今年も但馬の桔梗の御寺遍照寺へ吟行に出かけた。参加者は神戸から5名、赤穂から4名、そして鳥取から2名の、合計11名。内訳は女性8名、男性3名。神戸の5名は殆ど毎日顔を合わせている、気心も技量も熟知している仲間。これが今回の発起人だ。そして呼び掛けた先が赤穂と鳥取。この三者の間には、名前は知っているもののほとんど面識がなかった。しかしそれでも赤穂と鳥取の皆さんは参加してみようと思い立たれた。
全く面識が無くても、お互いに九年母の会員と言うだけですぐ打ち解けられる、これが九年母会の90年の歴史が育んできた懐の深さである。九年母の会員というそれだけで、播水先生から推薦状を頂いているような親しみを覚える。不思議な感覚である。今回もそうだったのだろう。お互いに面識が無くても、主宰を中心とする同心円の仲間なのだ。初対面でも直ぐに句会ができる。しかし、結社が違うとと戸惑う。どうしてよいか分からないからだ。
それにしても良く参加されたものだ。共通している認識は主宰を知っている、という事だけ。遍照寺での吟行時間は30分のみ。片道3時間をかけての吟行では、句会と帰路の時間を勘案すればこれが限界。その短時間で俳句が出来るか出来ないか分からないが、行ってみようと決意された。これは勇気のいる決断だっただろう。それでも仲間を誘って参加され、句会では全員が入選された。この事は、きっと大きな自信になると思う。やったら出来る、と。
何事につけても、引っ込み思案の人がいる。俳句の世界では、引っ込み思案で大成した人はいない。芸術家というものは、ある程度自分を押し出していかないと世には出られない。そのためにも、先ず一歩踏み出す勇気を持つことが大切だ。帰りの電車の中では様々な質問をお聞きし、分かる範囲で丁寧にお答えした。生れてはじめて私に質問された方も有った。満足な回答であったかどうか分からないが、その勇気を称えたい。一歩を踏み出されたからだ。
御寺へと逸る心や秋の晴 伸一路
2015年10月11日日曜日
存問の一例
虚子はその著『虚子俳話』の中で、「お寒うございます、お暑うございます。日常の存問が即ち俳句である」と述べておられる。広辞苑を見てみると、「(存とは見舞う意)安否を問うこと。慰問すること」とある。つまり、存問とは挨拶をすること、と考えてよいと思う。
先日NHKの番組で、「勿体ない」という言葉を採り上げていた。飽食の時代であっても、食べ物を粗末にすることは勿体ない事である。この言葉を念頭に置いて、もう一度日常の生活を見直すべきではないか、との問題提起であった。
この場合の勿体ないは、当事者と廃棄される、又は粗末にされる物との関わり方である。粗末にする人とされる物との関係である。俳句で言えば、作者と季語との関係と言える。これに対して、関西地方では、別の意味の「勿体ない」がある。
かつて札幌で勤務していた時のことである。幼稚園児であった娘が腎臓を患い入院したことが有った。家内の母が滋賀から飛行機で駆けつけてくれた。私と二人で自宅を出る際、義母の靴の向きを直して置いてあげた。それを見た義母が「ああ、勿体ないこと」と言ってくれた。この「勿体ない」と食べ物の「勿体ない」とは、全く違うものである。
ここには、義母という有難い方の靴を揃えるという私の行為と、その行為を有難いものとして受け取った義母との、心の交流がある。その心の交流を、虚子は存問という俳句理念に掲げられたのではないかと思う。この事は俳句で言えば、作者と季題との関係であり、季題を媒介とした作者と読者との心の交流、つまり存問が俳句なのである。
食進む新米といふそれだけで 伸一路
先日NHKの番組で、「勿体ない」という言葉を採り上げていた。飽食の時代であっても、食べ物を粗末にすることは勿体ない事である。この言葉を念頭に置いて、もう一度日常の生活を見直すべきではないか、との問題提起であった。
