2021年12月4日土曜日

句作力と選句力

今日は灘区文化センターの俳句入門講座でした。前任の九年母同人、故西尾苑さんから講師を引き継いで早や16年。講座を終了された皆さんは、九年母の主要メンバーとして、また他の結社の有力会員として活躍されています。

野鳥句会や千鳥句会など、講座のOBの句会で常々お話していること、それは選の重要性です。優れた俳句を詠むことは、俳人の最大の願望です。兼題で詠んだり吟行に出掛けたりと、優れた一句を得るために、日々懸命に努力しています。

しかし俳人には、作者としての立場と共に選者としての立場も有ります。句会や大会に出れば選者だけでなく、参加者全員で互選をします。互選を通じて、自分が気付かなかった季題の解釈や表現の仕方に巡り合うことがしばしばあります。回覧される清記を通じて学ぶことは沢山あります。これを無駄にはできません。清記は俳句の生きた教科書です。どんどん会得したいものです。

しかし、そうだからと言って清記を全部丸写ししても、清記の回覧が遅くなるだけで、自宅に帰ってから復習しなければ何の意味もありません。自分が知らなかったことや、感動した表現などを控えて帰って何度も復習し、句作に活用することが大切です。例え句会の成績が振るわない日が有ったとしても、良い選が出来れば喜びとしましょう。選と句作は俳句の両輪。両方上達しないと、俳句と言う車は真直ぐには進みません。句作力が上達すれば、自ずから選句力も上達します。その逆もまた真なりです。

2021年11月1日月曜日

俳号を付ける

 私は本名を伸市郎と言います。祖父が真一だったことと、母方の本家が代々「市兵衛」を名乗っていたことから、叔父が付けてくれたと聞いています。俳号の「伸一路」は昭和57年、最初の師匠の古澤碧水(西宮俳句協会会長・九年母推薦作家)から貰ったもので、言うまでもなく本名から採ったものです。「小さな杉が一路伸びて行くとは良い俳号を付けたものだ」と俳句雑誌「俳句四季」の読者の声の欄で褒めて頂いたことが有りました。

この度、この例に倣いまして、仲井慶次さんに「慶舟」、影山里美さんに「里風」という俳号をお贈りしました。平川和代さんに「白羽」を差し上げてから久しく無かったのですが、思い切ってお二人にお話し、受けて頂いたものです。

大多数の俳人は俳号を名乗らず本名で活躍をしておられますが、俳号を持つことにより一段の飛躍を遂げられる方も多数おられます。師匠や尊敬する先輩に付けて頂くのも良く、またご自分で工夫されて俳号を名乗られるのも良いでしょう。正岡子規は本名「常規(つねのり)」ですが、新聞記者として従軍中に喀血したので「鳴いて血を吐くほととぎす」から「子規(ほととぎすの意)」を号とし、その弟子の寒川陽光(さむかわ あきみつ)は、病床の子規やその家族を献身的に見守った人ですが、自身が粗忽者であるからとして「鼠骨」を号としたと聞きます。高濱虚子は本名の「清」から、河東碧梧桐は本名の「秉五郎(へいごろう)」から採ったものだそうです。

私の母方の祖父は本名が「健治」でしたが、「明水」という俳号を名乗っていました。明治生まれだったので「明水」と付けたのでしょう。ご自分の気に入った俳号を名乗ってみましょう。句会で初めて俳号を名乗った瞬間、自分が自分でなくなった様な不思議な感覚がしますが、慣れて来ると俳号に愛着が湧いてくるから不思議です。

2021年10月1日金曜日

100周年記念事業

 九年母会の前身の「盟友会」は、大正4年(1915年)6月、和歌山市郊外の吉田村秋月にある耕月寺にて呱々の声をあげました。暫くはガリ版刷りの機関誌を発行していましたが、大正13年(1924年)10月に、俳誌「九年母」の創刊号を発行しました。雑詠の初代選者は木村桑雨、誌代は3ヶ月35銭でした。

