2019年2月5日火曜日

大きな光へ

 俳句総合雑誌『俳句四季』の昨年9月号掲載分から、同誌の「四季吟詠」欄のレギュラー選者に選んで頂きました。この御縁で、今年の7月に表彰式が有ります第19回「俳句四季」全国俳句大会の選者にも選んで頂きました。またこの度は、今年の9月14・15の両日、大阪市天王寺区で開催されます、日本伝統俳句協会主催の「第30回記念 全国俳句大会」の応募句の選者の委嘱を頂きました。これらは私個人的ではなく、全て「九年母」主宰という肩書付きの委嘱です。このことは 「九年母」が全国レベルで認知されて来たことの証だと思います。兵庫県を基盤に、派手さは無くてもこつこつと努力して来た結社に、ようやく光が当たって来ました。日本伝統俳句協会副会長の大久保白村先生にも、「九年母」誌の「招待席」の御句を通じて「躍進九年母」というエールを頂きました。この折角の光が更に大きく輝くように、会員が一丸となって、俳句の道に更に精進して参りましょう。

2019年1月6日日曜日

句会始の椿事

新年おめでとうございます。といってももう5日。三が日は嵐のように過ぎ、4日には本部例会、5日には六甲道俳句講座と進み、今日は私にとって「句会始め」とでも言うべき下萌句会でした。汀子先生のお宅に午後1時に到着し、応接間に通りました。既に先生は正面のいつもの席にお座りになっておられ、句作の最中でした。横まで進んで小さくお辞儀をして御慶と退院のお祝いとを申し上げ、自席に着きました。

先生は少しお痩せになっておられましたが、血色も良くお元気そうなご様子で、ほっと安堵しました。次々に席が埋まって行き、やがて恒例のお雑煮が運ばれて来ました。螺鈿を施した蒔絵のお椀。男性は黒塗り女性は朱塗りで、見事なものです。先生から「先月は心配を掛けたがもう大丈夫だから安心してほしい」とのお話があり、全員で先生の全快を祝ってお雑煮を頂きました。

昨日の芦屋ホトトギス会では、九年母の皆さんが大活躍をされた由、参加された方からお聞きし、喜びました。私も今日の句会で、互選では振るわなかったのですが、汀子選には5句全部入選、内2句は特選に採って頂き、句評を頂戴しました。会が果てていつものように虚子館に回り、投句箱に1句を投じました。掲示板に先月分の虚子館投句の汀子選が張ってあったので見てみると、特選10句の巻頭に私の次の句が有りました。

    耳当てて冬木の幹に聞く寝息   伸一路

安原葉先生や三村純也先生のお句も並んでいました。幸先の良い事と喜んだのは申すまでもありません。新年句会始めの椿事でした。皆様、今年もご健吟下さい。私も頑張ります

2018年12月31日月曜日

年頭のご挨拶

新年あけましておめでとうございます。会員・誌友の皆様は、昔風に申せば、一つ歳を取られたことになります。おめでとうございます。九年母誌は大正13年に誕生しましたので、今年で95歳となります。同い年の会員・誌友もいらっしゃると思います。戦時中の一時期を除いて営々と刊行され、今年の4月号をもって創刊以来1100号となりますので、6月には生田神社会館にて、記念祝賀会を開催すべく準備中です。その他、播水の生誕120年を記念する姫路市民俳句大会や、姫路市立文学館の特別展示などのイベントが予定されています。また、10月には摩耶山天上寺に主宰の句碑を建立する計画が進められています。

同人会に於いても新営業体制の構築が進んでおり、各地の句会との交流が実現する見通しが立って来ました。この5月には南紀の田辺市や白浜町をお訪ねし、地元の会員・誌友の皆さんと句会を催し、交流を深める予定です。この地域では5〜11歳の幼い俳人が若葉集に投句しており、今後の成長が楽しみです。

12月号でお話ししましたように、運営委員会の決議により今年の4月から会費を月200円値上げさせて頂くことになりました。皆様のご協力をお願い致します。

今年は忙しくなります。その昔ケネディ米大統領は就任演説において「国が貴方のために何が出来るかでは無くて、貴方が国のために何ができるかを考えてほしい」と述べました。今年は九年母会にとって正念場となります。会員・誌友が一致団結して着実に行事をこなして行きましょう。今年が皆様にとって良い年となりますよう祈念しまして、新年のご挨拶と致します。

2018年12月28日金曜日

悼句の募集

平成30年12月22日夕刻、九年母関東支部の五月女政夫さんが、病気のため70歳を一期として逝去されました。26日には通夜が、27日には告別式が、ご自宅のある、さいたま市の斎場にて営まれ、永遠に旅立たれました。

故人は平成26年2月、橋本文男関東支部長の紹介で九年母会に入会され、3年後の29年1月に同人に昇格されました。九年母会員としてのキャリアは短かったのですが、めきめき上達され、葬儀の直後に刊行された平成31年1月号雑詠選では5句入選で次席巻頭を得られました。奥様の代筆で投句され、絶筆となった2月号の雑詠選でも5句入選で次席巻頭で、2ヶ月連続次席巻頭という偉業を達成して逝かれました。今わの極みまで俳句に対する情熱を傾け続けられた、壮絶なご最期だったと思います。

奈良や京都など関西を散策された際には、千鳥句会の仲間達と飲みに行った事もありました。主宰就任以来、毎年関東支部を訪問し、一緒に吟行し句会を楽しんでいますが、お元気だっ頃の恩賜浜離宮公園吟行では、クネンボの木の前で一緒に写真を撮ったことが懐かしく思い出されます。

