2017年9月2日土曜日

兼題と当季雑詠

 俳句の詠み方には、兼題、嘱目と雑詠があることはご承知の通りです。嘱目は吟行に出かけて詠む際に用いられる、目に触れた季題を使って詠む方法です。問題になるのは、兼題と雑詠です。私の母方の祖父も俳句を詠んでおりました。といっても山村の俳句好き程度だったと思いますが、明水という号を持っていました。その祖父の大正時代の句会の記録が残っていますが、全て題詠です。つまり兼題があらかじめ出て、その題で詠んで句会に持ち寄る形です。句会の記録には、当日に発表される席題の句も残っています。

 その後いつの頃からか、当季雑詠という詠み方が流行るようになりました。「九年母」の昭和63年1月号の句会案内欄を見てみますと28句会中15句会が当季雑詠で句会を実施しており、兼題の句会は9句会に過ぎません。ところが最近では兼題方式の句会が増えて来ました。今月号の句会案内欄では、37句会中20句会が兼題で実施、当季雑詠は8句会に過ぎません。完全に逆転しています。

 なぜ兼題方式が増えて来たのか。それは、俳句は季題を活用して詠むという考え方が浸透してきたからだと理解しています。当季雑詠では、どうしても自分の得意な季題に偏りがちです。詠みたくない季題には見向きもしないでしょう。しかし兼題だと、好き嫌いは言っておれません。海女や猟犬も詠まないといけない。その結果として、様々な兼題を勉強するようになり、季題のレパートリーも広がって行くことになります。これに対して当季雑詠の場合は、どうしても身の回りの季題で詠んだ、出来合いの句を出してお茶を濁してしまうことになりかねず、季題のレパートリーも狭くなりがちです。

 作句力の向上のためには、難しい兼題に取り組む事も必要です。雑詠だけの句会では、せめて席題でもお出しになる事をお勧めします。