2023年5月3日水曜日

人工知能と俳句

 最近、新聞やテレビでチャットGTPが話題になっている。コンピュータに資料や文章の作成を指示すると、AI(エーアイ:人工知能)がたちどころに答えを出し、文章を作ってくれるというもの。役所や企業で活用すれば仕事の効率が上がり便利なものだが、学生が自ら学習をせずにコンピュータに試験の解答や卒業論文を作らせることになると、学力低下の問題が起こって来る。便利なものでありながら活用を誤ると危険なことになる。まさに諸刃の剣である。

ところで、このAIに俳句を作らせたらどうなるだろう。すでに実験をしているところもあるようだ。まだまだ人間が詠んだ俳句の方が優れているという結論が出ているそうで、ひとまず安心だ。俳句に関する膨大な情報をコンピュータに記憶させ、「○○という季題で俳句を作れ」という指示を入力すると、直ちにその季題で作った俳句が打ち出されるという。

いまのところAIが出来ないこと、それは人の心を詠むことである。

     重ね来し句誌の百年花は葉に   伸一路

この句の「花は葉に」という季題がAIには分からないと思う。この季題が内蔵している、未来へ向かって発展しようとする力という本意と、百年続けてきた句誌に対する作者の万感の思いが、AIには理解できないだろう。しかしだからと言って胡坐をかいていては、やがてAIに俳句という高度な知的文化を乗っ取られるかも知れない。それを防ぐためには季題の理解を深めることが大切だと思う。季題を駆使して自分の思いを詠めば、AIなど恐れるに足りない。つまりは花鳥諷詠である。俳句が生き残るにはこれしかないかも知れない。季題を単なる季節の言葉と考えて、見たままの句を詠んでいると、やがてAIに追い越されてしまうだろう。