この場合の勿体ないは、当事者と廃棄される、又は粗末にされる物との関わり方である。粗末にする人とされる物との関係である。俳句で言えば、作者と季語との関係と言える。これに対して、関西地方では、別の意味の「勿体ない」がある。
かつて札幌で勤務していた時のことである。幼稚園児であった娘が腎臓を患い入院したことが有った。家内の母が滋賀から飛行機で駆けつけてくれた。私と二人で自宅を出る際、義母の靴の向きを直して置いてあげた。それを見た義母が「ああ、勿体ないこと」と言ってくれた。この「勿体ない」と食べ物の「勿体ない」とは、全く違うものである。
ここには、義母という有難い方の靴を揃えるという私の行為と、その行為を有難いものとして受け取った義母との、心の交流がある。その心の交流を、虚子は存問という俳句理念に掲げられたのではないかと思う。この事は俳句で言えば、作者と季題との関係であり、季題を媒介とした作者と読者との心の交流、つまり存問が俳句なのである。
食進む新米といふそれだけで 伸一路
2015年10月7日水曜日
秋の声
去る9月12・13日の両日、(公財)日本伝統俳句協会の第26回全国俳句大会が 、新潟県の越後湯沢にて開催された。
峰寺に別れ惜しめば秋の声 征一
金沢の今村征一様が、その大会でお詠みになった句である。吟行に出かけると、ついその土地の固有名詞を入れがちであるが、この句は峰寺とだけ詠んである。このため、全国のあらゆる峰寺を想起できる、普遍的な句となった。読者は、自分が親しくしている峰寺に身を置いて、この句を鑑賞できるのである。
この句で使われている「秋の声」という季題について、考えてみよう。具体的に挙げればどんな音があるだろうか。例えば、枯葉の葉擦れの音。残暑の頃の、木の葉もまだ活力を残している頃の葉擦れの音ではない。晩秋の風が木々を吹く音だ。
澄み切った川の水も、晩秋の音を立てて流れる。堰を落ちる水も澄んだ音を立てる。錆びた狗尾草から聞こえて来る、すがれた虫の声。枯れた菊を焼く音。越冬の準備に入った鵙の高音。芒を吹く風の音。他にも様々な秋の音が有るだろう。これらを全部纏めて、「秋の声」を滅び行く命の声と解釈出来ないだろうか。「秋の音」ではなく「秋の声」なのだ。
掲句の「別れ惜しめば」という措辞には、再び会うことが叶わないかも知れない、という思いが込められている。だから「秋の声」が聞えるのだ。「峰寺」という場所が暗示する一期一会の観念と、「秋の声」という季題とが響き合って、別れを惜しむ思いが見事に表現されている。
今月29日には神戸の摩耶山で、第24回摩耶山俳句大会が開かれる。読者諸氏も峰寺に登って、秋の声を聞かれては如何だろう。
峰寺に別れ惜しめば秋の声 征一
金沢の今村征一様が、その大会でお詠みになった句である。吟行に出かけると、ついその土地の固有名詞を入れがちであるが、この句は峰寺とだけ詠んである。このため、全国のあらゆる峰寺を想起できる、普遍的な句となった。読者は、自分が親しくしている峰寺に身を置いて、この句を鑑賞できるのである。
この句で使われている「秋の声」という季題について、考えてみよう。具体的に挙げればどんな音があるだろうか。例えば、枯葉の葉擦れの音。残暑の頃の、木の葉もまだ活力を残している頃の葉擦れの音ではない。晩秋の風が木々を吹く音だ。
澄み切った川の水も、晩秋の音を立てて流れる。堰を落ちる水も澄んだ音を立てる。錆びた狗尾草から聞こえて来る、すがれた虫の声。枯れた菊を焼く音。越冬の準備に入った鵙の高音。芒を吹く風の音。他にも様々な秋の音が有るだろう。これらを全部纏めて、「秋の声」を滅び行く命の声と解釈出来ないだろうか。「秋の音」ではなく「秋の声」なのだ。
