2015年9月29日火曜日

俳句の位置づけ

昨夜はスーパームーンの十六夜。お月見を堪能された事と思う。出ていますよ、とメールを頂いた。ベランダから眺めていると、大阪空港へ降りて行く飛行機の灯が、いかにも貧弱なものに見えた。やはり、大自然の営みは素晴らしい。

前日の十五夜は、大阪の住吉大社で鑑賞した。住吉大観月祭が18時から開催され、献詠俳句と短歌の入選者の表彰式が行われた。私も選者の一人として参列、この方があの句をお詠みになったのか、と感慨を持って表彰式を見守った。

我が九年母からも沢山の応募が有り、次の皆さんが入選された。改めてお祝い申し上げる。

      地賞      宮の月世にことのはの尽くる無し     小柴智子
      佳作      復興の祈りよ届け今日の月         安本惠洋
      佳作      今日の月宇宙に心馳せもして       宮下美智子

600句近い中から天・地・人の3賞と佳作10句、計13句が選ばれる。3句に選ばれる確率は、単純に計算すれば0.5%。しかし面白いもので、最終選考に残ったのは14句。5人の選者の誰が見ても、良い句は良いのである。献詠という事も有って、応募句のほとんどすべてが伝統的な詠み方であり、同じ土俵の上で優劣を戦える、という安心感も感じられた。

ところで、長田、生田、廣田、住吉という、大阪湾を取り巻くかつての大社・中社は、いずれも神功皇后の海外遠征に因んで創建されたものと言われているが、どのお宮の宮司も短歌を良くされる。住吉大社の献詠でも、メインはやはり短歌だ。

満月の昇った反橋(太鼓橋)の上で、冷泉流により天・地・人賞を受賞をした短歌が朗詠された。実に幽玄な世界である。佳作10句も、吟詠家の女性によって美しく朗々と詠い上げられた。

短歌に続いて、神職によって俳句が朗詠されたが、悲しいかな、短歌のように朗々とはいかない。五・七・五では、あっという間に終わってしまう。俳句らしいといえば、そうかも知れない。それにつけても、俳句の母屋としての短歌の存在を思い知らされた。選者による玉串奉奠でも、その他の事につけても、先ず短歌が優先。これが日本古来の文化かも知れない。

しかし、芸術に優劣はない。かつて桑原武夫氏が俳句を第二芸術と貶めた事が有ったが、俳句を知らない学者の論に過ぎない。俳句は、国民大衆の中に有って感動を伝えあう文芸なのである。新聞のコラムや記事の中に、軽いタッチで登場するのは、圧倒的に俳句が多い。それだけ俳句は大衆に支持され、愛されているのだ。それが俳句なのである。

         黒々と千古の樟や望の月    伸一路
         歌神に捧ぐる一句月今宵        同

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