2023年12月3日日曜日

新年号の投句

 早いもので今日は師走の三日。もう幾つ寝るとお正月の時期になりました。昨年の12月、ある県の警察本部の機関誌の俳壇の句が私の所に到着しました。早速、選に掛かりましたところ、友人が亡くなったお悔みの句が目に飛び込んできました。こんな句を正月号に載せるのはどうかと思いましたが、他に正月らしい句が見当たりませんので、やむなく晩秋や初冬の句の中に混ぜて並べました。

そして講評の欄に、正月号に投句する場合は正月らしい句を選びたいものだと書きましたところ、今年の12月の投句はしっかり正月を寿ぐ句が並びました。正月号を手にして俳壇の欄をめくったら、友人が亡くなった句が巻頭になっていた。読者はどう思うでしょう。正月早々縁起でもない、と他の句を読まずに機関誌を閉じてしまうでしょう。特に正月号に付いては、このような気遣いが大切です。同人誌の場合は、会員自らが会誌を作っている訳ですから、気を付けたいものです。

2023年11月5日日曜日

読者を意識して詠む

 俳句結社の会員は毎月いくつかの句会に参加しています。九年母で言えば本部例会や本部吟行、各自が所属している句会などです。多い人になると俳句講座を含めると六~七つほどの句会に参加しておられます。皆さん頑張って、選者の選に入る句を、願わくば特選や巻頭を、と思って詠まれています。

しかしそれでよいのでしょうか。俳句を詠む目的が句会での入選になっていないでしょうか。句会で選者の選に入る、それだけで良いのでしょうか。雑詠欄に投じるための句を選者に選んでもらうために句会に参加する人も居られます。それでよいのでしょうか。私たちは何のために俳句を詠むのでしょう。

常々句会で申し上げていますね、札幌の人にも熊本の人にも分かるように詠みましょうと。俳句とは、全国の読者に自分の思いを伝え、共に感動してもらうために詠むものだと私は思っています。読んだ人が感動して褒めてくれる。これが俳句作りの喜びだと思います。先ず手始めに互選で会の仲間に伝えて感動してもらう。同時に選者にも評価してもらう。そして雑詠欄を通じて、全国の読者に評価していただきます。九年母誌は、国会図書館を始め、全国各地の図書館や教育機関に、毎月贈呈していますから、全国に読者が居られます。

読者を意識して、共感してもらえるように詠む。句会の小さな、狭い世界での出来不出来に拘らず、読者の存在を意識して詠みましょう。私は選者として、そのお手伝いをさせてもらいます。勿論私自身も、全国の読者に向かって句を詠んでいます。全国誌を通じて、俳人としての、また九年母の主宰としての評価を問うています。視線を遠くに向けましょう。

2023年10月2日月曜日

羞恥心を去る

 本部例会、本部吟行など、私が選者を務めている句会に於いては、講評が済んだ後で必ず質疑応答の時間を設けている。灘区文化センター(旧 六甲道勤労市民センター)の私の俳句講座を修了されて九年母会に入られた方は、師匠と弟子という関係から、私に対して比較的気楽に発言される。俳句に関してはゼロからのスタートであり、修行の度合いも分かっているので、仲間同士でも本音で話ができるのである。

そのため、講座を修了された会員は活発に質問されるが、それ以外の方には「下手なことを質問したら恥ずかしい」という気持ちがあるようで、なかなか質問や意見が出ず、私が「何かありませんか」と問うと一斉にうつむいてしまう。この恥ずかしいという思いを取り去らないと、質問もできず意見も言えず、疑問点が解明しないまま帰宅することになって進歩が遅れる。

私は浩洋先生の句会にいた時、先生が私の句を講評される際には「私の句です」と名乗って拝聴し、講評が終わったら必ず「有難うございました」と一言申し添えた。これを毎回繰り返していると、「さあ、何でも仰って下さい」と思うようになり、恥ずかしいという思いが消えたのである。病気の治療をお医者様にお任せするような気持ちだった。お医者様に対して、病気であることを恥ずかしいと思っていては、病気は直せない。すべてをお任せして直して頂く。このような境地になって、羞恥心を取り去ってみてはどうだろう。