掲句の「別れ惜しめば」という措辞には、再び会うことが叶わないかも知れない、という思いが込められている。だから「秋の声」が聞えるのだ。「峰寺」という場所が暗示する一期一会の観念と、「秋の声」という季題とが響き合って、別れを惜しむ思いが見事に表現されている。
今月29日には神戸の摩耶山で、第24回摩耶山俳句大会が開かれる。読者諸氏も峰寺に登って、秋の声を聞かれては如何だろう。
2015年10月4日日曜日
名人と共に
毎月最も緊張する句会が終わった。汀子先生宅で開かれる下萌句会である。この句会の緊張感に比べたら、本部例会・本部吟行など物の数ではない。3日前から緊張モードに入る。物を言わなくなる、部屋に籠り切りになる等、明らかに通常と違う雰囲気になる。
汀子先生のお宅まで徒歩で20分。しかし往路は家内に車で運んでもらうかバスで向かう。午後1時に邸内に入ると、先ずお庭に回り、季節の句材が有れば句作。玄関に戻り、脇の池の金魚を眺めてから入る。金魚を見ると、何故か気持ちが落ち着く。20畳ほどの広さがある応接間に入り、先着の方々に挨拶してからいつもの席に着席、2時の締め切りまで静かに推敲する。やがて20数名の方が揃う。汀子先生が入って来られたら全員起立して挨拶する。このようにして通い詰めて、もう9年になる。
今日は4名の方が欠席されたが、いつものように格調高い句会となった。5句出句の5句選で、全句入選の方が1名、4句が1名、3名が7名、2句が7名。余は1句の方。私は3句入選で、まずまずの成績だった。汀子先生の句は3句採れ、一致率指数は68.0だった。
この句会も高齢化が着実に進んできた。最高齢は大正14年生れ。昭和1桁の方も多い。名乗に手間が掛かる様になって来た。先生も耳が少し遠くなられた。それでも素晴らしい句を拝見でき、うっとりする。
水近き名残りの萩を誘ふ風 仁子
今月号の「九年母」の招待席にご出句頂いた仁子(きみこ)さんのお句である。お庭の萩をお詠みになったのであろう。嘱目即吟でここまで詠めるとは、素晴らしい事である。
汀子先生に、九年母主宰を継承して6ヶ月が過ぎたが、会員諸氏のご協力で無事運営できていることを報告し、喜んで頂いた。
投釣の糸の伸び行く秋の空 伸一路
汀子先生のお宅まで徒歩で20分。しかし往路は家内に車で運んでもらうかバスで向かう。午後1時に邸内に入ると、先ずお庭に回り、季節の句材が有れば句作。玄関に戻り、脇の池の金魚を眺めてから入る。金魚を見ると、何故か気持ちが落ち着く。20畳ほどの広さがある応接間に入り、先着の方々に挨拶してからいつもの席に着席、2時の締め切りまで静かに推敲する。やがて20数名の方が揃う。汀子先生が入って来られたら全員起立して挨拶する。このようにして通い詰めて、もう9年になる。
今日は4名の方が欠席されたが、いつものように格調高い句会となった。5句出句の5句選で、全句入選の方が1名、4句が1名、3名が7名、2句が7名。余は1句の方。私は3句入選で、まずまずの成績だった。汀子先生の句は3句採れ、一致率指数は68.0だった。
この句会も高齢化が着実に進んできた。最高齢は大正14年生れ。昭和1桁の方も多い。名乗に手間が掛かる様になって来た。先生も耳が少し遠くなられた。それでも素晴らしい句を拝見でき、うっとりする。
水近き名残りの萩を誘ふ風 仁子
今月号の「九年母」の招待席にご出句頂いた仁子(きみこ)さんのお句である。お庭の萩をお詠みになったのであろう。嘱目即吟でここまで詠めるとは、素晴らしい事である。
汀子先生に、九年母主宰を継承して6ヶ月が過ぎたが、会員諸氏のご協力で無事運営できていることを報告し、喜んで頂いた。
投釣の糸の伸び行く秋の空 伸一路
2015年9月30日水曜日
憩いの一時