大正14年、発行所の名称を九年母会と変更し、翌15年、山本梅史が選者となりました。さらに昭和5年、五十嵐播水が編集者兼発行人(主宰)となり、昭和9年に神戸に本拠を移転しました。主宰はその後、播水から哲也に引き継がれ、現在の伸一路に至っています。「盟友会」発足から既に106年が経過していますが、「九年母」の創刊からは、令和6年(2024年)に100周年を迎える事となります。全国の俳誌の中でも屈指の長寿です。

去る9月26日に開催された九年母運営委員会では、この100周年記念事業が議題になりました。具体的な計画については、次回12月の委員会までに各委員が案を練って来ることになりましたが、3年後にはコロナ禍も解消されている事でしょうから、会員各位には今から楽しみにお待ちください。また、記念事業についてご意見やご提案がありましたら、各委員にご連絡をお願いします。。

2021年9月1日水曜日

名著を読む

 新型コロナウイルスの感染が猛威を振るっています。お盆の帰省や夏休みのレジャーで感染が全国に広がり、衰えを知りません。句会や吟行が中止になったので俳句が詠めないという嘆きを、毎日のように耳にします。居籠りやコロナ籠りという言葉も聞こえて来ます。どうしたらよいでしょう。私は、折角時間が有るのだから、俳句の名著と呼ばれる本を読んだらどうかと思います。

先ず第一に挙げられる名著は、高濱虚子著「虚子俳話」です。昭和38年、俳誌「ホトトギス」の800号記念として刊行された俳論集で、虚子の俳句に対する考え方が、余すところなく述べられています。以来、様々な形で版が重ねられ、伝統俳句を学ぶ者の、初心者には入門書となり、ベテラン俳人には心の拠り所として愛読されています。

「虚子俳話」を読み終えたら俳誌「九年母」育ての親である五十嵐播水の著作を読みましょう。私の手許にある著作を列記しておきます。

    句集 「月魄」昭和15年 「石蕗の花」昭和28年 

       「老鶯」昭和46年 「秋燕」昭和55年 

    句文集「港の四季」昭和54年

    俳論集「句作雑話」昭和35年  「一頁の俳話」昭和40年 

       「句作春秋」昭和47年  「俳句になるまで」昭和50年

       「句作随想」昭和57年

    随筆集「兵庫歳時記」昭和43年  「虚子門に五十余年」昭和52年

           「一老医のあしあと」昭和61年 「流るる月日」平成元年

 播水の著書は全て絶版になっています。私は古書店を回ったり、先輩から頂いたりして揃えました。今の時代はインターネットの古書市場で検索が出来ますので、是非探してみて下さい。また、もしお手元に読まなくなった播水の著作があれば、譲って下さい。若い方に伝えて行きたいと思います。

居籠りの時間を有効に使いましょう。

2021年8月1日日曜日

褒められて育つ

 東京オリンピックが華々しく開催されています。テレビを点けたらいろんなチャンネルが様々な競技の模様を放映しています。日本勢の活躍も目覚ましく、柔道を初めとしてメダルラッシュが続いています。中には5大会連続で出場している選手も。

何でそんなに出たいと思うのでしょう。今月号の九年母誌の「新同人の言葉」の欄で田辺市の作田さんが語っておられますが、褒められると嬉しいから俳句を続けられる、これだと思います。旧海軍大将山本五十六に有名な言葉があります。

 やってみせて 言って聞かせて させてみせ 褒めてやらねば 人は動かじ

この「褒めてやらねば」の部分、逆に言えば、褒めてやれば人は動くのです。スポーツでも俳句でも同じです。オリンピックで金メダルを受賞することは、スポーツ選手にとって最高の褒められ方でしょう。だから5大会連続出場ができるのです。俳句の世界でも、九年母の齊木富子さんや田中順子さんが全国俳句大会の大賞を受賞され、称賛を浴びました。このように褒められると、もっともっと努力してこの名誉に恥じないように成長しようと思うのです。

褒めることは人を育てる要諦。褒めずに貶すばかりの師匠についた人は、お気の毒です。

2021年7月4日日曜日

心のひだで詠む

 大相撲の元立呼び出しの米吉(本名 安藤米吉さん)が、83歳で亡くなられました。立呼び出しと言うのは、呼び出しの最高位の称号で、横綱戦の呼び出しを務める、重い仕事です。

