2016年8月7日日曜日

一致率指数

今日は汀子先生宅で、下萌句会が有りました。毎月1回勉強に行かせて頂き、来月で10年になります。最初に参加した日は要領が分からず、部屋の隅っこに立って、頭を下げてばかりいました。先生に席を決めて頂き、以来同じ席に座り続けています。大半の方がそのころから在籍しておられるので、高齢化も進んできました。私を含め猪年が3人おりますが、いつまで経っても最年少のままです。

さて、今日の成績は5句出句で、汀子選入選が1つと特選が1つ。先月は5句全部入選、その前の月は3句入選でしたから、特選を頂くのは久し振りです。それはどうでもよいのですが、一致率指数が85.2と近年に無い高率となったことが、最大の収穫でした。

一致率指数とは私が勝手に考案したもので、指導の適否が問題になるかも知れませんが、一つの参考にはなるのではないかと思います。下萌会の場合で言いますと、私は今日の句会で27句を予選に採りました。その後汀子先生がご自分の選を披講されましたが、その際に、私の選と一致する句に○を付けて行きました。その結果、汀子先生の句が3句と他の方の句が20句、合計23句に〇が付きました。

一致した句数23を私の余選の数27で割って100を掛けると85.2となります。私の直近の一年間成績を見てみると、次の通りです。

    27年  9月  60.0            3月       69.2    
          11月   84.0       5月   79.3    
         12月 82.6       6月      69.6     
     28年 1月     67.9      7月  76.9      
          2月 74.1       8月    85.2    平均 74.9

こうして毎年の平均値を算出します。この数値の動向によって選句力の向上度合いを測り、勉強の方法を考えるのです。年々向上して来れば選句力が付いて来たと判断します。但しこれはあくまでも勉強の一環であり、先生の選句が全て正しい訳でもありません。しかし、勉強の過程で、自分の選句力がどの程度向上したかをチェックする方法としては有効だと思っています。           


2016年7月20日水曜日

哲也先生の教え

哲也先生の後を継いで、大阪府警本部の機関誌「なにわ」の俳壇の選を担当することになった事については、以前このブログでも報告しました。担当して第一号となる九月号の原稿を、本日府警本部宛てに送付しました。月刊発行部数が二万五百部というのも驚きまです。この機関誌に「なにわ文芸」という文芸欄が設けられ、現職警察官やOBの方、またそのご家族の方の俳句、短歌そして川柳を発表する場となっています。

その4月号の俳句の欄に、哲也先生最後の選評が掲載されています。「選後に」と題する一文を転載させて頂きます。

「俳句は季語を詠み込む十七音の短い文芸です。季題をよく勉強することが俳句上達の近道であり、本道でもあり大切です。(以下略)」

これが恐らく先生が遺された最後のお教えだと思います。先生の後を継いで選者として参加している句会が幾つかありますが、もう何年も俳句を習っているのに、未だに季語と季題の区別がつかない方が居られます。今まで先生のお教えを何と聞いて来られたのか。

虚子もその著『虚子俳話』の中で、俳句は季題を最もよく活用したものである事を要する、と述べておられます。そして「俳句には季題といふものがある。その季題の有してをるあらゆる性質、あらゆる連想、それ等のものを研究し、これを(俳句を詠もうとする=著者注)その情熱の中に溶け込まして、その思想と季題とが一つになって、十七字の正しい格調を備へて詩となる。それが俳句なのである。唯の詩でない。俳句といふ詩なのである。(後略)」と説いておられるのです。

哲也先生も、上述した通り、季題を良く勉強することが、俳句の勉強の本道である、と教えておられます。先生がホトトギスの翼の下で俳句を詠み続ける、と仰ったのも同じことなのです。花鳥諷詠が先生の俳句理念であったことに、いささかの疑問もありません。季題を良く勉強せよとのご遺訓を、私達九年母会の会員は胸に刻み込まなければなりません。

2016年7月4日月曜日

ルマン24

「伝統の自動車耐久レース、第84回ルマン24時間は18日から19日にかけて、フランス西部ルマンのサルテ・サーキットで決勝が行われ、トップを走行していた中嶋一貴選手のトヨタ5号車が24時間まで残り約3分でマシントラブルのため失速し、初の総合優勝を逃した。ポルシェが2年連続18度目の優勝を果たした。」これは読売新聞に掲載された記事です。

トヨタは日本のメーカーとしては1991年のマツダ以来25年ぶり2度目の、トヨタとしては初めての優勝を目前にして、エンジンが止まってしまったのです。残り約3分を走り続ければ優勝できたのです。トヨタチームにとっては何が起こったのか、信じられない事だったと思います。