早いもので、本日で主宰就任から6ヵ月が経過した。編集部や発行所も順調に稼働し、さしたる事故もなく運営が続いている。文學の森の「俳句界」、角川学芸出版の「俳句」、そして東京四季出版の「俳句四季」の3大総合俳句雜誌に継承に関する記事を掲載し、全国レベルで認知して頂いた。「俳句界」のグラビアの写真撮影や3時間に亘るインタビューも有った。兵庫県俳人協会の副会長に選任され、住吉大社の献詠俳句の選者に就任した。全てこの6か月間の出来事である。
九年母10月号の発送が終わり、本日午前中に月末の事務が全て終わったので、近くにあるスパに行って来た。風呂好きの私の、至福の時である。ぬるい目のお湯にゆっくり浸かりながら、6か月間の出来事を振り返り、これで良かったのか考えた。発行所の事務は順調で、会員も就任以来4名増加した。編集部の皆さんの習熟度も向上し、毎月の発行も順調だ。主宰就任に際し、雑詠選の厳選化を宣言したが、この6ヵ月間で雑詠の水準が飛躍的に向上した。これは、雑詠投句に緊張感が出て来た事によるものだろう。
6ヵ月目の本日、雑詠選の状況について浩洋先生に報告し、厳選化の推進に改めてご賛同頂いた。かつて播水先生の頃は、雑詠選で4句に入選する方は、全体の0.5%程度であった。10月号では25%程度である。『未央』の古賀しぐれ主宰にお聞きしたところ、やはりその程度だとのこと。時代の変化もあり、会員数も減少して来ているので、播水時代と同じ様には出来ないが、雑詠の価値を向上させるためには大切な事である。継承前は、4句の入選者が75%程度であり、厳選化に伴う混乱も見られるが、やがて理解が行き渡り、落ち着いてくることと思う。
途中の休憩も含めて2時間半、ジャグジーや2種類のサウナ、阿蘇の小国温泉と同じ泉質の岩風呂などのお湯を楽しんだ。明日から下半期の仕事が始まる。就任1年に向かって、新たな気持ちで取り組んで行きたい。
九年母10月号の発送が終わり、本日午前中に月末の事務が全て終わったので、近くにあるスパに行って来た。風呂好きの私の、至福の時である。ぬるい目のお湯にゆっくり浸かりながら、6か月間の出来事を振り返り、これで良かったのか考えた。発行所の事務は順調で、会員も就任以来4名増加した。編集部の皆さんの習熟度も向上し、毎月の発行も順調だ。主宰就任に際し、雑詠選の厳選化を宣言したが、この6ヵ月間で雑詠の水準が飛躍的に向上した。これは、雑詠投句に緊張感が出て来た事によるものだろう。
6ヵ月目の本日、雑詠選の状況について浩洋先生に報告し、厳選化の推進に改めてご賛同頂いた。かつて播水先生の頃は、雑詠選で4句に入選する方は、全体の0.5%程度であった。10月号では25%程度である。『未央』の古賀しぐれ主宰にお聞きしたところ、やはりその程度だとのこと。時代の変化もあり、会員数も減少して来ているので、播水時代と同じ様には出来ないが、雑詠の価値を向上させるためには大切な事である。継承前は、4句の入選者が75%程度であり、厳選化に伴う混乱も見られるが、やがて理解が行き渡り、落ち着いてくることと思う。
途中の休憩も含めて2時間半、ジャグジーや2種類のサウナ、阿蘇の小国温泉と同じ泉質の岩風呂などのお湯を楽しんだ。明日から下半期の仕事が始まる。就任1年に向かって、新たな気持ちで取り組んで行きたい。
2015年9月29日火曜日
俳句の位置づけ
昨夜はスーパームーンの十六夜。お月見を堪能された事と思う。出ていますよ、とメールを頂いた。ベランダから眺めていると、大阪空港へ降りて行く飛行機の灯が、いかにも貧弱なものに見えた。やはり、大自然の営みは素晴らしい。
前日の十五夜は、大阪の住吉大社で鑑賞した。住吉大観月祭が18時から開催され、献詠俳句と短歌の入選者の表彰式が行われた。私も選者の一人として参列、この方があの句をお詠みになったのか、と感慨を持って表彰式を見守った。
