2021年1月1日金曜日

寛選と厳選

  年頭に当たり、雑詠欄の選について述べてみたい。          

五十嵐播水はその著書『句作春秋』において、寛大な選が良いか厳しい選が良

いか、という事について述べられている。播水選は、今では想像もできないくら

い厳選であった。雑詠投句の半分が1句入選であった。また万年1句という言葉も

聞かれた。但し、作品について厳選であり、会員個人については思いやりのある

方であった。風邪を引いたと投句用紙の通信欄にあれば、即見舞いの手紙をお書

きになった。しかし雑詠選については峻厳を極めたのである。


九年母の主宰を継承して今年の3月で6年になる。10年間主宰を務めよう

思ってお引き受けしたので、折り返し点を過ぎたことになる。主宰の最大の仕事

は雑詠の選だ。雑詠選は結社誌の金看板であり、巻頭句を見ただけでその結社の

俳句のレベルが分かる、と言われている。「九年母」が結社として高い評価を受

けるためには、選の質を高めて行く事だ。これは主宰としての私の責任である。

結社誌によっては、投句された句を全て掲載しているところがあるが、それで

仲良しクラブになってしまう。ただ、私が就任する前の数年間、脳梗塞の響で

前主宰の選が寛選に傾き、四句入選者が雑詠投句者全体の八割を占めた時期が有

った。このため、後を継いだ私の選に馴染めず、退会された方が可成りおられ

た。寛選に慣れた方には厳しい事だったのだろうが、播水の衣鉢を継ぐ結社とし

て、やむを得ない事だった。


私は播水と同じく作品本意を貫く。たとえ古い方であろうと、句が良く無けれ

頂かない。新しい方でも若い方であっても、句が良ければ頂く。今の雑詠欄

は、3句入選で合格と考えて欲しい。2句入選は頑張ってほしい、という合図と

受け止めて欲しい。