2015年12月24日木曜日

語感を磨く

先日の朝日新聞に「美しいと思う大和言葉」のランキングが載っていた。10位までは次に通りであった。

         1位  思いをはせる          6位  たたずまい
         2位  おかげさま           7位  ひたむき
         3位  ときめく             8位  おすそ分け
         4位  慈しみ             9位  心を寄せる
         5位  心尽くし           10位  つつがなく

以下、20位まで続くのであるが、どの言葉もいかにも大和言葉らしい雰囲気が有る。「おもてなし」が20位以内に入っていないのが意外だった。私は19位の「おいとまする」が好きだが、どの言葉も日本の歴史が育み磨いて来た美しい言葉である。

俳句を詠む際に、燦燦だとか滔滔だとか、漢語の形容詞を好んで使う方が有るが、漢詩を詠むならいざ知らず、俳句と言う大和歌を詠むのであるから、出来るだけ美しい大和言葉を使いたいものである。

ところで、私には言葉の成り立ちを考える妙な癖が有る。猪(いのしし)は「い+の+しし」という言葉に分解でき、「い」は野生の豚、「しし」は肉。つまり、野山を走り回り、御影や住吉あたりに下りて来て悪さをするのは「い」という動物なのだ。その肉が美味しいので、いつの間にか「いのしし」というようになり、漢字が伝来した際にこの動物を猪に当てたのだろう。

同じく山野を駆け回り、肉が美味しい「か」という動物がいる。この肉を「かのしし」という。さて、この動物は何か。答えは鹿である。では兎の肉を「うのしし」と言うか。残念ながら広辞苑にはこの言葉は無い。なぜだろう。愚考するに、猪や鹿は1頭・2頭と数えるが、兎は鳥と同じく1羽・2羽と数える。「しし」は肉、特に、食用の獣肉と、広辞苑にある。従って、鳥の仲間である兎の肉は「うのしし」とは呼ばなくなったのかも知れない。

この様な説を中国語で牽強付会、日本語では「こじつけ」という。しかし、魚を「いを」とか「うを」と呼ぶのはなぜだろう。蟹はなぜ「かに」と呼ぶのだろう。不思議でならない。私の郷里の滋賀県のある地方では、短刀の事を「さすが」と呼ぶ。子供の頃、不思議でならなかった。長じて広辞苑を調べて驚いた。刺刀と書いて「さすが」と読むとあったのだ。さすがは広辞苑、と感心したものだった。

この様に、言葉に関心を持つことによって、言葉に対する感性を高めることが出来ると思う。テレビやラジオのニュースを、言葉の持つ響きや調べに注意を払って聞くことも、語感を磨く上で効果が有ると思う。