2017年6月2日金曜日

心の若さと俳句

 俳句人口の高齢化が叫ばれるようになって久しくなりました。どこの結社でも、最大の課題は会員の高齢化だと思います。結社だけでなく、その集合体である各俳句協会でも同じ悩みを抱えています。ある俳句協会の機関誌が急激に薄くなって驚かれた方も有るでしょう。世代交代の時期なのかもしれません。九年母会も、同じ問題を抱えています。逝去されたり高齢者施設に入られたりと、入会者より退会者が上回る状況が続いています。
 それだけではなく、俳句そのものも高齢化が進んできたように思います。雑詠の選をしていると、最近、次のような句が目立つようになりました。

      風船をついて遊びし日も遠く
      草餅を母と作りし日の遠く
      囀や庭も古りたり吾も老い

どの句も、過ぎ去りし昔を思い出す、作者の思いの強い句です。平明で余情の有る句を詠むようにと、播水、哲也両先生は説かれました。しかし、ここに挙げた句に、余情が有るでしょうか。余情とは老いた我が身を嘆くことでも、過去を回想することでもありません。詩を詠む事です。詩を詠むためには、例え体は衰えても心の緊張を保ち、感動を探すことです。辛いとき、苦しい時こそ、自分の気持ちを鼓舞するためにも、心して若い句を詠みましょう。哲也先生の句集『復興』の最後から二つ目に、こんな句が有ります。

      熱燗や話昭和を遡り   哲也

要は心の持ち方です。心まで老いてはなりません。