九年母誌の表紙絵を担当してくれている義妹の夫と会社の同期であったこともあり、親しく感じていました。将来的には関東支部幹部として九年母会を支えて頂こうと思っていましたので、残念でなりません。遺されたご家族には心よりお悔やみ申し上げますと共に、故人のご冥福をお祈り申し上げます。

つきましては、「九年母」3月号に故人を偲ぶページを設けますので、1月20日までに、お悔やみの句を発行所までお送り下さい。葉書、Fax、メールやラインでも結構です。皆さんのお志をお待ちしています。

2018年12月3日月曜日

句碑の建立

 この度、私の句碑を摩耶山天上寺境内に建てて頂くことになりました。昨年10月の摩耶山俳句大会の際、それまで秘めていた想いを、同大会選者で天上寺の浄厳貫主(俳号:虚舟)に打ち明けました。「境内の隅で結構ですので、私の句碑を建てさせて頂けませんか」と。貫主は即座に「いいですよ、但し摩耶山の句を詠んで下さいよ」と二つ返事で了解して下さいました。予定しています句は「星掬ひ月をすくひて摩耶に在り」にする予定です。この句は一昨年の摩耶山俳句大会で、貫主の特選に入った、記念すべき句です。

 これを受けて今年の1月15日の淡路島・伊弉諾神宮粥占い神事に吟行した際に、会員の大竹さんのご子息が経営されている石材店を、柏原・髙野・向田・脇野の皆さんと訪問、句碑のお世話をお願いしました。10月19日には片岡編集長や上岡・柏原各同人会理事と一緒に天上寺を訪問、貫主にお会いして九年母会の意向を正式にお話しし、了解を頂きました。これで句碑建立が確定しました。同時に句碑の設置場所も決まりました。何と、本堂の右前に建てて良いとのお許しが出たのです。嘗て九年母会が建立した蕪村の句碑と並んで建てられることになりました。更にこの11月19日には大竹石材社長と柏原同人会理事と一緒に句碑の設置場所を調査し、搬入方法などを確認しました。後は句碑に適した良い石が見つかることを祈るのみです。

 九年母11月号で、句碑建立協賛金募集の記事を掲載して、応募をお願いしました。応募いただきました皆様のご芳名を、第一回として11月末で絞めて、1月号で御礼かたがたご報告する予定です。協賛金は例年8月末まで募集を続けます。一口3,000円で幾口でも、何回でも結構です。ご浄財をお送り下さいますよう、宜しくお願いします。振込み口座は、九年母11月号をご参照ください。綴込みの協賛金の振込用紙で九年母会費をお送りになる方がおられます。お間違えの無いよう、用紙の確認をお願いします。

2018年11月5日月曜日

一致率指数について

毎月一回、稲畑汀子先生の御自宅の応接間で開催される下萌句会に参加して、もう12年になります。哲也前主宰は、淡路島で倒れられるまで、別の日に開催される夏潮句会に参加しておられました。毎回、関西一円のホトトギスの著名な俳人が25名ほど参加されます。最初に参加した日は、何処に座って良いのか分からず、壁に貼り付いていたのを思い出します。「貴方はそこにお座りなさい」という先生の一言を頂きほっとしました。それ以来、汀子先生の温かく飾らないお人柄に支えて頂きながら、九年母代表として12年間、頑張って来ました。

この句会で、私はあることを12年間実行して来ています。それは、先生の選と私の選がどのくらい一致しているか、チエックすることです。簡単な事です。先生が選をされた句と私が予選した句とで一致している数を数え、予選した総数で割る、それだけのことです。
例えば、私が予選した30句が汀子先生の予選50句にすべて含まれておれば100。25句が含まれておれば25÷30で83と計算します。これを毎回記録しておき、1年間ではどうだったか、3年間で見たらどうかと、自分の選句力の状況を汀子先生の選を基準にして確認します。これを勝手に、一致率指数と呼んでいますが、現状では70〜80で推移しています。これが急低下するようなことがあれば、私は雑詠選者としては的確ではないことになります。今後はこの状況を第三者に客観的にチェックして頂く事を考えています。九年母会の句会では、私の選を基準にされても良いと思います。皆様も参考になさって下さい。

2018年10月8日月曜日

有季定型について

 当然の事ながら、俳句の大原則は有季定型である。ところが、最近雑詠蘭に投じられる句を拝見していると、この有季定型の原則が守られていない句が散見されるようになって来た。前主宰の晩年の頃は脳梗塞を二度発症された影響で、ご自分の句にも選をされる句にも、この原則が崩れることがあった。しかし、最近の雑詠欄の状況は、これとは何の関係もない筈である。前月の雑詠投句まで定型を守っておられた方が、翌月の投句で急に五句すべてが字余りになり、それが続いているケースがある。五句全てが毎月、五・七・七の音律になっている方も居られる。五句とも無季の方も有った。

 もう一度俳句の大原則を見直す必要があるように思い、今月号の随想蘭で「季重なりについて」という一文を敢えてお示しした。来月号にて、定型の音律について申し上げる予定である。

 高齢化の急速な進行の影響かも知れないが、104歳になっても見事に有季定型を守り、素晴らしい俳句を毎月投じておられる方もある。そう思うと、一概に高齢化が原因とは云えないかも知れない。効果があるかどうかは分からないが、再度見直しのつもりで、敢えて一文を呈するものである。今更何を、と思われるかも知れないが、上記の事情をご賢察願えればと思う。

 父が隠居処として建てた滋賀県東近江市の家が颱風21号にて被災し、処分することになった。その手続きや家具の処分等に時間を取られ、更新が遅くなったことをお詫び申し上げる。