後日の読売新聞にトヨタの広告が掲載されました。タイトルは「まだ何かが、足りない。」とあり、「『敗者のままでいいのか』、あえてプレッシャーをかけ、悔しさを跳ね除ける戦いを続けてきた。全員が、力を尽くし。改善を重ね、『もっといいクルマ』となって戻ってきたル・マン。悲願達成・・・と、誰もが、その一瞬を見守る中、目の前にあったのは、信じがたい光景だった。(以下略)」と悔しさが滲む内容でした。

思えば恐ろしいことです。100%間違いがないと思っていたことが、直前になって齟齬を来たすのです。しかしあり得ない事では有りません。世の中に絶対という事は有りえないのです。嘗て、ある俳句協会賞の最優秀賞に決定した作品の句数が、規定の30句に1句足りないことが判明したことが有りました。この他、送り仮名が1字間違っていたため、最優秀作品が失格となったこともありました。

いずれも、ほんの一寸した油断が原因なのでしょう。人間のすることですから、完璧というものは有り得ません。そこに一人でする仕事の限界が有ります。必ず複数の人が目を変えて確認することの大切さを、銀行員時代に先輩から叩き込まれました。札束の計算は、先ず束を縦に数える縦読みをし、次に扇形に開いて横読みをします。更に紙幣計算機に、上下逆にして二度掛けてやっと一束の計算が終わります。手から手へ渡す時には、もう一度札束を計算機にかけて、お互いに納得してから授受します。これだけしていても、束の数え間違いなど、違算は起こるのです。

諺にも「九仞の功を一簣に欠く」といいます。「人事を尽くして天命を待つ」という諺もありますが、どんな仕事でも、勿論俳句の世界でも、この慎重さは大切だと思います。

2016年6月18日土曜日

右脳と左脳

人間の大脳は右脳と左脳とに別かれます。右半分と左半分という事です。広辞苑に依りますと、右脳は空間的・音楽的認知を司っているとされ、逆に左脳は言語的・分析的・逐次的情報処理を司っている、とあります。つまり、職場で情報を分析したり、事務を処理したりする知的な仕事は左脳が、音楽を聞いたり、作曲したり、詩を書いたり、絵画を鑑賞するという情緒的な仕事は右脳が担当しているのです。

では、俳句を詠むときにはどちらの脳が働いているのでしょうか。虚子はその著『虚子俳話』の中で、「季題の有してをるあらゆる性質、あらゆる連想、それ等のものを研究し、これをその情熱の中に溶け込まして、その思想とその季題とが一つになって、十七字の正しい格調を備へて詩となる。唯の詩でない。俳句といふ詩なのである。」と述べています。この文章の内容からすると、俳句は右脳で詠むと言えます。

句材をしっかり観察するのは情報の処理、つまり左脳の仕事です。選評の際に、説明的と評される句は左脳の産物。これに対して余情・余韻の深い句、と評される句は右脳の産物、という事が出来ます。播水は、心を澄まして対象が語るのを待て、と述べておられます。まさに右脳の働きです。

詩が右脳で詠むものであれば、詩である俳句も右脳で詠むべきです。見たままを五七五の句にしても、それは単なる句であって俳句では無いのです。知で詠まず情で詠む、そのために私は、季題を情で理解するようにしています。楽しいものか、悲しいものか、嬉しいものか、寂しいものか、という基準で季題を考えます。こうして季題の本意を掴みます。

俳句を構成する言葉を適格に選ぶのは左脳の仕事ですが、季題の本意に基づいて、詩情豊かに言葉を配列するのは右脳の仕事、と言えるでしょう。

2016年6月8日水曜日

紀伊俳壇について

九年母誌の雑詠の選を初め、毎日100句・200句と選をしています。中には意味の分からない句や、解釈に苦しむ句もあり、なかなかに時間が掛かります。肩の筋肉が、若い頃と違って弱って来ていますので、重い頭を前傾させて一日中投句用紙に向かっていますと肩が凝ります。そんな時に心が癒される句を拝見しますとホッとします。

      チューリップ唱歌の如く咲いてゐる       静枝
      どの家も一鉢二鉢チューリップ         同
      おちょぼ口ほほふくらますチューリップ      鈴子
      赤白に寄する風波チューリップ         同

これらは、田辺市に本拠を置く地方新聞『紀伊民報』の「紀伊俳壇」に掲載された句ですが、選をしていて癒される思いがしました。いわゆる装飾過剰の、キラキラした句に比べて、何と素朴な句でしょう。思ったままを、難しい表現に頼らず、素直に詠んでおられます。

