2022年2月2日水曜日

オミクロン株との戦い

 年が明けた1月3日の新型コロナウイルスの感染者は、東京都で103人、大阪府で79人、兵庫県で12人、全国で673人でしたが、その後変異種のオミクロン株が大爆発して、毎日テレビでは「過去最多」を繰り返し、無機質な数字を羅列しています。昨日の2月1日には、全国の感染者が8万人を越えました。

デルタ株の時は飛沫感染が主体とされていましたので、アクリル板を立てる等、飛沫が掛からないように防御して来たのですが、オミクロン株は、一説ではインフルエンザと同じく空気感染すると言われていますので、呼吸をする限り、誰がどこで、原因も無くうつっても不思議ではありません。呼吸を止める訳には行きませんから、今までのような、手を洗う、人との距離をとる、換気をする、うがいをする、検温するなどの基本的な防衛策に加えて、三度目のワクチンの接種や、免疫力を高めるなどの自己防衛も大切です。

体調に不安を感じたら出歩かない事です。句会も遠慮なく欠席しましょう。その方が他の参加者の為でもあります。いたずらに罹患者の数字に怯えることなく、睡眠と栄養を十分採って規則正しい生活を心掛け、体を冷やさないようにしましょう。睡眠が十分にとれない方は、俳句を詠みましょう。俳句の本を読みましょう。眠れないからと言って雑事に心を悩ませ悶々とするくらいなら、起きて俳句を詠むことです。句会の兼題を調べて詠みましょう。すぐに眠くなるはずです。ウイルスに負けないように頑張りましょう。もう少しの辛抱です。

2022年1月1日土曜日

実作の勧め

 新年は朝日を浴びる小形の鷹、チョウゲンボウの美しい姿から始まりました。

明けましておめでとうございます。

最近、水原秋櫻子の「高濱虚子」という本を読み直しました。虚子の指導方法について、青年らしい潔癖感と正義感とを持って厳しい批判を展開し、虚子から離別した理由を縷々述べている著作です。私は虚子に直接指導を受けておりませんので、一方的な批判には与みできませんが、当時の青年たちの、俳句に対する情熱はひしひしと伝わって来ます。

酒を飲みながら熱心に俳論を戦わせる。俳句は情を詠むべきものか、それとも景を詠むものか。余情を表現するものか、写生に徹するものか。自然上の善か芸術上の善か。大いなる議論の結果、虚子の門から数多の優秀な青年たちが離れて行きました。このような議論の中から俳句の多様性が生まれたことは、結果として俳句文化の興隆に大きな力となったと思います。

しかし、議論から生まれるものは孤立と分断です。幸いにも先師五十嵐播水はこの議論に与みせずに実作を尊び、終生虚子を師と仰ぎました。ある退会された方が「九年母」には議論が無いと言っておられましたが、私は議論を好みません。私の任務は、100年続く「九年母」を維持継続して行くことであり、孤立と分断ではありません。創設後間もない結社であれば、その進むべき方向を巡っての議論も必要でしょうが、「九年母」のような円熟期にある結社ではそんな必要は有りません。

私達は、播水の教えに従って、議論ではなく実作に重きを置くべきです。平明余情・客観写生・花鳥諷詠などの作句理念には心を置きつつもそれに凝り固まることなく、自分の感性に従ってひたすら実作に励みましょう。自分の感動を読者に伝えるにはどう詠めばよいか。理論ではありません、実作です。

2021年12月4日土曜日

句作力と選句力

今日は灘区文化センターの俳句入門講座でした。前任の九年母同人、故西尾苑さんから講師を引き継いで早や16年。講座を終了された皆さんは、九年母の主要メンバーとして、また他の結社の有力会員として活躍されています。

野鳥句会や千鳥句会など、講座のOBの句会で常々お話していること、それは選の重要性です。優れた俳句を詠むことは、俳人の最大の願望です。兼題で詠んだり吟行に出掛けたりと、優れた一句を得るために、日々懸命に努力しています。

しかし俳人には、作者としての立場と共に選者としての立場も有ります。句会や大会に出れば選者だけでなく、参加者全員で互選をします。互選を通じて、自分が気付かなかった季題の解釈や表現の仕方に巡り合うことがしばしばあります。回覧される清記を通じて学ぶことは沢山あります。これを無駄にはできません。清記は俳句の生きた教科書です。どんどん会得したいものです。

しかし、そうだからと言って清記を全部丸写ししても、清記の回覧が遅くなるだけで、自宅に帰ってから復習しなければ何の意味もありません。自分が知らなかったことや、感動した表現などを控えて帰って何度も復習し、句作に活用することが大切です。例え句会の成績が振るわない日が有ったとしても、良い選が出来れば喜びとしましょう。選と句作は俳句の両輪。両方上達しないと、俳句と言う車は真直ぐには進みません。句作力が上達すれば、自ずから選句力も上達します。その逆もまた真なりです。

2021年11月1日月曜日

俳号を付ける

 私は本名を伸市郎と言います。祖父が真一だったことと、母方の本家が代々「市兵衛」を名乗っていたことから、叔父が付けてくれたと聞いています。俳号の「伸一路」は昭和57年、最初の師匠の古澤碧水(西宮俳句協会会長・九年母推薦作家)から貰ったもので、言うまでもなく本名から採ったものです。「小さな杉が一路伸びて行くとは良い俳号を付けたものだ」と俳句雑誌「俳句四季」の読者の声の欄で褒めて頂いたことが有りました。

この度、この例に倣いまして、仲井慶次さんに「慶舟」、影山里美さんに「里風」という俳号をお贈りしました。平川和代さんに「白羽」を差し上げてから久しく無かったのですが、思い切ってお二人にお話し、受けて頂いたものです。