太鼓の名人と言われた呼び出し太郎に9歳で弟子入りして業績を重ね、61歳で呼び出しの最高位に就いた人です。土俵に上がると、片手で白扇をぱっと広げ、良く澄んだ美声で横綱戦の力士の名前を、二声ずつ呼び出す。オールバックに髪を整え、足袋のかかとを揃えた端正で粋な立ち姿は、土俵に花を添えました。また、相撲甚句を歌わせたら、天下一品と言われた名人でした。私も相撲甚句を少し齧ったことが有り、米吉の甚句をテープで繰り返し聞いて勉強したことがあります。

その米吉に、心を打つ言葉があります。「甚句ってのは60年、70年生きて来た心のひだで歌うんだ。太郎の太鼓と一緒だよ」。叩き上げた職人の言葉です。私達も俳句を作る職人です。良い俳句を詠んで読者に感動してもらう。呼び出しと同じです。米吉は私達に、「俳句てえのは60年、70年生きて来た心のひだで詠むんだよ」と、教えてくれているのかも知れません。味わい深い言葉です。

2021年6月5日土曜日

運転再開

 6月3日(木)の本部例会を皮切りに、4日の五葉句会、5日の灘区文化センター俳句入門講座(A)と活動を再開しています。本部例会は23名の参加が有りました。灘区文化センターの講座には、受講者19名全員が参加されました。関西地区での感染者の減少やワクチン接種の進展で、立ち込めていた濃霧が薄れ、前方が少し明るくなって来ましたので、徐行運転ですが「九年母号」は運転再開です。

しかし、しばらく句会を中断しましたので、俳句の感覚が狂っています。例えば、清記用紙を書く時、以前でしたら手が字配りを考えてくれましたので、バランスよく字の配置が出来ていたのですが、今日も、最初何文字かの間隔が空き過ぎて、最後の方で詰まってしまいました。大きな文字で書き出して、小さな字を詰めて終ることもありました。

しばらく自動車に乗らないでおくと、車体感覚が鈍ったり、左折の際に不必要に大回りをしたりしますが、それと同じ現象が起きています。清記をどちらに回すか、一瞬迷われた方もありました。しかし、しばらく徐行運転を続けているうちに運転の勘が戻って来ると思います。そのためには、徐行運転を毎日続けることです。スキーでも、シーズン初めはある程度滑り込まないとうまく滑れません。近い距離でも良いから毎日滑るという事は、俳句で言えば毎日詠むことです。意識的に毎日詠みましょう。務めて詠みましょう。放っておくと勘が戻らないままになるかも知れません。折角、何十年も俳句を続けて来て、新型コロナごときで筆を折るのはもったいないことです。

6月号がお手元に届いたと思います。私の12句からスタートして、課題句も雑詠欄も、全部目を通しましょう。最後に「選後に」をしっかり読んでみましょう。きっと昔の勘が戻って、活き活きと作句出来るようになります。騙されてと思ってやってみて下さい。


2021年4月30日金曜日

5月の本部例会・本部吟行の中止について

 大阪を中心に、関西では新型コロナウイルスの変異株の感染が急拡大し、先の見えない状況が続いています。このような環境の中で、本部例会。本部吟行の開催は極めて危険ですので、残念ですが、5月の6日の本部例会、16日の本部吟行は中止とさせていただきます。電話による連絡網で情報が伝わって行くと思いますが、周囲の方にこの情報を拡散して頂きますようにお願いします。

私の身の周りでも、PCR検査を受けた方が増えて来ています。幸いなことに、今のところ皆さん陰性ですが、いつ感染するか分かりません。私が住んでいます芦屋市では、5月下旬から85歳以上の方へのワクチンの接種が始まるようですが、私達70台は、6月に入ってから接種の通知が届くようです。

繰り返しになりますが、密を避けてマスクを付け、手指の消毒を心掛けて、身を守りましょう。会食を避けて栄養のあるものを食べ、十分な睡眠を取って、コロナに負けない体力を養いましょう。俳句を楽しんで、免疫力を高めることも大切です。くれぐれもお大事になさって下さい。

