2025年1月1日水曜日

アフター百周年

新年明けましておめでとうございます。皆様お元気で、新年をお迎えのことと存じます。今年もどうぞよろしくお願いします。皆様から沢山の年賀状を頂き、有難うございました。心から御礼申し上げます。

 創刊百周年の記念事業が終わり、ほっとしておられる方も多いでしょう。私も、いささか気が緩んだのか、体に様々な変調を来たし、静養中です。大きな目標に向かって進んでいる時は気づかないのですが、いつの間にか疲労やストレスを溜め込んでしまいす。そして目標の事業が終了した時に、その疲労が変調となって体に現れます。私の今の体調は正にそれに当たります。特に「レジェンド 我が源流 五十嵐播水」の執筆が大きな負担になりました。それに風邪の症状も加わり、変調が強く出てしまいました。歳も歳ですので直ぐに良くなるのは難しいでしょうが、ぼちぼち直してゆきます。

戦国乱世の様相が深まって来た俳句界で、これから九年母会をどこへ導くべきか、体調の回復を待って、運営委員の皆さんとじっくり考えたいと思っています。次の大きな事業は令和9年8月号の刊行1200号記念事業です。頭の隅に置いておいてください。今年も元気で頑張りましょう。

2024年12月2日月曜日

随想~俳句の力

 「俳句界」誌から、来年2月号に掲載する随筆の依頼が来ております。締め切りは12月9日。テーマは「人生の苦悩と共に~俳句の力」。もうどんどん筆が進んでいます。

夜中の二時ごろ目が覚めると、あれも書こうこれも書こうと、構想が湧いてきます。このまま二度寝してしまうと構想を忘れる可能性があるので、がばっと起きてパソコンに向かいます。「俳句四季」誌の「レジェンド我が源流五十嵐播水」の三部作の時もそうでした。主治医の先生は体を冷やすから駄目だ、と止められるのです、2~3時間、机に向います。そしてある程度書き進んだら、再度横になります。

私は平成13年、53歳の時に悪性リンパ腫(血液の癌の一種)を発症し、さんざん苦しい思いをしました。しかし俳句のお陰で切り抜けることができたと、そんな内容の随筆にする予定です。楽しみにお待ちください。

2024年11月2日土曜日

100周年記念特集号の刊行

九年母」は大正13年10月20日に創刊号が発行されましたので,この10月号で100年となります。これを記念して11月号を記念特集号としました。と言いましても、主宰の私は雑誌社の原稿の執筆や各地の俳句大会の選に忙殺されていましたので、全て編集部の皆さんの手によって仕上げられました。今まで誰も成し遂げたことのない百周年の記念特集号を自分たちだけで完成させたのです。編集長以下編集部の皆さんに心から拍手を送り思います。

表紙の「九年母」という題字は、昭和22年に虚子にいただいたもので、今回はこれが金色の文字になりました。題字の色を変えたのは、恐らく100年間で初めての事。創刊当時の先輩方がご覧になったらびっくりされる、まさにサプライズであります。記念句や記念文章の発表、句碑の写真、会の歩みを語る年譜など、読み応えのある記事が満載されています。是非,隅から隅までお読みください。

併せて、俳句雑誌「俳句四季」の10月号から12月号まで3か月連続で、「レジェンド 我が源流五十嵐播水」という随筆を連載して頂いておりますので、こちらも併せて読んで頂いて、「九年母」の100年間の歩みを学んで頂ければと思います。 

2024年10月1日火曜日

播水を知る

 「九年母」の表紙をめくると播水の著書「句作随想」の一篇が掲載されています。裏表紙には「五十嵐播水集」から、毎月4句を選んで播水の自句自解を載せています。しかし「九年母」の会員も新旧交代が進み、播水を知らない人が増えて来ました。哲也前主宰すら知らない、新しい会員もおられます。

この度創刊百周年を迎えるに当たり、俳句総合雑誌「俳句四季」誌のご依頼で、同誌の10月号から12月号まで、3ヶ月連続で「レジェンド 私の源流 五十嵐播水」という随筆を毎回4頁にわたって載せることになり、既に10月号は発売されています。この機会に播水のことをもっと知って頂くために是非お読み頂きたいと思います。11月号には「今月のハイライト 九年母百周年」という記事も併せて掲載されますので、是非お読みいただければと思います。「俳句四季」は(株)東京四季出版から発行されています。

同誌では、かつて「九年母75周年」の随筆を播水が、「九年母80周年」を哲也が書きましたが、この度の「100周年」は、私の播水研究の集大成として原稿用紙50枚で書き上げました。「九年母」にとってこの100年とは何だったのか、播水が何故70年という長い間主宰を務められたのか、一緒に考えてみましょう。

