2023年6月2日金曜日

類句・類想句について

俳句の世界には、類句・類想句という言葉がある。類句というのは既に詠まれた俳句に表現がよく似ている句の事、類想句とは既に詠まれた句の着眼点や発想が極めて似ている句を言う。一字でも違えば類句ではないという人があるが、言い逃れに過ぎない。

ある句会で、歳時記に載っている句をそのまま自分の句として投句した方があった。相当な高齢の方であり、当の作者が「私の句と同じなので」とやんわりとたしなめられ、事なきを得た。気が付いた方が類句ではないかと問題を提起し、全員で検討すればよい。盗作など悪意で類句を投じるような人は、人間として問題が有り、句会のみならず俳句の世界から追放されるべきである。

問題は類想句である。一緒に吟行に出掛け、同じところを見て回って作句した際に、よく似た句が生まれやすいのはむしろ当然であり、いちいち類想だと争ってもつまらない。当季雑詠で句会をした際に、持ち寄った句がよく似ていることがある。この場合には、両者が共に投じた句を取り下げるという配慮が欲しい。どちらが悪い、どちらが真似をした、という問題ではなく、類想が出来る程度の、斬新さの無い平凡な句だという証拠である。汀子先生も「類句に良い句は無い」と説いておられるが、この場合の類句といは類想句のことであろう。
では、どうしたら類句・類想句を防げるだろうか。私は、投句する前に手元にある歳時記を検索し、類句や類想句が無いかをチェックするようにしている。しかし、すべての歳時記をチェックすることは不可能であり、可能な限りで良いと思う。投句締め切り時間に追われて、類句・類想句のチェックもできないようでは困る。十分余裕をもって句会に臨むことである。
句会が始まり清記が回って来たら、同じ着想の句がないかチェックするようにしている。もしあったら、その句はそれで止め、雑誌やコンクールへの投句には使わないようにしている。私独自の感性の句ではないからである。

類句・類想句を発見し指摘することは、選者の大切な仕事である。そのためにも、選者を務める人は普段から普通の人以上に沢山の作品に接し、心の準備を常に整えておくことが求められる。類句・類想句を採ってしまうと、場合によっては選者としての命取りにもなりかねない。「そんな句も知らないのか」という評判が立つと致命傷にもなりかねない。座って選をしておればよいという安易なものではないのである。