2016年10月18日火曜日

季題の変遷

ある新聞社で俳句の募集があり、その選者を務めました。兼題は「夜食」で約300句の応募が有りました。

夜食と言えば、夕飯が済んだあと夜なべ仕事や勉強をし、一段落ついたところで、小腹を満たすためにパンや握り飯を食べたり、果物や菓子を抓む程度の食事であると考えて来ました。本来の夜食という季題はこれで良い筈です。しかし、選を進めるうち、この季題の中身が変わってきている、と感じました。

先ず驚いたのは、夜食をヤショクと読まず、ヨルショクと読む人が何人かあったことです。指を折って数えても、ヨルショクでないと句の数が合わないのです。確かに、私達の子供や孫たちは夕食の事をヨルゴハンと言っています。朝食・昼食と来ると、次は夕飯ではなく夜食です。従って、夜食をヨルゴハンの事だと解釈してもおかしくはないのです。

夜遅く、それも寝る前にたらふく食べてもたいじょうぶか、と思いながら選を進めていきますと、どうもこれは夕飯の事だと思い当たる句が、段々増えて来ました。そういえば、昔のように、夕飯の後で夜なべや夜業をすることはなくなりました。お勤めの方は残業で帰りが遅くなり、帰宅して食事をしますと、夕飯が昔の夜食と変わらない時間になってしまいます。

昔は裸電球を灯して土間で草鞋を編んだり、囲炉裏端で縫物をしたり、という夜なべ仕事が有りましたが、現代では、そんな光景は日本中探しても見当たりません。夜食が、労働者のわずかな楽しみであった時代とは違うのです。リオ・オリンピックの深夜の生中継を、夜食を食べながら楽しんだ、という句が沢山ありました。

時代の流れに沿って、季題の詠み方が変わっていくのはやむを得ない事です。しかし絵踏や藪入という江戸時代の季題が未だに詠まれているということは、季題の本意は時代が変わっても受け継がれていくのかもしれません。日本人の勤勉さを物語る季題として、夜食や夜なべといった季題は詠み継がれてほしいものです。