我が九年母からも沢山の応募が有り、次の皆さんが入選された。改めてお祝い申し上げる。
地賞 宮の月世にことのはの尽くる無し 小柴智子
佳作 復興の祈りよ届け今日の月 安本惠洋
佳作 今日の月宇宙に心馳せもして 宮下美智子
600句近い中から天・地・人の3賞と佳作10句、計13句が選ばれる。3句に選ばれる確率は、単純に計算すれば0.5%。しかし面白いもので、最終選考に残ったのは14句。5人の選者の誰が見ても、良い句は良いのである。献詠という事も有って、応募句のほとんどすべてが伝統的な詠み方であり、同じ土俵の上で優劣を戦える、という安心感も感じられた。
ところで、長田、生田、廣田、住吉という、大阪湾を取り巻くかつての大社・中社は、いずれも神功皇后の海外遠征に因んで創建されたものと言われているが、どのお宮の宮司も短歌を良くされる。住吉大社の献詠でも、メインはやはり短歌だ。
満月の昇った反橋(太鼓橋)の上で、冷泉流により天・地・人賞を受賞をした短歌が朗詠された。実に幽玄な世界である。佳作10句も、吟詠家の女性によって美しく朗々と詠い上げられた。
短歌に続いて、神職によって俳句が朗詠されたが、悲しいかな、短歌のように朗々とはいかない。五・七・五では、あっという間に終わってしまう。俳句らしいといえば、そうかも知れない。それにつけても、俳句の母屋としての短歌の存在を思い知らされた。選者による玉串奉奠でも、その他の事につけても、先ず短歌が優先。これが日本古来の文化かも知れない。
しかし、芸術に優劣はない。かつて桑原武夫氏が俳句を第二芸術と貶めた事が有ったが、俳句を知らない学者の論に過ぎない。俳句は、国民大衆の中に有って感動を伝えあう文芸なのである。新聞のコラムや記事の中に、軽いタッチで登場するのは、圧倒的に俳句が多い。それだけ俳句は大衆に支持され、愛されているのだ。それが俳句なのである。
黒々と千古の樟や望の月 伸一路
歌神に捧ぐる一句月今宵 同
前日の十五夜は、大阪の住吉大社で鑑賞した。住吉大観月祭が18時から開催され、献詠俳句と短歌の入選者の表彰式が行われた。私も選者の一人として参列、この方があの句をお詠みになったのか、と感慨を持って表彰式を見守った。
我が九年母からも沢山の応募が有り、次の皆さんが入選された。改めてお祝い申し上げる。
地賞 宮の月世にことのはの尽くる無し 小柴智子
佳作 復興の祈りよ届け今日の月 安本惠洋
佳作 今日の月宇宙に心馳せもして 宮下美智子
600句近い中から天・地・人の3賞と佳作10句、計13句が選ばれる。3句に選ばれる確率は、単純に計算すれば0.5%。しかし面白いもので、最終選考に残ったのは14句。5人の選者の誰が見ても、良い句は良いのである。献詠という事も有って、応募句のほとんどすべてが伝統的な詠み方であり、同じ土俵の上で優劣を戦える、という安心感も感じられた。
ところで、長田、生田、廣田、住吉という、大阪湾を取り巻くかつての大社・中社は、いずれも神功皇后の海外遠征に因んで創建されたものと言われているが、どのお宮の宮司も短歌を良くされる。住吉大社の献詠でも、メインはやはり短歌だ。
満月の昇った反橋(太鼓橋)の上で、冷泉流により天・地・人賞を受賞をした短歌が朗詠された。実に幽玄な世界である。佳作10句も、吟詠家の女性によって美しく朗々と詠い上げられた。
短歌に続いて、神職によって俳句が朗詠されたが、悲しいかな、短歌のように朗々とはいかない。五・七・五では、あっという間に終わってしまう。俳句らしいといえば、そうかも知れない。それにつけても、俳句の母屋としての短歌の存在を思い知らされた。選者による玉串奉奠でも、その他の事につけても、先ず短歌が優先。これが日本古来の文化かも知れない。
