2019年12月26日木曜日

新資格者の推挙

来年1月26日に開催される九年母全国新年俳句大会にて、新同人12名と新推薦作作家9名を、主宰の名において推挙させて頂きます。該当の皆さんには既に通知状をお送りしてあります。しかし、その方々から不安の声が聞こえて来ています。果たして責任が果たせるだろうかと悩んでおられる方がおられるようです。案ずることは有りません。

同人というのは、一定の期間会員として修業を積まれ、雑詠欄などで一定基準以上の成績を安定的に収めておられる方の中から、指導的立場の方の意見を参考にして、主宰が認定するものです。九年母会の会員として認めて貰えた、誌友の立場から会員になれたということです。私はとてもその任では無いと遠慮される方が有りますが、主宰の目が適任と判断したのです。一生の宝物、遠慮なく受けられることです。

推薦作家とは、同人の中から、例えば雑詠選の巻頭を取られた方や、九年母賞や伝統俳句協会の大会等で優れた成績を上げられた方の中から、九年母会の指導的立場の人材として成長して頂けると主宰が信じるに足る方を、主宰が認定するものです。会議で決めるようなものではありません。

どちらの資格も、主宰が任意に認定するものであり、権利も無ければ義務もありません。同人の方には同人会に入会して頂き、同人会費によって九年母会を経済的に支援して頂くようにお願いしていますが、入会はあくまでも任意です。私の主宰就任前までは入会は義務となっていましたが、私はお願いするだけに留めて、同人各位の九年母会に対する愛情に任せています。九年母会を愛する同人は、是非同人会に入って支援して下さい。

逆に同人は九年母誌の「白樺集」の欄に投句出来る権利がありますが、これも任意です。推薦作家には九年母誌の「諸家近詠」欄に無審査で投句出来るという権利がありますが、これも任意であり、義務ではありません。推薦作家の会などの団体もありません。

どちらの資格も、その資格を使うかどうかは本人の任意です。使っても良し、机の引き出しに入れたままでも良し。私は、稲畑汀子先生に頂いた「ホトトギス同人」という資格をフルに活かして仕事をしています。有難い資格を頂いたと、いつも感謝しています。

今回通知状を手にされた皆様は、臆することなく前向きに使ってみて下さい。私の目には狂いは有りません。きつと役に立つと思いますよ。

2019年11月29日金曜日

九年母会の強み

九年母会の特徴は二つあります。先ず一つ目は俳句の水準の高さです。播水は虚子の直弟子であり、虚子の教えを頑なに守って九年母会の俳句の指導に当たりました。虚子が提唱した客観写生と平明余情という作句理念を高く掲げ、今で言うぶれない指導を徹底したのです。いささかも自分の考えは挟まず、虚子の教えをそのまま弟子に伝えました。

播水を継いだ哲也の時代は、その前半は播水の指導方針を堅固に守り、忠実に指導をされましたが、後半は2度に渡る脳梗塞の影響により、雑詠選の80%を4句入選が占めるなど、指導が甘くなりました。大幅な字余りの句も入選していましたが、病の成せることでした。そして、ご自分の判断で、その選を私に託されたのです。

「九年母は難しい」という評判をしばしば耳にします。確かに使われている漢字や表現が難しい。しかしそれは、播水・哲也という医師俳人が、虚子の教えを忠実に守って来たことによるものであり、時代に迎合した句を俳句と認めないのが九年母会のバックボーンであり、その事はこれからも変わりません。

二つ目の特徴は、団結力の強さです。播水の頃にうら若き乙女や青年であった会員の皆さんが、90歳を超えた今でも、九年会員として地方組織をしっかり固めていて下さる。九年母誌の毎月の、献呈先を除いた発行部数と雑詠投句者との間に100名の差がある。ということは、雑詠には投句していないが楽しみに読んでおられる方が100名おられる事になる。こんな事は、新興の結社では考えられないことです。

摂津・播磨・淡路という堅固な地盤を持つ九年母会は、たとえ俳句の世界に何が起ころうとも、地元にしっかり根を下ろして、伝統俳句の文化を守って行きます。先人たちが続けて来られた95年の歴史を絶やしてはならないのです。

