2024年1月1日月曜日

年頭に当たって

 新年のご挨拶を書き終え、送信をしようとした刹那にグラグラと揺れました。すぐテレビのスイッチを入れましたら能登半島で大地震が起きたとのニュースが飛び込んできました。画面を見ている間にも何度も地震が発生し、大津波警報も発令されました。芦屋は震度3でした。

震度7,マグニチュードは7.6。阪神淡路大震災がマグニチュード7.3でしたからそれより強い地震です。テレビの画面では火が出ている様子も見え、心配です。ビルや家屋が倒れ、停電になった病院に怪我人が運び込まれているという状況は阪神淡路の時と同じです。一夜明けたら凄まじい被害が判明するのではと案じています。一刻も速く地震が収まり、被災者がゆっくり休めます様に、そして復興が順調に進みます様に祈るばかりです。

ところで、今日は元日。神戸の生田神社に家内と二人で初詣に行きました。4月には九年母創刊百周年記念の句碑が建立されますので、その工事の無事や記念祝賀会の成功をお祈りして来ました。句碑建立の窓口になって頂いている沢田権禰宜様に、初詣の参拝客でお忙しい中をお会い頂き、挨拶させて頂きました。これで句碑建立は無事安全、記念祝賀会は大入り満員間違いなし。

創刊百周年記念事業が本格的に始まります。百年前の創刊号については、今月号の九年母誌に詳しく書いておきましたので、是非ご一読下さい。

今年が皆様に取りまして幸せな年であります様にお祈りします。

2023年12月3日日曜日

新年号の投句

 早いもので今日は師走の三日。もう幾つ寝るとお正月の時期になりました。昨年の12月、ある県の警察本部の機関誌の俳壇の句が私の所に到着しました。早速、選に掛かりましたところ、友人が亡くなったお悔みの句が目に飛び込んできました。こんな句を正月号に載せるのはどうかと思いましたが、他に正月らしい句が見当たりませんので、やむなく晩秋や初冬の句の中に混ぜて並べました。

そして講評の欄に、正月号に投句する場合は正月らしい句を選びたいものだと書きましたところ、今年の12月の投句はしっかり正月を寿ぐ句が並びました。正月号を手にして俳壇の欄をめくったら、友人が亡くなった句が巻頭になっていた。読者はどう思うでしょう。正月早々縁起でもない、と他の句を読まずに機関誌を閉じてしまうでしょう。特に正月号に付いては、このような気遣いが大切です。同人誌の場合は、会員自らが会誌を作っている訳ですから、気を付けたいものです。

2023年11月5日日曜日

読者を意識して詠む

 俳句結社の会員は毎月いくつかの句会に参加しています。九年母で言えば本部例会や本部吟行、各自が所属している句会などです。多い人になると俳句講座を含めると六~七つほどの句会に参加しておられます。皆さん頑張って、選者の選に入る句を、願わくば特選や巻頭を、と思って詠まれています。

しかしそれでよいのでしょうか。俳句を詠む目的が句会での入選になっていないでしょうか。句会で選者の選に入る、それだけで良いのでしょうか。雑詠欄に投じるための句を選者に選んでもらうために句会に参加する人も居られます。それでよいのでしょうか。私たちは何のために俳句を詠むのでしょう。

常々句会で申し上げていますね、札幌の人にも熊本の人にも分かるように詠みましょうと。俳句とは、全国の読者に自分の思いを伝え、共に感動してもらうために詠むものだと私は思っています。読んだ人が感動して褒めてくれる。これが俳句作りの喜びだと思います。先ず手始めに互選で会の仲間に伝えて感動してもらう。同時に選者にも評価してもらう。そして雑詠欄を通じて、全国の読者に評価していただきます。九年母誌は、国会図書館を始め、全国各地の図書館や教育機関に、毎月贈呈していますから、全国に読者が居られます。

読者を意識して、共感してもらえるように詠む。句会の小さな、狭い世界での出来不出来に拘らず、読者の存在を意識して詠みましょう。私は選者として、そのお手伝いをさせてもらいます。勿論私自身も、全国の読者に向かって句を詠んでいます。全国誌を通じて、俳人としての、また九年母の主宰としての評価を問うています。視線を遠くに向けましょう。

2023年10月2日月曜日

羞恥心を去る

 本部例会、本部吟行など、私が選者を務めている句会に於いては、講評が済んだ後で必ず質疑応答の時間を設けている。灘区文化センター(旧 六甲道勤労市民センター)の私の俳句講座を修了されて九年母会に入られた方は、師匠と弟子という関係から、私に対して比較的気楽に発言される。俳句に関してはゼロからのスタートであり、修行の度合いも分かっているので、仲間同士でも本音で話ができるのである。

そのため、講座を修了された会員は活発に質問されるが、それ以外の方には「下手なことを質問したら恥ずかしい」という気持ちがあるようで、なかなか質問や意見が出ず、私が「何かありませんか」と問うと一斉にうつむいてしまう。この恥ずかしいという思いを取り去らないと、質問もできず意見も言えず、疑問点が解明しないまま帰宅することになって進歩が遅れる。

