2022年3月1日火曜日

哀悼の辞

 偉大なる俳人の御魂が天に召されました。稲畑汀子先生が2月27日、心不全により、91歳を一期として昇天されたのです。先生は敬虔なカトリック教徒でした。

私の最初の師匠は九年母同人の古澤碧水。俳句を基礎から教えて頂きました。次の師匠は永年九年母の編集長をお勤めになりました西田浩洋。私を俳人として育てて頂きました。最後の師匠が汀子先生。私を世に出して頂きました。

「花鳥諷詠賞」の入賞をきっかけに、芦屋市の汀子先生のお宅の応接間で毎月開催される「下萌句会」に平成18年9月から参加させて頂き、以来15年間、花鳥諷詠に基づく句作をご指導頂きました。主宰を継承した時も、「困ったことが有ったら、いつでも相談にいらっしゃい」と声を掛けて頂き、「九年母」の記念大会にも来賓としてお越しいただきました。まことに有難い事です。

先生は、朝日俳壇や俳誌「ホトトギス」の選に加えて、全国各地で開催される俳句大会の選者、東京や関西の様々な句会の選者をお務めになり、超多忙な日々を送って来られました。特に朝日俳壇の選は、毎週金曜日の朝一番の飛行機で伊丹空港を発ち、東京の朝日新聞の本社で俳壇に寄せられたの数千の投句の選をされた後、日帰りで伊丹空港に戻られるという激務でした。それも40年間も。超人的な使命感無しには、務まるものではありません。

最近ではこの様な激務に体が付いて来なくなり、心臓を悪くされたり、たびたび骨折されるようになられていました。神様が、もう十分頑張ったのでそろそろ休め、と思召されたのだと思います。偉大な俳人が、静かに鼓動を止められ、大きな時代が終わりました。太陽が西の空を茜色に染めながら、静かに地平線に没するごとく。

心からご冥福をお祈り申し上げます。