この俳壇は、毎月100名を超える地元の俳句愛好家が投句され、入選句が毎日順番に掲載されます。私は、哲也前主宰が倒れられた時に即引継ぎ、3月は「春風」、4月は「チューリップ」、5月は「鯉幟」の兼題をお出して、投句を募りました。投句者は兼題で詠んだ3句を官製はがきに書いて、新聞社の俳壇係へ送ります。こうして集まった葉書が翌月初に、一ヶ月分纏めて私の手元に届きますので、数日以内に選をして返送します。

俳句の基礎を習っておられない方もあり、我流で詠んだ句もかなりありますが、それだけに素朴な、素直な句が多く、好感が持てます。特定の指導者の偏った影響も感じられません。私の仕事は、虚子の示された伝統俳句の理念に基づいて選をすることです。

『紀伊民報』では九年母会の紹介広告をしばしば紙上に掲載して下さり、購読者の中には30名を超える九年母会員が居られます。九年母会の前身である「盟友会」が、大正4年に和歌山市郊外吉田村秋月で創設された事もあり、和歌山とは深い所縁が有ります。田辺市滝尻には播水・哲也の親子句碑が有ります。この所縁は、これからも会が続く限り、大切に続けて行きたいと思います。

2016年5月31日火曜日

「卯浪」という季題

先日のある句会にて「卯浪」という兼題が有りました。しかし、どうもこの季題の研究が十分では無かったようで、詠めていない句がかなりありました。この季題をホトトギス新歳時記で見てみると、「陰暦4月(卯月)のころ、波頭白く海面に立つ浪をいう。」とあり、角川合本歳時記では「卯月(旧暦4月)ごろに立つ波のこと。このころは天候が不安定で波が立ちやすい。(後略)」とあります。

シベリアから張り出した寒気団と、南方から吹き込んでくる暖かい空気とが日本列島の上でぶつかり合い、急に天候が変化したり、突風が吹いたりします。このため、突然波が高くなることが有ります。海面に白波が立ち、あたかも海面を白兎が跳ねているような景観を呈します。私も若い頃、しばしば乗合船で海釣りに出掛けましたが、船頭が船を出すのを嫌がるほど、高い波が立ったことが有りました。

つまり、卯浪とはこのような波なのです。ひたひたと寄せて来る波では有りません。二つの歳時記に共通しているのは、荒い波である事です。因みに私は、小さいなみを波、大きいなみを浪、断崖に打ち付けるなみを濤として使い分けています。

     貝拾ふいつもの浜辺卯浪寄す
  海の面きらりと光り卯波立つ

その句会で出された句ですが、卯浪の感じではなさそうです。

  雲垂れて波が風呼ぶ卯浪かな
  せめぎ合ひ鳴門の卯浪飛沫立つ

これらの句はに卯浪らしい趣が有ります。

卯浪と卯波、どちらが正しいのか、という質問が有りました。ホトトギス新歳時記では卯浪、角川合本歳時記では卯波が季題となっています。どちらが正しいという事ではないと思いますが、私は浪の方がイメージに合うように思います。

  渦巻きていよいよ高き卯浪かな      伸一路


2016年5月28日土曜日

継続という事

大阪府警本部教養課の方が2人訪ねて来られ、哲也先生が担当しておられた機関誌の選者を引き継いでほしいとのお申し出が有りました。播水・哲也と受け継がれて来た仕事であり、私は当然の事として、お引き受けしました。

その時に頂いた資料によると、昭和26年に55歳で亡くなられた本田一杉というホトトギス同人が初代の選者の様で、播水先生で3代目、哲也先生で4代目です。本田一杉さんが何年担当されたかは分かりませんが、2代目の牧野美津穂というホトトギス同人は31年10ヶ月、播水先生は18年10ヶ月、哲也先生は15年11ヶ月と、それぞれ大変長い間担当されています。さて私が何年出来るか、心配になって来ました。

俳壇を担当するという事は、体力的にも精神的にも、相当な覚悟が必要です。和歌山県田辺市に本拠を置く「紀伊民報」という地方新聞の俳壇の選者を、この3月から、哲也先生の後任として私が務めております。聞いたところでは、播水先生は約50年間、哲也先生は16年間、選者を務められたとか。このような地味なご努力が有ったからこそ、九年母会が維持・継続されたのだと思います。

最近では、俳句結社は雨後の竹の子の如く創設され、3年を待たずに消えてゆく、と言われていますが、播水先生は70年間の長きにわたり、九年母会を主宰してこられたのです。男性の平均寿命を考えると、普通の人にはとても不可能な長さです。

病気のデパートの様な私には、とてもこの様な真似は出来ませんが、毎日打席に立って、安打をコツコツと打ち続けて行きたいと思っています。継続の大切さ、難しさを痛感する今日この頃です。