しかし、芸術に優劣はない。かつて桑原武夫氏が俳句を第二芸術と貶めた事が有ったが、俳句を知らない学者の論に過ぎない。俳句は、国民大衆の中に有って感動を伝えあう文芸なのである。新聞のコラムや記事の中に、軽いタッチで登場するのは、圧倒的に俳句が多い。それだけ俳句は大衆に支持され、愛されているのだ。それが俳句なのである。
黒々と千古の樟や望の月 伸一路
歌神に捧ぐる一句月今宵 同
2015年9月26日土曜日
神戸の芸術文化
九年母10月号の最終校正も終わり、印刷に掛かった。29日には発送作業がある。昨日は11月号の原稿校正があり、印刷所に回す前の雑詠選や同人作品、巻頭者の言葉、自句自解、私の俳歴などの原稿を通覧して、字の誤りなどを点検した。新しいスタッフの仲間も仕事に慣れ、俳句に対する素晴らしい意欲を秘めつつ、粛々と作業を進めておられ、まことに頼もしい限りである、
原稿校正が午前中で終わったので、午後は三宮の中央図書館で12月号の雑詠の選をした。5時20分に図書館を出て生田神社会館で開催された「第18回 アーテイストの集い」に参加した。この会は、神戸で活躍する様々な分野の芸術家の集いで、東京オリンピックの前年、昭和38年に「8の会」として発足した。資料を見てみると、1979年(昭和54年)の開催案内状には、五十嵐播水の他、小松左京、田辺聖子、小磯良平、奈良本辰也、佐治敬三、朝比奈隆、藤本義一など、各ジャンルを代表する先輩方が、世話人として名を連ねておられる。
今回出席した方は全部で129名。吉本副知事や久元神戸市長も来ておられた。俳句部門では、兵庫県俳句協会の五十嵐哲也顧問ご夫婦、澤井洋子会長、副会長の私の4名だけだった。圧倒的に多かったのが音楽関係と美術関係。私の居たテーブルは、俳句関係4名の他は、筝曲、洋画、建築の専門家であった。皆が「先生」で呼び合い、一種独特の雰囲気を醸し出していた。私は初参加であり、おとなしくしていたが、アルコールの作用も有って皆さん大いに盛り上がり、ステージの上では声楽家がソプラノの高い音を響かせ、イタリア歌曲の次は童謡の「赤とんぼ」と、ごった煮の様相を呈していたが、自分の信じる道にそれぞれが酔っていた。芸術家だけの集まりも良いものである。これからどんな人脈が出来て来るか、楽しみだ。
原稿校正が午前中で終わったので、午後は三宮の中央図書館で12月号の雑詠の選をした。5時20分に図書館を出て生田神社会館で開催された「第18回 アーテイストの集い」に参加した。この会は、神戸で活躍する様々な分野の芸術家の集いで、東京オリンピックの前年、昭和38年に「8の会」として発足した。資料を見てみると、1979年(昭和54年)の開催案内状には、五十嵐播水の他、小松左京、田辺聖子、小磯良平、奈良本辰也、佐治敬三、朝比奈隆、藤本義一など、各ジャンルを代表する先輩方が、世話人として名を連ねておられる。
今回出席した方は全部で129名。吉本副知事や久元神戸市長も来ておられた。俳句部門では、兵庫県俳句協会の五十嵐哲也顧問ご夫婦、澤井洋子会長、副会長の私の4名だけだった。圧倒的に多かったのが音楽関係と美術関係。私の居たテーブルは、俳句関係4名の他は、筝曲、洋画、建築の専門家であった。皆が「先生」で呼び合い、一種独特の雰囲気を醸し出していた。私は初参加であり、おとなしくしていたが、アルコールの作用も有って皆さん大いに盛り上がり、ステージの上では声楽家がソプラノの高い音を響かせ、イタリア歌曲の次は童謡の「赤とんぼ」と、ごった煮の様相を呈していたが、自分の信じる道にそれぞれが酔っていた。芸術家だけの集まりも良いものである。これからどんな人脈が出来て来るか、楽しみだ。
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