2019年10月1日火曜日

句碑の建立

昨年1月15日に、淡路島の大竹石材店を訪問し、「九年母」1100号記念句碑の制作をお願いしてから1年10カ月。愛媛県西条市の石材店での石の選択、俳句の揮毫などの作業を進めて来ましたが、この程文字の彫刻が終わり、近日中に、摩耶山天上寺の境内に設置される予定です。14日には伊藤浄厳貫主に開眼法要をお願いしており、法要後の本部吟行を兼ねた記念句会には約70名の方の参加申し込みを頂いています。

句碑は、天上寺の金堂脇に、「九年母」750号記念句碑と並んで建立されますが、境内の整備計画に従って、将来的には別の所に移設される予定ですが、余りに大きな石であり、移動時のお寺のご苦労が察せられます。境内には他にも播水・大馬・蕪村・青畝・多佳子・紫峡・弘子等の句碑も有り、九年母会としては3基目の句碑となります。

14日の開眼法要に続いて30日には、近隣の神戸市立自然の家にて第28回摩耶山俳句大会が開催されます。もう既に境内には藤袴が咲き始め、渡りをする蝶「アサギマダラ」が飛来しているとの事。アサギマダラに併せて新句碑も詠んで頂き、九年母1100号刊行記念事業の完成を祝って頂きたいと思います。次は5年後の100周年記念行事です。

2019年9月2日月曜日

九年母賞の募集について

第4回九年母賞の締め切りの九月末日が近づいて来ました。4月号に募集要項を掲載し、同月から受付が始まりました。もう既に投稿された方も多いと思いますが、未だの方はそろそろ纏めに入って下さい。纏める時の注意事項です。漢字を間違えていないか。送り仮名は旧仮名遣いになっているか。季重なりになっていないか。字余り・字足らずになっていないか。いずれも基礎的な問題です。しかしこの基礎がしっかり出来ていないと、どんなに良い句であっても認めて貰えません。同じ土俵にすら上がれません。特に、不注意なミスは後で悔やむことになります。
 播水先生の頃は、余り文法をうるさく言わなかったのか、長閑なものでした。俳句に文法なし、と言い切る人も有りました。伝統俳句協会が未だ設立されておらず、伝統的な表現について無頓着な時代だったのでしょう。哲也先生の頃には伝統俳句協会は設立されていましたが、先生が何もおっしゃらない事をいいことに、基礎を学ばず我流で俳句を詠む人が多かったのです。私は伝統俳句協会で花鳥諷詠学びました。そしてその成果を、六甲道勤労市民センターや葺合文化センターの俳句講座でお教えしました。従って、私の講座に居られた方は、文語文法が正しく出来ます。
 作品が出来上がったら、何度も読み返して、ミスがないかチェックしましょう。文法に詳しい方にチェックしてもらっても良いでしょう。鶯が鴬となっていたり、蛍が螢になっていたりと、歳時記を確認すれば分かりそうなミスがあると、選者は惜しいなと思いつつも採ることをためらいます。俳句は何でもあり、では有りません。厳しい約束事を守りながら、その約束を踏まえて俳句を詠むことが出来れば、より高い満足感が得られることでしょう。皆様の九年母賞への投句をお待ちしています。

2019年8月2日金曜日

全国大会の選

大阪市天王寺区にありホテル「アウィーナ大阪」で、来る9月14・15の両日、日本伝統俳句協会の全国大会が開催されます。「九年母」の主宰としては初めて、この大会の事前応募句の選者を拝命しました。

そして7月24日、応募句をコピーした資料が届きました。その投句数をみて驚きました。何と7490句です。それを一週間で選をせよとのこと。選句数は、特選3句、入選17句の合計20句。当選確率は、最近の銀行の預金金利並みです。一週間ということは毎日のノルマが1000句。九年母誌の雑詠欄の総入選句数が約1150句ですから、7日間、毎日九年母誌の雑詠欄を全部読む事になる訳です。

