2016年11月29日火曜日

小春日という季題

先日、九年母の雑詠の選をしていて、ふと通信欄に目が留まりました。そこには季題の解説の欄を設けて欲しい、とありました。確かに良いご提案です。この様な欄を設けている結社誌もあります。例えば、俳誌「雨月」では、若手の山田天さんが「季語を味わう」という1頁を設け、11月号では「亥の子」について解説されています。もう69回目となる名物記事です。

マンパワーの問題もあり、九年母でもすぐにとは行きませんが、今後の課題としたいと思います。
さて、11月に入ると「小春日」という兼題があちこちの句会で出されます。それ程この季節には親しみ深い季題なのですが、その本意がしっかり掴めているかというと、どうもそうでもないようです。

この季題と対照的な季題に「春の日」が有ります。この二つはどう違うのでしょう。そのヒントは次の句に隠されていると思います。

     玉の如き小春日和を授かりし     松本たかし

この季題を代表する句であり、俳人なら常識として知っている句です。この句の「玉の如き」とは何の事でしょう。それは、冬という滅びの季節を間近にした直前の、愛おしい一日の事だからです。
玉のような児を授かるという時の、玉の如き、です。晴れ上がった、暖かい一日。やがて訪れる厳寒の日を思う時、その暖かさを有難いものに思うのです。

では、小春日と春の日とはどう違うのでしょう。春の日は、湿気に富んだ暖かい日であり、夏というエネルギーが噴出する季節を間近にした、若々しい日です。この違いをしっかり押さえないと、どちらでも通用するのでは季が動きます。

     乳母車集ひおしやべり園小春

ある句会で出された句ですが、「園小春」を「春日影」としたら春の句になります。そしてこの方が良いのです。何故なら、乳母車に乗った赤ちゃんは若々しい命のかたまりだからです。

     窓際へ父のベッドを小春の日    伸一路

父が亡くなる直前の句です。小春日という季題の裏には、滅びという悲しさが隠されているのです。