2022年8月7日日曜日

常識を超える

 生身魂と言う秋の季題があります。8月の盆の関連の題であり、生きている魂にも供養するという考えから、父母や目上の人の長命を祈って、子や若い者がもてなしたり贈物をしたりする習慣があり、この場合の供養される人を生身魂と呼びならわしています。

      燈籠にならでめでたし生身魂   支考

蕉門十哲の一人の各務支考にこの様な句があるところからして、少なくとも江戸中期には生身魂と言う季題が用いられていたことが分かります。ところで、先日のある句会で、この様な句を拝見しました。

      恙無き日々を感謝の生身魂

どこと言って難の無い句ですが、その通りの内容で、取り立てて句評をするほどではない、普通の句だと思いました。誰にでも分かるけれども今一つ感動が弱い句は、内容が常識的なのだ思います。

俳句は詩であり、常識ではありません。常識では読者に感動が伝わりません。詩とは常識を超えた世界ではないでしょうか。常識外れや非常識ではありません。感動を伴う超常識だと思います。

      銀漢の底に聳えて阿蘇五岳   伸一路 

      大空に羽子の白妙とどまれり  虚子