濃い字、薄い字、誤字、脱字。行書や草書や走り書き。実に様々な俳句が毎日千句、私の目の前を通り過ぎて行きました。その中でも、升目を丁寧に心を込めて埋めてある句を拝見すると、自ずと丁寧に味わいたくなりました。下手な字や個性の強い字でも、一生懸命書いておられる句には、親近感が湧きます。乱雑な字や升目を無視した乱暴な書き方の句には、あまり良い句が無かったように思います。俳句は心。選をしながら、心の美しい人の句は美しい、と感じました。

予定通り一週間で選を終えましたが、良い勉強をさせて頂きました。


2019年7月3日水曜日

九年母1100号記念祝賀会終わる

6月30日、生田神社会館にて九年母1100号記念祝賀会が開催されました。準備委員会の皆さんが1年前から準備を進めて来られ、開催に至りました。稲畑汀子先生、稲畑廣太郎先生他の来賓のご臨席のもと、全国から参集された会員誌友110名により、手造り名の感のある会となりました。

播水著 句集「老鶯」の昭和27年の項に「8月号を以て九年母300号に達す。
『九年母の三百号の大樹かな 虚子』といふ祝句を頂く。8月31日須磨寺にて、九年母300号記念大会開催、会者400名、平安楼にて晩餐会。」という記載がありますが、昭和27年で400名が集まったというのは素晴らしい事でした。経験的には、大会参加者は会員総数の2割程度ですので、参加者が400名であれば、会員総数は2000名になります。播水先生の最盛期の会員総数は3600名と言いますから、2割として720名。想像を絶する規模の祝賀会だったことが推測されます。

今回は梅雨の時期とあって、集中豪雨による交通途絶が予想されました。警報が出た場合は中止という決断が必要になりますので、天気予報に一喜一憂する毎日でした。当日は朝から生憎の雨になりましたが、会が終わるころには、薄日が漏れて来ました。

今回のテーマは「感謝」。各支部の支部長として、90歳を超えても現役で頑張っておられる5名の方に感謝状と記念品を贈呈しました。次の方々です。
    黒石 豊子 豊橋支部長
    野田 節子 湖北支部長
    野間田芳叢 姫路支部長
    斎藤金二  広島支部長
    肱岡 惠子 出水支部長
健康に留意され、これからもご活躍頂きたいと思います。

来賓の先生方の祝辞に耳を傾け、ピッコロドルチェ様によるリコーダーの演奏、
仲津英治様による記念講演、シンガーソングライターTOUMA様によるライブ、と
盛り沢山な催し物に大いに盛り上がり、次回の再会を約して定刻に散会しました。

1150号の記念祝賀会は5年後。ほぼ同じ時期に、九年母会発足100周年を迎えます。
今回は比較的句暦の浅い方々が中心になって運営して頂きましたが、経験を積む良い機会になったと思います。次なる目標に向かって進んで参りましょう。

2019年6月1日土曜日

「かつらぎ」創刊90周年記念大会に参加して

6月1日土曜日、「かつらぎ」の創刊90周年を祝う会が奈良ホテルにて開催され、会員158名、来賓34名が参加されました。私も来賓の一人としてお招きいただき、出席して来ました。ある来賓の方から、6月は「かつらぎ」に始まって「九年母」に終わりますね、と声を掛けていただきました。九年母会の祝賀会の準備は着々と進められていますが、何か参考になることは無いかと思って参加してきました。

「かつらぎ」の創始者は阿波野青畝先生ですが、俳人協会系であり、九年母会のように伝統俳句協会系ではありませんので稲畑汀子先生は来られず、主賓は現代俳句協会特別顧問の宇多喜代子先生でした。講演は「思い遣ると言う作句」と題して、俳人協会副会長の茨木和生先生がなさいました。

余興として、ある会員のお孫さんが声楽家をしておられ、ソプラノの曲を幾つか歌われましたが、なかなかに盛り上がって楽しい趣向でした。司会も素人ながら手作り感が溢れていて座が白けることも無く、アットホームな良い祝賀会でした。森田純一郎主宰のお人柄がにじみ出ている様に感じられました。

「かつらぎ」は阿波野青畝先生が、昭和4年に奈良で創刊され、今年で90周年になります。「九年母」の創刊は大正13年ですから、「かつらぎ」に比べると5年先輩に当たり、今年で95周年になります。従って5年後には100周年の祝賀会が待っているのです。1150号の記念もほぼ同時期に来ますので、両方を兼ねた祝賀会にしたいと思っていますが、大掛りな準備になりそうです。

