2023年3月3日金曜日

「汀子忌」という季題

 2月27日、関西ホトトギス同人会の主催により、汀子先生の一周忌の記念句会が芦屋市の虚子記念文学館にて開催されました。参集者は101名。当会からは10名が参加しました。

主催者から、「ホトトギス」でこれから活躍が期待できる人を推薦せよという依頼があり、今まで「ホトトギス」とは縁が薄かった人を期待を込めて推薦しました。ところが会場に入ってベテランの多いことにびうっくり。これでは新人には敷居が高すぎるのではと心配しましたが、互選や選者選で九年母の仲間の名乗りが度々聞こえておりました。

この句会をもって汀子忌という言葉を、虚子忌、年尾忌と共に季題として認める旨、稲畑廣太郎主宰が発表されました。紅梅忌という言葉を傍題とする予定だったのですが、すでに他の方に紅梅忌という忌日があったので見送られました。これからは晴れて汀子忌という季題を、大手を振って使えることになったのです。

    先生も渡られし橋汀子の忌   伸一路

これは当日、主宰の特選に入った句です。ご自宅の近くの、芦屋川に架かる「ぬえ塚橋」を汀子先生が笑顔で渡って来られます。稲畑家に嫁がれてより何千回と渡られた橋です。嬉しい時も悲しい時もこの橋を渡って芦屋の市街地に行かれたのです。お子達の学校の行事、父君やご夫君の看病、芦屋市の教育委員長としての公務にも。毎週、東京の朝日新聞社で行われる朝日俳壇の選には、朝一番の飛行機に乗るために暗いうちに渡られたことでしょう。虚子記念館や日本伝統俳句協会の設立の時には沢山の書類を抱えて渡られたことでしょう。そんなことを思って橋を眺めていると、先生は天国に行かれるときもこの橋を渡られたのだと気づき、一句が出来ました。主宰もこの句の講評で同じことを語られ、高い評価を頂きました。

平成18年9月から17年間、毎月この橋を渡って通ったご自宅での下萌句会も、5月で終了と聞いています。大きな歴史が幕を閉じることになりますが、先生は汀子忌という季題と共に永遠に私たちの心の中に生き続けられます。