2022年1月1日土曜日

実作の勧め

 新年は朝日を浴びる小形の鷹、チョウゲンボウの美しい姿から始まりました。

明けましておめでとうございます。

最近、水原秋櫻子の「高濱虚子」という本を読み直しました。虚子の指導方法について、青年らしい潔癖感と正義感とを持って厳しい批判を展開し、虚子から離別した理由を縷々述べている著作です。私は虚子に直接指導を受けておりませんので、一方的な批判には与みできませんが、当時の青年たちの、俳句に対する情熱はひしひしと伝わって来ます。

酒を飲みながら熱心に俳論を戦わせる。俳句は情を詠むべきものか、それとも景を詠むものか。余情を表現するものか、写生に徹するものか。自然上の善か芸術上の善か。大いなる議論の結果、虚子の門から数多の優秀な青年たちが離れて行きました。このような議論の中から俳句の多様性が生まれたことは、結果として俳句文化の興隆に大きな力となったと思います。

しかし、議論から生まれるものは孤立と分断です。幸いにも先師五十嵐播水はこの議論に与みせずに実作を尊び、終生虚子を師と仰ぎました。ある退会された方が「九年母」には議論が無いと言っておられましたが、私は議論を好みません。私の任務は、100年続く「九年母」を維持継続して行くことであり、孤立と分断ではありません。創設後間もない結社であれば、その進むべき方向を巡っての議論も必要でしょうが、「九年母」のような円熟期にある結社ではそんな必要は有りません。

私達は、播水の教えに従って、議論ではなく実作に重きを置くべきです。平明余情・客観写生・花鳥諷詠などの作句理念には心を置きつつもそれに凝り固まることなく、自分の感性に従ってひたすら実作に励みましょう。自分の感動を読者に伝えるにはどう詠めばよいか。理論ではありません、実作です。