11月30日には「円虹」の300号記念祝賀会が、12月8日には「田鶴」600号の記念祝賀会が予定され、来賓としてご招待を頂いております。お互いに協力し合って、俳句文化の向上に努めていきたいと思っています。

2019年5月2日木曜日

1100号記念祝賀会を控えて

 平成の時代が終わり、令和の御代となりました。新しい天皇が即位され、連休明けから新しい文化が始まります。私達九年母会も、新しい時代に合うように変わって行かねばなりません。同人会改革、財政改革など、組織強化の施策を次々と打って行きたいと思っています。
 さて、ご高承の通り来る6月30日に、神戸市の生田神社会館にて、俳誌「九年母」の1100号の刊行記念祝賀会を開催いたします。運営委員の皆さんのご尽力により、その準備が着々と進んでいます。記念品のクリアファイルの印刷も見事に仕上がりました。既に各地の会員の皆様から参加申し込みを頂いていますが、支部や句会によって、参加者が極端に少ない所も有ります。全国各地から90歳を超えた先輩方も来られるのです。各支部や句会の幹事や責任者の方は、今一度参加申し込みの状況をご確認いただき、申し込みを失念しておられる方や、句暦が新しいことなどで参加をためらっておられる方には、参加を勧奨して頂くよう、要請致します。

 最近入会された会員の皆さんも、九年母会という俳句結社の持つ雰囲気を掴むことができ、日頃誌上で目にする先輩方に逢うことも出来ます。句暦が浅いことなど、何の問題もありません。俳句の世界では、年齢や職業、性別、宗教、政治的な立場などは一切関係が無く、全く平等な世界です。永年俳句の世界に居るからと言って尊い訳ではなく、句暦が短いからと言って卑下することもありません。遠慮は要りませんので、是非ご参加下さい。新しい会員の皆さんのご参加を期待しています。 

2019年4月3日水曜日

新元号について

4月1日に、「令和」という新しい元号が発表されました。万葉集から採られたと云いますから、私達俳人にとっては願ってもない事です。ご存じのように、万葉集は日本最古の歌集であり、我が国が世界に誇る文学作品だからです。漢字の音を借りて日本語を記すという、画期的な方法で書かれており、天皇から農民・防人まで、様々な階層の人の歌が納められている、国民的抒情詩集です。申すまでもなく、俳句は短歌から派生した文芸であり、万葉集は俳句の故郷であるといっても過言ではありません。

西暦645年に制定された「大化」から数えて「令和」は248代目になるそうですが、特筆すべきことは、初めて我が国の古典から選ばれたと云うことです。「平成」まではすべて中国の古典である漢籍から選ばれていました。日本の古典から選ぶという方式が定着すれば、将来「奥の細道」から選ばれる可能性もないことは無い訳です。芭蕉の文章には漢籍から採った言葉が使われています。例えば、同書「壺の碑」の一節に「昔より詠み置ける歌枕多く語り伝ふといへども、山崩れ、川流れ。、道改まり、石は埋もれて土に隠れ、木は老いて若木に代はれば、時移り、代変じて、その跡たしかならぬことをのみを、ここに至りて疑ひのなき千歳の記念、今眼前に故人の心を閲す。行脚の一徳、存命の喜び、羇旅の労を忘れて、涙も落つるばかりなり。」とあります。この中から2字、例えば「徳喜」が選ばれるかも知れません。そうなれば、俳人にとっては我が意を得たり、です。荒唐無稽と笑われるかも知れませんが、将来のことは誰も分かりません。政治や経済、法律の書物ではなく、日本人の心の故郷である歌集から選ばれた事を喜びたいと思います。少なくとも、漢籍には戻らないでほしいと願っています。

ところで、今月の27日から来月の6日まで、大型連休が十連休となります。そのため26日には「九年母」5月号を発送する計画で編集作業をしていますが、郵便事情により皆様のお手元に届くのは早くても5月7日以降になります。連休の状況を勘案して対応して頂くようお願いします。また、各支部・句会の責任者の方は、この旨会員に徹底して頂くように、重ねてお願いします。