私は浩洋先生の句会にいた時、先生が私の句を講評される際には「私の句です」と名乗って拝聴し、講評が終わったら必ず「有難うございました」と一言申し添えた。これを毎回繰り返していると、「さあ、何でも仰って下さい」と思うようになり、恥ずかしいという思いが消えたのである。病気の治療をお医者様にお任せするような気持ちだった。お医者様に対して、病気であることを恥ずかしいと思っていては、病気は直せない。すべてをお任せして直して頂く。このような境地になって、羞恥心を取り去ってみてはどうだろう。

2023年9月3日日曜日

虚子の予言

 先日ある結社の主宰と、季重なりや切字について話をする機会がありました。私は季重なりや切字についてはうるさく言う方針ですが、その主宰は、季重なりについても切字についてもあまりうるさく言わないようにしているとのことでした。あまりうるさく言うと作者が委縮してしまうので、出来るだけのびのびと詠むような指導を心掛けているとのことでした。

選をしていると、この作者は季題や切字の使い方について、基礎的な勉強をしていないのではと思うくらい、自由奔放な句が有ります。俳句は人様々であり、型にはめるのはおかしいという選者も居られます。

芭蕉が今の俳句の原型を打ち立てられた時には蕉風と言われる詠み方が有りましたが、芭蕉の没後それが崩れて百家争鳴の状態になりました。数十年後にその状況をを憂いた蕪村が蕉風への回帰を呼び掛け、しばらくは奏功しましたが、やがて再び月並俳諧に堕落してしまいました。明治になって子規により俳句の改革が叫ばれ、虚子の活躍によって客観写生や花鳥諷詠などの作句理念が全国に普及しました。その後、その後虚子の指導に反発する人もあり、幾多の変遷を経て現在の俳句の状況に至っています。

しかし、季重なりの容認や切字の否定などを通じて、再び月並みに戻ろうとする流れが起こってきています。汀子先生が日本伝統俳句協会を立ち上げられたのは、実にこの流れに抗するためだったのですが、少子高齢化も影響して、汀子先生亡き後、伝統俳句に迫力がなくなって来ているように思われます。

昭和10年12月に、赤星水竹居という虚子の高弟が虚子に尋ねました。「先生、百年経ったら、俳句はどうなっているでしょうか」これに対して虚子は「また元の月並みに返りますね」と答えられたと、水竹居著「虚子俳話録」にあります。それから今年で88年。もうすぐ100年になります。テレビの俳句ショーと言い最近の季重なりの状況と言い、虚子の予言が当たるかも知れないという恐ろしさを感じる今日この頃です。

2023年8月5日土曜日

大らかに詠め

 この異常な猛暑についにダウンし、ようやく復活してまいりました。昼の暑さもさることながら夜中の暑さに、命の危険を感じながら過ごしています。先日、平熱が35.6℃と低めの私が37.2℃まで発熱しましたので、これはコロナだと慌てて掛かり付けの医院を受診しました。ところが先生曰く「コロナは38℃以上になるのが普通。もっと高くなったらいらっしゃい」と門前払い。診察の結果は夏風邪。総合感冒薬を頂いて帰って来ました。それでも喉は痛むし咳は出るわ、鼻水は出るわ。尾籠な話で恐縮ですが大変でした。

ところで、先日の句会でこんな句を出して見ました。

   帰ろかな かなかな蝉も帰るころ   伸一路

「かな」をもじった句で、もちろん全く抜けなかったのですが、私は遊びがあって面白い句だと思いました。このような遊びは虚子の句にもあります。

   君知るや薬草園に紫蘭あり     虚子

薬草園に紫蘭という植物が咲いているが、君知っているかね、と虚子が句会の会員に尋ねているのです。会員の答えは「知らん」。紫蘭という言葉を掛けているわけです。

次の句は虚子の正月の句です。

   正月や句はすべからくおほらかに  虚子

この句があるお陰で、どれだけ救われたことか。句が出来ない、詠めないと思い詰める方がおられます。そんなときには虚子のこの句を思い出してみましょう。句はすべからく大らかに詠みましょう。

2023年7月4日火曜日

句点と読点

 文章を区切る時に使う記号に句点と読点とがあります。句点(くてん)とは文章の切れ目に打つ記号で、「。」を使います。読点(とうてん)とは、一つの文章の中で、語句の繋がり方を示すために打つ記号であり、「、」を使います。ややこしい説明で分かりにくいと思いますが、次の文章をご覧ください。

 消防避難訓練を下記の通り実施しますので、居住者の皆様は参加して下さい。

「実施しますので」の次の「、」が読点、文章の最後の「お願いします」の次の「。」が句点です。文章の中継ぎと終了を示しています。

この句読点が適切に打っていないと、文章がどこで切れるのか分からず、意味がはっきりしない文章になってしまいます。次の文章は、ある新聞の記事です。

 記事「大津市で20~30歳代の女性3人が同居する交際相手の男から暴行や脅迫を・・・」  

これを「20~30歳代の女性3人が、同居する交際相手の男性から暴行や脅迫を」と読点を打った場合とを比べたら、どちらが読みやすいでしょうか。

句点は、一つの文章がここで終わるという記号ですから、比較的打ちやすいのですが、読点は、一つの意味の言葉のグループを区切って行くものですから、ある程度訓練を積まないと難しいと思います。「巻頭者の言葉」や「自句自解」、「雑詠後半を読む」などの文章は、編集部の校正担当者が、誤字脱字だけではなく記号もチェックして、より分かりやすい文章に校正しています。「九年母」にご自分の文章が掲載されたら校正された部分がないか確認し、今後の文章作成の参考にして下さい。