他の結社の方から、九年母の句はぬるま湯のようだといわれる。どこがぬるま湯なのだろうと、長年考えて来たが、雑詠欄の選を担当するようになってから、あることに気がついた。それは連用止めの句が多いという事だ。
連用止めとは、動詞の連用形で止めることだ。動詞の活用形の一つに連用形がある。用とは用言、つまり動詞のこと。例えば、「育ち行く」という言葉の場合、「行く」という動詞に繋げるために、「育つ」を「育ち」という形にする。この形が連用形だ。
箱苗のなすも胡瓜も良く育ち
この様に、最後を「育ち」という連用形で止めてあるので、連用止めというのである。文法的には問題はないが、語感の上で安定感がない。連用形は動詞に繋がる場合の他、「たり」という助動詞に繋がる場合がある。上記の句では、
箱苗のなすも胡瓜も良く育ちたり
とすると、下五が安定する。しかしこれでは字余りになるので、「育ち」と切ってしまう。これで字余りは解決できるが、声に出して読んでみると、「たり」が無いので尻切れとんぼの感じがして、安定感が無くなる。
この安定感の無さが、ぬるま湯感につながっているのではないか、と思う。確かに優れた句には連用止めは無い。今月号の九年母誌に、ある方の伝統俳句協会賞入選の句が掲載されているが、30句の中に連用止めの句は全くない。もっとも、連用止めの素晴らしい句も有るが、これは推敲の末に詠まれた作品であって、無意識や習慣で詠まれたものではない。
箱苗のなすも胡瓜も良く育つ
箱苗のなすも胡瓜も育ちたる
とすると、しっかりした句になる。
良く育つなすや胡瓜や箱の苗
としても良い。連用止めを避け、切字や名詞、動詞の終止形でとめるように、少し意識してみて欲しい。たちまち入選句が増えること間違いない。