2019年3月3日日曜日

文学としての俳句

今日は桃の節句。汀子邸での下萌句会に出席しました。兼題は「雛」「暖か」「牡丹の芽」の三題でした。いつも俳句は詩であると申しております。この句会にはホトトギス派の関西の歴々が参加されており、詩情豊かな句が投じられました。さすがに、写生のみの、いわゆる「見たまま」という句は皆無で、余情の深い句ばかりでした。

   嫁ぎ来てよりの歳月雛の部屋   伸一路

女性の句だと思われたようですが、汀子選入選の今日の私の句です。自分の身の回りのことや思い出を詠んでいると、どうしても説明的になりがちです。日記ならそれでも良いでしょう。しかし俳句は文学です。感動を描く文学です。文芸作品なのです。俳句を詠むと云うことは創作活動です。指を折りながらの創作活動です。そのためには、主人公や時代設定、場所の設定等も必要で、小説を書くのと同じです。

各務支考著『俳諧十論』の中で芭蕉は「俳諧といふは別の事なし 上手に迀詐(うそ)をつく事なり」と述べています。この迀詐(うそ)とは創作ということです。見え透いた邪悪な嘘では、作者の人格が疑われますが、創作は芸術として許されます。自由自在に感性を羽搏かせ、その感動を五・七・五という定型詩に纏めて読者に読んでいただくのが、私達俳人の仕事だと思います。

2019年2月5日火曜日

大きな光へ

 俳句総合雑誌『俳句四季』の昨年9月号掲載分から、同誌の「四季吟詠」欄のレギュラー選者に選んで頂きました。この御縁で、今年の7月に表彰式が有ります第19回「俳句四季」全国俳句大会の選者にも選んで頂きました。またこの度は、今年の9月14・15の両日、大阪市天王寺区で開催されます、日本伝統俳句協会主催の「第30回記念 全国俳句大会」の応募句の選者の委嘱を頂きました。これらは私個人的ではなく、全て「九年母」主宰という肩書付きの委嘱です。このことは 「九年母」が全国レベルで認知されて来たことの証だと思います。兵庫県を基盤に、派手さは無くてもこつこつと努力して来た結社に、ようやく光が当たって来ました。日本伝統俳句協会副会長の大久保白村先生にも、「九年母」誌の「招待席」の御句を通じて「躍進九年母」というエールを頂きました。この折角の光が更に大きく輝くように、会員が一丸となって、俳句の道に更に精進して参りましょう。

2019年1月6日日曜日

句会始の椿事

新年おめでとうございます。といってももう5日。三が日は嵐のように過ぎ、4日には本部例会、5日には六甲道俳句講座と進み、今日は私にとって「句会始め」とでも言うべき下萌句会でした。汀子先生のお宅に午後1時に到着し、応接間に通りました。既に先生は正面のいつもの席にお座りになっておられ、句作の最中でした。横まで進んで小さくお辞儀をして御慶と退院のお祝いとを申し上げ、自席に着きました。

先生は少しお痩せになっておられましたが、血色も良くお元気そうなご様子で、ほっと安堵しました。次々に席が埋まって行き、やがて恒例のお雑煮が運ばれて来ました。螺鈿を施した蒔絵のお椀。男性は黒塗り女性は朱塗りで、見事なものです。先生から「先月は心配を掛けたがもう大丈夫だから安心してほしい」とのお話があり、全員で先生の全快を祝ってお雑煮を頂きました。

昨日の芦屋ホトトギス会では、九年母の皆さんが大活躍をされた由、参加された方からお聞きし、喜びました。私も今日の句会で、互選では振るわなかったのですが、汀子選には5句全部入選、内2句は特選に採って頂き、句評を頂戴しました。会が果てていつものように虚子館に回り、投句箱に1句を投じました。掲示板に先月分の虚子館投句の汀子選が張ってあったので見てみると、特選10句の巻頭に私の次の句が有りました。

    耳当てて冬木の幹に聞く寝息   伸一路

安原葉先生や三村純也先生のお句も並んでいました。幸先の良い事と喜んだのは申すまでもありません。新年句会始めの椿事でした。皆様、今年もご健吟下さい。私も頑張ります