2021年4月14日水曜日

4月の本部吟行(追悼句会)中止の件

 来る18日日曜日に予定していました、4月の本部吟行(須磨寺での追悼句会)は、新型コロナウイルスの爆発的な感染拡大に伴い、中止とします。5月以降の本部例会・本部吟行に付きましても、状況を見ながら開催の判断をして参りますので、ご注意下さい。

田辺市に本拠を置く地方紙「紀伊民報」では、約90年前から九年母の主宰が「紀伊俳壇」の選者を務めて来ましたが、この度、地元の中南米交流協会代表の真砂様のお世話で同紙上に「ブラジル俳壇」が開設され、私を選者として、ブラジルの日系俳人からの投句をインターネットを使って募集することになりました。既に4月3日号の紙上で22名の方が句を発表されました。日本の選者の選を直接受けることが出来ると、話題になっているそうです。

問題は兼題です。毎月一つづつ、紀伊俳壇と同じ兼題をお出ししますが、ブラジルと日本では季節がちょうど逆になります。正月がブラジルでは真夏になる訳です。初夢は、真夏の夜の夢になってしまいます。4月掲載分は「梅」として募集しましたが、ブラジルに果たして「梅」なる植物が有るのかどうか。逆にブラジルの季題「イペの花」は日本ではポピュラーではありません。どうしたものかと悩んでいます。因みに、イペは同国の国花であり、神戸市内では、「海外移住と文化の交流センター(旧神戸移住センター)」の前庭と、JR元町駅東口の交番の横にあります。ブラジル代表のサッカー選手が来ているジャージーの色だそうです。日本で言えば桜の花に相当するでしょうか。

毎月1回の掲載ですが、ブラジル各地からの応募があります。日伯の文化交流の為にも、意義のある俳壇に育てたいと思っています。

2021年4月7日水曜日

囀り

  朝早く起きてベランダに出たところ、近くの森から「キョロン・キョロン」という声が聞こえて来ました。これはアカハラというツグミの仲間の囀りです。かつて戸隠の森林植物園へ探鳥に行った時、夜明け前の真っ暗闇の中で聞いた声です。良く聞いてみると「キョロン・キョロン、ツリリ」と鳴きます。森閑とした漆黒の森の中で、この声が木から木へと移動して行くのです。ツグミの仲間は美声の持ち主が多く、アカハラやクロツグミの声が広辞苑の音声データに入っていますので聞いてみて下さい。共に夏鳥として南の国から渡って来ます。今朝聞いた声の主は、九州、四国、淡路島と渡って来た個体かも知れません。信州の戸隠へ向かう途中、芦屋に立ち寄ってくれたのでしょう。

 シジュウカラが木の枝で「ツツピー・ツツピー・ツツピー」と尻上がりに囀ります。木の天辺で明るいレンガ色の小鳥が「一筆啓上 仕り候」と鳴きます。ホオジロです。ウグイスは「法・法華経」と説教し、サンコウチョウは「月日星ホイホイホイ」と囀ります。ツバメは「土喰て虫喰て 渋うい」と電線に止まって嘆きます。

 4〜5月は様々な夏鳥が囀ります。俳句は花鳥諷詠。鳥を知らないで俳句は語れません。囀りを覚えて鳥の名前を覚えるのが一番効果的です。この機会に鳥の名と鳴き声を覚えましょう。

2021年3月2日火曜日

季題と歳時記

  雑詠投句の選や句会の後日選などを拝見していると、今までに見たことが無い季語・季題にお目に掛かることがあります。最近では「氷面鏡」「年の朝」「年納め」などを季題として用いた句が有りました。早速、 愛用の「ホトトギス新歳時記」を繰ってみましたが、見当たりません。掲載している季題の数がホトトギス新歳時記より多い角川合本歳時記や角川大歳時記を調べましたが見当たりません。それならばと、私が持っている中では最大の講談社版カラー図説日本大歳時記に当たりましたが、やはり見当たりません。水原秋櫻子篇の現代俳句歳時記にも有りませんでした。