大多数の俳人は俳号を名乗らず本名で活躍をしておられますが、俳号を持つことにより一段の飛躍を遂げられる方も多数おられます。師匠や尊敬する先輩に付けて頂くのも良く、またご自分で工夫されて俳号を名乗られるのも良いでしょう。正岡子規は本名「常規(つねのり)」ですが、新聞記者として従軍中に喀血したので「鳴いて血を吐くほととぎす」から「子規(ほととぎすの意)」を号とし、その弟子の寒川陽光(さむかわ あきみつ)は、病床の子規やその家族を献身的に見守った人ですが、自身が粗忽者であるからとして「鼠骨」を号としたと聞きます。高濱虚子は本名の「清」から、河東碧梧桐は本名の「秉五郎(へいごろう)」から採ったものだそうです。

私の母方の祖父は本名が「健治」でしたが、「明水」という俳号を名乗っていました。明治生まれだったので「明水」と付けたのでしょう。ご自分の気に入った俳号を名乗ってみましょう。句会で初めて俳号を名乗った瞬間、自分が自分でなくなった様な不思議な感覚がしますが、慣れて来ると俳号に愛着が湧いてくるから不思議です。

2021年10月1日金曜日

100周年記念事業

 九年母会の前身の「盟友会」は、大正4年(1915年)6月、和歌山市郊外の吉田村秋月にある耕月寺にて呱々の声をあげました。暫くはガリ版刷りの機関誌を発行していましたが、大正13年(1924年)10月に、俳誌「九年母」の創刊号を発行しました。雑詠の初代選者は木村桑雨、誌代は3ヶ月35銭でした。

大正14年、発行所の名称を九年母会と変更し、翌15年、山本梅史が選者となりました。さらに昭和5年、五十嵐播水が編集者兼発行人(主宰)となり、昭和9年に神戸に本拠を移転しました。主宰はその後、播水から哲也に引き継がれ、現在の伸一路に至っています。「盟友会」発足から既に106年が経過していますが、「九年母」の創刊からは、令和6年(2024年)に100周年を迎える事となります。全国の俳誌の中でも屈指の長寿です。

去る9月26日に開催された九年母運営委員会では、この100周年記念事業が議題になりました。具体的な計画については、次回12月の委員会までに各委員が案を練って来ることになりましたが、3年後にはコロナ禍も解消されている事でしょうから、会員各位には今から楽しみにお待ちください。また、記念事業についてご意見やご提案がありましたら、各委員にご連絡をお願いします。。

2021年9月1日水曜日

名著を読む

 新型コロナウイルスの感染が猛威を振るっています。お盆の帰省や夏休みのレジャーで感染が全国に広がり、衰えを知りません。句会や吟行が中止になったので俳句が詠めないという嘆きを、毎日のように耳にします。居籠りやコロナ籠りという言葉も聞こえて来ます。どうしたらよいでしょう。私は、折角時間が有るのだから、俳句の名著と呼ばれる本を読んだらどうかと思います。

先ず第一に挙げられる名著は、高濱虚子著「虚子俳話」です。昭和38年、俳誌「ホトトギス」の800号記念として刊行された俳論集で、虚子の俳句に対する考え方が、余すところなく述べられています。以来、様々な形で版が重ねられ、伝統俳句を学ぶ者の、初心者には入門書となり、ベテラン俳人には心の拠り所として愛読されています。

「虚子俳話」を読み終えたら俳誌「九年母」育ての親である五十嵐播水の著作を読みましょう。私の手許にある著作を列記しておきます。

    句集 「月魄」昭和15年 「石蕗の花」昭和28年 

       「老鶯」昭和46年 「秋燕」昭和55年 

    句文集「港の四季」昭和54年

    俳論集「句作雑話」昭和35年  「一頁の俳話」昭和40年 

       「句作春秋」昭和47年  「俳句になるまで」昭和50年

       「句作随想」昭和57年

    随筆集「兵庫歳時記」昭和43年  「虚子門に五十余年」昭和52年

           「一老医のあしあと」昭和61年 「流るる月日」平成元年

 播水の著書は全て絶版になっています。私は古書店を回ったり、先輩から頂いたりして揃えました。今の時代はインターネットの古書市場で検索が出来ますので、是非探してみて下さい。また、もしお手元に読まなくなった播水の著作があれば、譲って下さい。若い方に伝えて行きたいと思います。

居籠りの時間を有効に使いましょう。

2021年8月1日日曜日

褒められて育つ

 東京オリンピックが華々しく開催されています。テレビを点けたらいろんなチャンネルが様々な競技の模様を放映しています。日本勢の活躍も目覚ましく、柔道を初めとしてメダルラッシュが続いています。中には5大会連続で出場している選手も。

何でそんなに出たいと思うのでしょう。今月号の九年母誌の「新同人の言葉」の欄で田辺市の作田さんが語っておられますが、褒められると嬉しいから俳句を続けられる、これだと思います。旧海軍大将山本五十六に有名な言葉があります。

 やってみせて 言って聞かせて させてみせ 褒めてやらねば 人は動かじ

この「褒めてやらねば」の部分、逆に言えば、褒めてやれば人は動くのです。スポーツでも俳句でも同じです。オリンピックで金メダルを受賞することは、スポーツ選手にとって最高の褒められ方でしょう。だから5大会連続出場ができるのです。俳句の世界でも、九年母の齊木富子さんや田中順子さんが全国俳句大会の大賞を受賞され、称賛を浴びました。このように褒められると、もっともっと努力してこの名誉に恥じないように成長しようと思うのです。

褒めることは人を育てる要諦。褒めずに貶すばかりの師匠についた人は、お気の毒です。