2023年9月3日日曜日

虚子の予言

 先日ある結社の主宰と、季重なりや切字について話をする機会がありました。私は季重なりや切字についてはうるさく言う方針ですが、その主宰は、季重なりについても切字についてもあまりうるさく言わないようにしているとのことでした。あまりうるさく言うと作者が委縮してしまうので、出来るだけのびのびと詠むような指導を心掛けているとのことでした。

選をしていると、この作者は季題や切字の使い方について、基礎的な勉強をしていないのではと思うくらい、自由奔放な句が有ります。俳句は人様々であり、型にはめるのはおかしいという選者も居られます。

芭蕉が今の俳句の原型を打ち立てられた時には蕉風と言われる詠み方が有りましたが、芭蕉の没後それが崩れて百家争鳴の状態になりました。数十年後にその状況をを憂いた蕪村が蕉風への回帰を呼び掛け、しばらくは奏功しましたが、やがて再び月並俳諧に堕落してしまいました。明治になって子規により俳句の改革が叫ばれ、虚子の活躍によって客観写生や花鳥諷詠などの作句理念が全国に普及しました。その後、その後虚子の指導に反発する人もあり、幾多の変遷を経て現在の俳句の状況に至っています。

しかし、季重なりの容認や切字の否定などを通じて、再び月並みに戻ろうとする流れが起こってきています。汀子先生が日本伝統俳句協会を立ち上げられたのは、実にこの流れに抗するためだったのですが、少子高齢化も影響して、汀子先生亡き後、伝統俳句に迫力がなくなって来ているように思われます。

昭和10年12月に、赤星水竹居という虚子の高弟が虚子に尋ねました。「先生、百年経ったら、俳句はどうなっているでしょうか」これに対して虚子は「また元の月並みに返りますね」と答えられたと、水竹居著「虚子俳話録」にあります。それから今年で88年。もうすぐ100年になります。テレビの俳句ショーと言い最近の季重なりの状況と言い、虚子の予言が当たるかも知れないという恐ろしさを感じる今日この頃です。

2023年8月5日土曜日

大らかに詠め

 この異常な猛暑についにダウンし、ようやく復活してまいりました。昼の暑さもさることながら夜中の暑さに、命の危険を感じながら過ごしています。先日、平熱が35.6℃と低めの私が37.2℃まで発熱しましたので、これはコロナだと慌てて掛かり付けの医院を受診しました。ところが先生曰く「コロナは38℃以上になるのが普通。もっと高くなったらいらっしゃい」と門前払い。診察の結果は夏風邪。総合感冒薬を頂いて帰って来ました。それでも喉は痛むし咳は出るわ、鼻水は出るわ。尾籠な話で恐縮ですが大変でした。

ところで、先日の句会でこんな句を出して見ました。

   帰ろかな かなかな蝉も帰るころ   伸一路

「かな」をもじった句で、もちろん全く抜けなかったのですが、私は遊びがあって面白い句だと思いました。このような遊びは虚子の句にもあります。

   君知るや薬草園に紫蘭あり     虚子

薬草園に紫蘭という植物が咲いているが、君知っているかね、と虚子が句会の会員に尋ねているのです。会員の答えは「知らん」。紫蘭という言葉を掛けているわけです。

次の句は虚子の正月の句です。

   正月や句はすべからくおほらかに  虚子

この句があるお陰で、どれだけ救われたことか。句が出来ない、詠めないと思い詰める方がおられます。そんなときには虚子のこの句を思い出してみましょう。句はすべからく大らかに詠みましょう。

2023年7月4日火曜日

句点と読点

 文章を区切る時に使う記号に句点と読点とがあります。句点(くてん)とは文章の切れ目に打つ記号で、「。」を使います。読点(とうてん)とは、一つの文章の中で、語句の繋がり方を示すために打つ記号であり、「、」を使います。ややこしい説明で分かりにくいと思いますが、次の文章をご覧ください。

 消防避難訓練を下記の通り実施しますので、居住者の皆様は参加して下さい。

「実施しますので」の次の「、」が読点、文章の最後の「お願いします」の次の「。」が句点です。文章の中継ぎと終了を示しています。

この句読点が適切に打っていないと、文章がどこで切れるのか分からず、意味がはっきりしない文章になってしまいます。次の文章は、ある新聞の記事です。

 記事「大津市で20~30歳代の女性3人が同居する交際相手の男から暴行や脅迫を・・・」  

これを「20~30歳代の女性3人が、同居する交際相手の男性から暴行や脅迫を」と読点を打った場合とを比べたら、どちらが読みやすいでしょうか。

句点は、一つの文章がここで終わるという記号ですから、比較的打ちやすいのですが、読点は、一つの意味の言葉のグループを区切って行くものですから、ある程度訓練を積まないと難しいと思います。「巻頭者の言葉」や「自句自解」、「雑詠後半を読む」などの文章は、編集部の校正担当者が、誤字脱字だけではなく記号もチェックして、より分かりやすい文章に校正しています。「九年母」にご自分の文章が掲載されたら校正された部分がないか確認し、今後の文章作成の参考にして下さい。 

