さんの後任として片岡橙更編集長に入会して頂いた。故永岡うろお老師の後任として池田雅かずさんにお願いしており、更に数名の方に入会を打診している。地元の俳句結社として、しっかり役割を果たして行きたいと思っている。

2018年6月4日月曜日

「四季吟詠」の募集

 俳句の総合月刊誌「俳句四季」におきまして、今年の9月号から『四季吟詠』という雑詠投句欄の選者を担当することになり、この程9月号掲載分の募集が終わりました。急に決まったこともあり、特選・秀逸・佳作合計35句を揃えるために、日頃句会でお会いする皆さんに投句をお願いし、約50句を寄せて頂きました。この中から35句を、と思っていましたら、出版社の方にも関西一円から約20句が寄せられ、約70句が集まりました。
 今後、3・6・9・12月号を担当して参りますので、次回の掲載は12月号、従って募集は8月号となります。九年母会の主宰としては初めての取り組みです。関西では既に、「田鶴」・「円虹」・「かつらぎ」・「ひいらぎ」・「未央」・「運河」・「河内野」等の主宰方が選者として名を連ねておられます。我が「九年母」も、やっとこの列に加われたのです。俳句の中道をこつこつ歩むのも大切でしょうが、それ以上に結社の勢力を拡大させることにも力を尽くさねばなりません。少子高齢化が急速に進む現代においては、何もしなければ、やがて結社は衰退・消滅するでしょう。今回をチャンスに、天下に「九年母」の名を知らしめようでは有りませんか。3ヶ月毎ですから忙しくなります。会員の皆様のご協力をお願いします。
 
 

2018年5月3日木曜日

俳号について

 俳句の作者としてそこそこの実力が付いて来た際に、俳号を付けることがある。松尾芭蕉は、幼名を金作といい、藤堂家に奉公するに及んで宗房と名乗ったが、主人藤堂良忠(俳号:蟬吟)に仕えて連句の会に出入りする頃は桃青という俳号を使っていた。主人の夭折に伴い江戸へ出た桃青は、やがて俳諧の師匠として独立。芭蕉庵に居住する頃に芭蕉という号を使うようになったという。芭蕉の他に、風羅坊などの号がある。
 因みに、私の伸一路という俳号は、九年母同人で西宮俳句協会の会長であった古澤碧水に、碧櫻会という句会の設立の際に頂いたものであり、本名の伸市郎を若干デフォルメしたもの。姓とマッチしており、自分では気に入っている。但し、本名と俳号が似ているので、親戚から来る手紙ですら宛名が伸一郎となっていることも度々である。高濱虚子の本名は高濱清、山口誓子の本名は山口新比古(ちかひこ)。いずれも本名のデフォルメである事は有名だ。
 私が俳号をお世話した方は今までに4名。最近では笹尾清君に清一路という号を差し上げた。その他の方は、何かの大会の受賞の際に差し上げたもの。ビッグタイトルを手にされた時にである。ご本人にも良い記念になると思う。
 句会や俳句講座などで、ヨシコさんやカズヨさんなど、同じ名前の方が複数おられる場合もある。こんな場合、思い切って俳号を自分で作ってみるのも良い事だ。一度考えてみられたらと思っている。但し、自分の人格と作品を代表することになるので、良く考えて決めて欲しい。ヨシ坊やトシチャンのような、陳腐な号にはしないことだ。
 

2018年4月1日日曜日

3周年

 3月30日にて、五十嵐哲也前主宰から主宰を継承して丸3年となりました。もう3年と思うと同時に、まだ3年か、とも思いました。3年間全力で走って来ました。
 哲也前主宰には播水というバックが有りましたが、私は一会員からの叩き上げです。カリスマ性が欠けていました。同人になるまでに10年掛かった凡庸な会員が、独学で俳句を学び、稲畑汀子先生に認められてホトトギス同人に推挙して頂いた、それだけのことです。目覚ましい実績を挙げた訳でもありません。六甲道勤労市民センター俳句講座でお世話した受講生の皆様に支えられ、入会以来30年間お付き合いを頂いて来た会員の皆様のご支援を頂きながら、何とか主宰を務めて来ました。
 この間、前主宰と有馬念仏寺の永岡うろお老師を見送ったことは、痛恨の極みでした。その他、ご支援頂けると思っていた皆さんが相次いで逝かれたことは、残念なことでした。しかし、ホトトギスや日本伝統俳句協会、兵庫県俳句協会などでの活動を通じて、汀子先生を始め、全国に幅広い人脈が築けました。この人脈を駆使して、俳句の世界で今後予想される困難な状況下でも九年母会が生き残っていけるように、盤石な運営体制を築いていきたいと思っています。会員の皆様のご支援をお願いします。
 