季題というものは、自分の想いを読者に伝えるための媒体として、チャンネルとして使うものであり、読者がその季題を知らないと、全く役に立たないものです。そのために、伝統俳句を志向する九年母俳人の多くは、共通項が掲載されているホトトギス新歳時記を使っています。この歳時記に無い場合は、私は角川合本歳時記や角川大歳時記で補強します。さらに前述の日本大歳時記を併用して、雑詠選や後日選に対処しています。

従って、これらの歳時記に載っていない季題については対応できません。余り有名でない出版社が出している歳時記や、ローカルな季語を季題として扱っている地域的な歳時記などはは、私の手許に無いので分かりません。スマホで検索して有ればまだしも、これにすら出て来ない季語を理解せよと言われても無理な話です。

このような訳で、九年母俳人の皆さんは、ホトトギス新歳時記と角川の両歳時記を基準にして作句されるのが良いのではと思います。そうすれば、共通の言語で分かり合えます。

2021年2月8日月曜日

九年母誌への投句

 先日ある俳句講座の受講生の方から、書店で九年母誌を購入して、添付してある投句用紙を使って雑詠選に投句しても良いか、との質問が有りました。書店で購入して投句される方を誌友、会費をあらかじめ払込んで定期購読される方を会員と呼んでいますので、先ず書店で九年母誌を買って誌友として投句し、要領が分かって来られたら会費を払込んで会員になって下さいとお勧めしました。

九年母誌は、三宮のセンター街にあるジュンク堂にて販売していますので、こちらでお買い求めいただければと思います。いきなり「雑詠」に出すことが無理であれば、「入門雑詠」に投句しながら経験を積み、その後、「雑詠」にお出しになるのが良いでしょう。「入門雑詠」は添付してある専用の投句用紙(「俳句 子供の国」と共用)でお出しください。片岡橙更編集長の優しい選と、丁寧な選評が貰えます。

小学生・中学生を対象とした「俳句 子供の国」という投句欄も設けています。専用の投句用紙が九年母誌に添付されていますので、自由に投句して下さい。投句料などの費用はもちろん不要です。会員・誌友の皆さんも、お子さんやお孫さん、曾孫さんに投句するようにお勧め下さい。担当の杉山千恵子同人の、丁寧な指導が受けられます。将来の大俳人の、第一歩になるかも知れません。ダイヤモンドの原石を見つけることも、私達現在の会員の大切な仕事です。

2021年1月1日金曜日

寛選と厳選

  年頭に当たり、雑詠欄の選について述べてみたい。          

五十嵐播水はその著書『句作春秋』において、寛大な選が良いか厳しい選が良

いか、という事について述べられている。播水選は、今では想像もできないくら

い厳選であった。雑詠投句の半分が1句入選であった。また万年1句という言葉も

聞かれた。但し、作品について厳選であり、会員個人については思いやりのある

方であった。風邪を引いたと投句用紙の通信欄にあれば、即見舞いの手紙をお書

きになった。しかし雑詠選については峻厳を極めたのである。


九年母の主宰を継承して今年の3月で6年になる。10年間主宰を務めよう

思ってお引き受けしたので、折り返し点を過ぎたことになる。主宰の最大の仕事

は雑詠の選だ。雑詠選は結社誌の金看板であり、巻頭句を見ただけでその結社の

俳句のレベルが分かる、と言われている。「九年母」が結社として高い評価を受

けるためには、選の質を高めて行く事だ。これは主宰としての私の責任である。

結社誌によっては、投句された句を全て掲載しているところがあるが、それで

仲良しクラブになってしまう。ただ、私が就任する前の数年間、脳梗塞の響で

前主宰の選が寛選に傾き、四句入選者が雑詠投句者全体の八割を占めた時期が有

った。このため、後を継いだ私の選に馴染めず、退会された方が可成りおられ

た。寛選に慣れた方には厳しい事だったのだろうが、播水の衣鉢を継ぐ結社とし

て、やむを得ない事だった。


私は播水と同じく作品本意を貫く。たとえ古い方であろうと、句が良く無けれ

頂かない。新しい方でも若い方であっても、句が良ければ頂く。今の雑詠欄

は、3句入選で合格と考えて欲しい。2句入選は頑張ってほしい、という合図と

受け止めて欲しい。