2023年6月2日金曜日

類句・類想句について

俳句の世界には、類句・類想句という言葉がある。類句というのは既に詠まれた俳句に表現がよく似ている句の事、類想句とは既に詠まれた句の着眼点や発想が極めて似ている句を言う。一字でも違えば類句ではないという人があるが、言い逃れに過ぎない。

ある句会で、歳時記に載っている句をそのまま自分の句として投句した方があった。相当な高齢の方であり、当の作者が「私の句と同じなので」とやんわりとたしなめられ、事なきを得た。気が付いた方が類句ではないかと問題を提起し、全員で検討すればよい。盗作など悪意で類句を投じるような人は、人間として問題が有り、句会のみならず俳句の世界から追放されるべきである。

問題は類想句である。一緒に吟行に出掛け、同じところを見て回って作句した際に、よく似た句が生まれやすいのはむしろ当然であり、いちいち類想だと争ってもつまらない。当季雑詠で句会をした際に、持ち寄った句がよく似ていることがある。この場合には、両者が共に投じた句を取り下げるという配慮が欲しい。どちらが悪い、どちらが真似をした、という問題ではなく、類想が出来る程度の、斬新さの無い平凡な句だという証拠である。汀子先生も「類句に良い句は無い」と説いておられるが、この場合の類句といは類想句のことであろう。
では、どうしたら類句・類想句を防げるだろうか。私は、投句する前に手元にある歳時記を検索し、類句や類想句が無いかをチェックするようにしている。しかし、すべての歳時記をチェックすることは不可能であり、可能な限りで良いと思う。投句締め切り時間に追われて、類句・類想句のチェックもできないようでは困る。十分余裕をもって句会に臨むことである。
句会が始まり清記が回って来たら、同じ着想の句がないかチェックするようにしている。もしあったら、その句はそれで止め、雑誌やコンクールへの投句には使わないようにしている。私独自の感性の句ではないからである。

類句・類想句を発見し指摘することは、選者の大切な仕事である。そのためにも、選者を務める人は普段から普通の人以上に沢山の作品に接し、心の準備を常に整えておくことが求められる。類句・類想句を採ってしまうと、場合によっては選者としての命取りにもなりかねない。「そんな句も知らないのか」という評判が立つと致命傷にもなりかねない。座って選をしておればよいという安易なものではないのである。

2023年5月3日水曜日

人工知能と俳句

 最近、新聞やテレビでチャットGTPが話題になっている。コンピュータに資料や文章の作成を指示すると、AI(エーアイ:人工知能)がたちどころに答えを出し、文章を作ってくれるというもの。役所や企業で活用すれば仕事の効率が上がり便利なものだが、学生が自ら学習をせずにコンピュータに試験の解答や卒業論文を作らせることになると、学力低下の問題が起こって来る。便利なものでありながら活用を誤ると危険なことになる。まさに諸刃の剣である。

ところで、このAIに俳句を作らせたらどうなるだろう。すでに実験をしているところもあるようだ。まだまだ人間が詠んだ俳句の方が優れているという結論が出ているそうで、ひとまず安心だ。俳句に関する膨大な情報をコンピュータに記憶させ、「○○という季題で俳句を作れ」という指示を入力すると、直ちにその季題で作った俳句が打ち出されるという。

いまのところAIが出来ないこと、それは人の心を詠むことである。

     重ね来し句誌の百年花は葉に   伸一路

この句の「花は葉に」という季題がAIには分からないと思う。この季題が内蔵している、未来へ向かって発展しようとする力という本意と、百年続けてきた句誌に対する作者の万感の思いが、AIには理解できないだろう。しかしだからと言って胡坐をかいていては、やがてAIに俳句という高度な知的文化を乗っ取られるかも知れない。それを防ぐためには季題の理解を深めることが大切だと思う。季題を駆使して自分の思いを詠めば、AIなど恐れるに足りない。つまりは花鳥諷詠である。俳句が生き残るにはこれしかないかも知れない。季題を単なる季節の言葉と考えて、見たままの句を詠んでいると、やがてAIに追い越されてしまうだろう。

