2021年11月1日月曜日

俳号を付ける

 私は本名を伸市郎と言います。祖父が真一だったことと、母方の本家が代々「市兵衛」を名乗っていたことから、叔父が付けてくれたと聞いています。俳号の「伸一路」は昭和57年、最初の師匠の古澤碧水(西宮俳句協会会長・九年母推薦作家)から貰ったもので、言うまでもなく本名から採ったものです。「小さな杉が一路伸びて行くとは良い俳号を付けたものだ」と俳句雑誌「俳句四季」の読者の声の欄で褒めて頂いたことが有りました。

この度、この例に倣いまして、仲井慶次さんに「慶舟」、影山里美さんに「里風」という俳号をお贈りしました。平川和代さんに「白羽」を差し上げてから久しく無かったのですが、思い切ってお二人にお話し、受けて頂いたものです。

大多数の俳人は俳号を名乗らず本名で活躍をしておられますが、俳号を持つことにより一段の飛躍を遂げられる方も多数おられます。師匠や尊敬する先輩に付けて頂くのも良く、またご自分で工夫されて俳号を名乗られるのも良いでしょう。正岡子規は本名「常規(つねのり)」ですが、新聞記者として従軍中に喀血したので「鳴いて血を吐くほととぎす」から「子規(ほととぎすの意)」を号とし、その弟子の寒川陽光(さむかわ あきみつ)は、病床の子規やその家族を献身的に見守った人ですが、自身が粗忽者であるからとして「鼠骨」を号としたと聞きます。高濱虚子は本名の「清」から、河東碧梧桐は本名の「秉五郎(へいごろう)」から採ったものだそうです。

私の母方の祖父は本名が「健治」でしたが、「明水」という俳号を名乗っていました。明治生まれだったので「明水」と付けたのでしょう。ご自分の気に入った俳号を名乗ってみましょう。句会で初めて俳号を名乗った瞬間、自分が自分でなくなった様な不思議な感覚がしますが、慣れて来ると俳号に愛着が湧いてくるから不思議です。