2015年9月30日水曜日

憩いの一時

早いもので、本日で主宰就任から6ヵ月が経過した。編集部や発行所も順調に稼働し、さしたる事故もなく運営が続いている。文學の森の「俳句界」、角川学芸出版の「俳句」、そして東京四季出版の「俳句四季」の3大総合俳句雜誌に継承に関する記事を掲載し、全国レベルで認知して頂いた。「俳句界」のグラビアの写真撮影や3時間に亘るインタビューも有った。兵庫県俳人協会の副会長に選任され、住吉大社の献詠俳句の選者に就任した。全てこの6か月間の出来事である。

九年母10月号の発送が終わり、本日午前中に月末の事務が全て終わったので、近くにあるスパに行って来た。風呂好きの私の、至福の時である。ぬるい目のお湯にゆっくり浸かりながら、6か月間の出来事を振り返り、これで良かったのか考えた。発行所の事務は順調で、会員も就任以来4名増加した。編集部の皆さんの習熟度も向上し、毎月の発行も順調だ。主宰就任に際し、雑詠選の厳選化を宣言したが、この6ヵ月間で雑詠の水準が飛躍的に向上した。これは、雑詠投句に緊張感が出て来た事によるものだろう。

6ヵ月目の本日、雑詠選の状況について浩洋先生に報告し、厳選化の推進に改めてご賛同頂いた。かつて播水先生の頃は、雑詠選で4句に入選する方は、全体の0.5%程度であった。10月号では25%程度である。『未央』の古賀しぐれ主宰にお聞きしたところ、やはりその程度だとのこと。時代の変化もあり、会員数も減少して来ているので、播水時代と同じ様には出来ないが、雑詠の価値を向上させるためには大切な事である。継承前は、4句の入選者が75%程度であり、厳選化に伴う混乱も見られるが、やがて理解が行き渡り、落ち着いてくることと思う。

途中の休憩も含めて2時間半、ジャグジーや2種類のサウナ、阿蘇の小国温泉と同じ泉質の岩風呂などのお湯を楽しんだ。明日から下半期の仕事が始まる。就任1年に向かって、新たな気持ちで取り組んで行きたい。


2015年9月29日火曜日

俳句の位置づけ

昨夜はスーパームーンの十六夜。お月見を堪能された事と思う。出ていますよ、とメールを頂いた。ベランダから眺めていると、大阪空港へ降りて行く飛行機の灯が、いかにも貧弱なものに見えた。やはり、大自然の営みは素晴らしい。

前日の十五夜は、大阪の住吉大社で鑑賞した。住吉大観月祭が18時から開催され、献詠俳句と短歌の入選者の表彰式が行われた。私も選者の一人として参列、この方があの句をお詠みになったのか、と感慨を持って表彰式を見守った。

我が九年母からも沢山の応募が有り、次の皆さんが入選された。改めてお祝い申し上げる。

      地賞      宮の月世にことのはの尽くる無し     小柴智子
      佳作      復興の祈りよ届け今日の月         安本惠洋
      佳作      今日の月宇宙に心馳せもして       宮下美智子

600句近い中から天・地・人の3賞と佳作10句、計13句が選ばれる。3句に選ばれる確率は、単純に計算すれば0.5%。しかし面白いもので、最終選考に残ったのは14句。5人の選者の誰が見ても、良い句は良いのである。献詠という事も有って、応募句のほとんどすべてが伝統的な詠み方であり、同じ土俵の上で優劣を戦える、という安心感も感じられた。

ところで、長田、生田、廣田、住吉という、大阪湾を取り巻くかつての大社・中社は、いずれも神功皇后の海外遠征に因んで創建されたものと言われているが、どのお宮の宮司も短歌を良くされる。住吉大社の献詠でも、メインはやはり短歌だ。

満月の昇った反橋(太鼓橋)の上で、冷泉流により天・地・人賞を受賞をした短歌が朗詠された。実に幽玄な世界である。佳作10句も、吟詠家の女性によって美しく朗々と詠い上げられた。

短歌に続いて、神職によって俳句が朗詠されたが、悲しいかな、短歌のように朗々とはいかない。五・七・五では、あっという間に終わってしまう。俳句らしいといえば、そうかも知れない。それにつけても、俳句の母屋としての短歌の存在を思い知らされた。選者による玉串奉奠でも、その他の事につけても、先ず短歌が優先。これが日本古来の文化かも知れない。

しかし、芸術に優劣はない。かつて桑原武夫氏が俳句を第二芸術と貶めた事が有ったが、俳句を知らない学者の論に過ぎない。俳句は、国民大衆の中に有って感動を伝えあう文芸なのである。新聞のコラムや記事の中に、軽いタッチで登場するのは、圧倒的に俳句が多い。それだけ俳句は大衆に支持され、愛されているのだ。それが俳句なのである。

         黒々と千古の樟や望の月    伸一路
         歌神に捧ぐる一句月今宵        同