読売新聞朝刊の1面に毎日掲載されている「編集手帳」。10月2日のテーマは「小鳥来る」だった。読まれた方も多いと思う。その中でちょっと気になった部分があった。「(前略)詠み手の明るく穏やかな気持ちが伝わる作品が多い。<小鳥来る音うれしさよ板びさし>(与謝蕪村)。家のひさしに、小鳥たちの足音やさえずりが聞こえる。ーーひさしの上には澄んだ高い空が広がっていそうである。(後略)」いつもながらの名文にうっとりとするところだが、元日本野鳥の会の探鳥会リーダーの立場からすると、黙っておれない表現がある。「さえずりが聞える」とあるが、秋になって人里に現れる小鳥類は囀らないのだ。
ご存じのように小鳥は晩春から初夏にかけて、縄張りの主張とメスへの恋の歌として大きな声で胸を張って長い歌を歌う。これを囀りと呼ぶ。つまり繁殖に関わる鳴き方なのだ。一方、夏鳥が南方に去るのと入れ替わるように北方のシベリアやカムチャツカ方面から避寒のためにやって来る冬鳥たちは、日本で繁殖しないので歌わない。冬の間に尉鶲のように私たちの身の回りに来て鳴く小鳥もいるが、これは地鳴きであって囀りではない。歌ではなく日常の会話に過ぎないのだ。それならそう書けばよい。小鳥たちの足音や鳴き声がきこえると。
NHKのニュースなどでも不完全な日本語が読まれることがある。すかさず私は反応する。「そんなこと言わへんよ」。ある著名な関西の俳人は、その都度NHKに電話すると語る。変な日本語にはアレルギー反応を起こすべきだ。日本語を大切にしたい。そのためには日本語に対する感性を絶えず磨くことが大切だ。