2024年9月3日火曜日

伝統俳句協会の新体制について

 日本伝統俳句協会は、有記定型の伝統俳句を継承・普及させ、その精神を深め、文化向上に寄与することを目的として、昭和62年、故稲畑汀子先生により設立され、翌63年に社団法人としての認可が下りました。さらに平成24年に公益社団法人の認可を受け今日に至っています虚子の提唱された「花鳥諷詠」という作句理念をないがしろにする風潮に危機感を覚えた汀子先生の決断で、「花鳥諷詠」を守るために創立された俳句団体です。

当然のことながら、中心となって運営に当たって来られたのは汀子先生であり、その活動を支援してきたのが俳句結社「ホトトギス」とホトトギス系の俳句結社の会員です。沢山の俳人が協会の会員になり、九年母会も法人会員として加盟、私は協会の評議員を務めています。

関西には同協会の関西支部という名称の団体があり、支部長以下種々の組織があり、協会の下部組織として、俳句大会などの地域の活動を行っています。私は関西支部の監査役を務めています。山西前支部長の逝去に伴い、関西支部の組織が一新され、戸田祐一新支部長の下、新体制が9月1日からスタートしました。

先日新しい支部の会議に監査役として出席しましたが、各委員の発言も活発で的確、この体制ならばと期待できると感じました。汀子先生亡き後、俳句三協会統一の動きなど俳句界の一部に混乱が見られますが、関西支部は新しい体制の下、伝統俳句をしっかり守って行きたいものです。

2024年8月1日木曜日

随筆集の刊行

 今年ももう8月。早いものです。11月には九年母創刊100周年の祝賀会が待っています。ひとつひとつ問題を解決して、立派な祝賀会にしましょう。

生田神社に100周年記念の句碑が建立されました。建立基金を協賛していただいた会員に何か記念になる物を、と同人会からお話を頂きましたので、私が主宰に就任して以来九年母誌に掲載しました随筆の中から適当なものを選んで一冊の本にまとめることにしました。播水先生は在任70年間の間に10冊の随筆集を刊行されました。平均すると7年に1冊です。私は9年目にして第1号になります。

随筆集の名前は『漣月集』(れんげつしゅう)。琵琶湖の湖面の漣に映る月の影。私の祖父が大正から昭和の初めの頃に所属していました「漣月句会」から採ったものです。サイズは九年母誌と同じで、厚さは九年母誌2冊分。190頁ほどの手頃なサイズになる予定です。字も大きくして読みやすくしました。目下著者校正の最中です。楽しみにお待ちください。

今朝4時半頃窓を開けたら、蝉の声が全く無く、小鳥の声が聞こえていました。9時頃郵便局に行きましたら、近所の庭に桔梗が咲いていました。道には蝉の亡骸が幾つか落ちていました。日中は40度近い猛暑が続いていますが、季節は着実に秋に向かっています。7日は立秋。小さい秋を探してみましょう。

2024年6月1日土曜日

ペーロン吟行会

 5月26日の日曜日、本部吟行で相生市の恒例行事であるペーロン祭を訪れた。私は前日の姫路句会が終わった後、相生に移動してホテルに泊まり、翌朝九年母の皆さんと駅で合流し、吟行先の相生湾に向かった。徒歩で20分、初めて訪れた相生市の市街地や、川に泳ぐボラやチヌ、クラゲの様子を興味深く見物した。

会場に着くと屋台もたくさん出て大変な人出。ペーロン船の競漕も始まっていた。ところが、いつもの吟行と違って人出に圧倒されたのか、精神集中が出来なかった。船を詠めばよいのか、周りの新緑を詠めばよいのか焦点が定まらず、感動が掴めなかった。

句会が始まり、回覧された清記を見て、同行の他の人達も同じだったことが分かった。全体的に成績も振るわなかった。通常、本部例会、本部吟行とも入選率は平均して35%ほど。ところが今回のペーロン吟行の入選率は20%だった。

その原因は説明句が多かったことだ。詩を描くのではなく、ペーロンの説明をしてしまったのだ。詳しくは7月号の随筆でお話しする。当日の成績が振るわなかった方、落胆するには及ばない。観光としては楽しかったが、吟行には無理だったのだ。但し、これは吟行に行って初めて分かったこと。今後の参考になった。

俳句はじっくり腰を落ち着けて心を澄まして感動を探る文芸だ。陸上競技に詫び・寂びを見出すのは至難の業だ。スポーツを詠むのは難しい。しかし、楽しい思い出にはなった。