 

2018年3月4日日曜日

俳人の卵たち

 昨日は3月3日の桃の節句でした。午前中は六甲道勤労市民市民センターの俳句講座を担当し、修了後、元町の兵庫県公館で3日・4日と開催される、(公財)兵庫県芸術文化協会主催の「伝統文化体験フェスティバル」の俳句のブースに向かいました。
 毎年開催されている行事で、和楽器や短歌、茶道や華道など、様々な和文化を体験してもらうイベントです。俳句部門は九年母会と貝の会とが、1日ずつ分担してブースに詰め、子供たちを中心に、俳句に触れてもらう機会を提供しています。今年も片岡編集長、山之口同人会副会長、発行所の小柴、斉木、髙野の委員方、以上の皆さんがブースに陣取り、前を通る親子連れに、俳句を詠んでみませんか、と呼びかけました。沢山の子供たちが俳句(らしきもの)を作ってくれ、皆の前で披講し拍手をしてボードに張り出しました。少しでも俳句に興味を持ってくれるように祈りながら。
 昨年と大きく違うのは、テレビの影響です。通りかかる親子が異口同音に「プレバトでやっている、あれや」と、比較的気軽に、私達の誘いに応じてくれたことです。特に、若いお母さんが積極的でした。マスコミの影響をひしひしと感じました。
 そのようなお母さんに連れられて、1時30分からの句会に参加してくれた小学生の兄弟が居りました。
   初スキー父のせなかはとおくなる    拓郎
   初スキー初めて見たよ転ぶ母      英介
これがその子達の作品です。参加者は17名、内九年母会以外の方は6名でした。各自が自分の選を披講したのですが、この兄弟も堂々と披講し、名乗りもしっかり出来ていました。
 この子達も、やがて受験や就職、結婚などで俳句から遠ざかることになるでしょうが、心のどこかに今回の句会の事を覚えていてくれて、そしていつの日か俳句に帰って来てくれればと、切に思いました。

2018年2月3日土曜日

席題について

 私が主宰に就任してこの3月30日で3年になる。就任した当時は、選者として句会を訪問しても、後日選として句稿を送って来られても、そのほとんどが当季雑詠であった。当季雑詠方式がいつごろから九年母会に持ち込まれたのかはわからないが、播水先生が著書『句作春秋』の「兼題」という随想で、次のように述べておられる。
 「芭蕉時代に兼題というものがあったかどうか知らない。子規時代にはもっぱら題詠が行われていたようである。私が句を始めたのは大正九年であるが、その頃は兼題がありそれに席題が出るのが例であった。兼題席題を通じて十句とか七句というのでその他の句は作られなかった。つまり題以外の当季雑詠は許されなかった。こんな俳句界の中に長年育って来た私であるが、最近は兼題や席題が出ているにも拘わらずそれを作らず殆ど当季雑詠の句を出した。忙しくて兼題を考える余裕がなかったと言えば弁解になるようであるが、之が原因の一つである事は否めない。」
 播水先生らしい正直な告白であるが、九年母会の当季雑詠のルーツが分った気がする。その後数十年間、恐らく当季雑詠中心の句会が続いたのであろう。今でも本部例会では、兼題が出ているにも拘わらず、当季雑詠の句を出す人が有るが、兼題を優先させるため、私は余程の作品でなければ頂かない事にしている。兼題という同じ土俵で学ばないと、勉強にはならないからである。当季雑詠は得意な科目だけを勉強しているようなもの。理科だけが出来ても、十分な学力が付いたとは言えず、受験も出来ない。私は就任以来、各句会に兼題方式を推奨して来た。そしてかなりの句会が兼題方式になった。今後高齢化がさらに進むと、吟行が廃れて兼題方式が主流になるだろう。
 兼題に慣れた句会には、席題を一つ加える様に勧めている。訪問している先では、須磨句会、すみれ句会、五葉句会、姫路支部例会や野鳥句会等で、その効果が現れて来ており、席題で詠んだ句が巻頭を飾る様になって来た。句会場の席について、10〜20分の間に席題で詠んだ句が巻頭になる。自宅で捏ねまわして持って来た句より、席題で詠んだ句の方が高い評価を受ける。厳しい修行だが、先人たちもこれで実力を磨かれたのである。
 初心者の多い句会では無理だが、ある程度ベテランが揃っている句会では席題を出して、作句力を養う訓練をしてはどうだろう。