2023年4月4日火曜日

自信を持とう

4月3日、大阪の住吉大社にて恒例の松苗神事 が斎行されました。午前11時から第一本宮に、氏子の代表者と献詠選者を代表して私と古賀しぐれさん、入選された皆さんが昇殿。今回は、高野山の三葉松の若木を境内に植樹された高野山金剛峰寺の貫長猊下も賓客として昇殿されました。神前での神武(こうたけ)宮司の祝詞奏上に続いて神楽女による白拍子の舞や神楽舞が奉仕されました。続いて順次玉串を奉奠した後、若い神職により入選句が朗詠され、入選者一同、大いに面目を施しました。その後、境内に設えてある植樹斎場で二本の松の若木の根元に順次砂をかけて神事が終わりました。

神武天皇陵遥拝所に移って同天皇の生誕日を祝う祝詞が上げられた後、献詠の関係者は境内にある結婚式場「吉祥殿」に移動し、宮司から表彰を受けました。その後3年振りとなる直会に臨み、神宮直属のシェフによる豪華な食事と美酒を堪能しました。

ところで今回の松苗神事献詠俳句では、九年母会からは5名の方が入選されました。他の結社が1~2名であることからすると、入選者の数の多さが際立っています。直会の際も、6人掛けの丸テーブルが私を含めて全員九年母会員でした。それが美酒とおいしい 食事で大いに盛り上がっていましたので、他の結社の方はさぞかし驚かれたと思います。まさに九年母恐るべし、という光景でした。因みに、美酒は「住吉」という銘柄の山形県のお酒でした。そこへ片岡橙更編集長から、令和3年度の花鳥諷詠賞を受賞したという報告が入ったものですから、さらに大盛り上がりとなりました。

自宅へ帰って開いた「花鳥諷詠」4月号で、岩水ひとみさんが伝統俳句協会賞の最終選考16名に残られたという記事が載っていました。鎌ヶ谷市に本拠がある百鳥俳句会(大串 章主宰)の「百鳥」4月号の『現代俳句月評』の欄には、私の句と並んで稲谷有記さんの句が採り上げられ、句評を頂きました。

九年母会は、播水の頃は全国屈指の会員数を誇る大結社でしたが、哲也時代には先生のご病気の影響もあって徐々に自信を無くし、しょんぼりとした結社になってしまいました。しかし、ようやくここに来て「九年母さん、凄いね」と評される結社に回復して来ました。回復の原因は会員の皆さんが、虚子の俳句理念である「花鳥諷詠」を正しく理解して、汀子先生の教えに従って俳句を詠むようになったことだと確信しています。「花鳥諷詠」に依れば全国のどこに出しても恥ずかしくない俳句が詠めます。

世間での九年母会の評価は確実に上がって来ています。かつてある方が、九年母会員であることが恥ずかしい時代があった、と述べられたことがありましたが、もうそんなことはありません。自信をもって、俳句の大道を胸を張って歩きましょう。

2023年3月3日金曜日

「汀子忌」という季題

 2月27日、関西ホトトギス同人会の主催により、汀子先生の一周忌の記念句会が芦屋市の虚子記念文学館にて開催されました。参集者は101名。当会からは10名が参加しました。

主催者から、「ホトトギス」でこれから活躍が期待できる人を推薦せよという依頼があり、今まで「ホトトギス」とは縁が薄かった人を期待を込めて推薦しました。ところが会場に入ってベテランの多いことにびうっくり。これでは新人には敷居が高すぎるのではと心配しましたが、互選や選者選で九年母の仲間の名乗りが度々聞こえておりました。

この句会をもって汀子忌という言葉を、虚子忌、年尾忌と共に季題として認める旨、稲畑廣太郎主宰が発表されました。紅梅忌という言葉を傍題とする予定だったのですが、すでに他の方に紅梅忌という忌日があったので見送られました。これからは晴れて汀子忌という季題を、大手を振って使えることになったのです。

    先生も渡られし橋汀子の忌   伸一路

これは当日、主宰の特選に入った句です。ご自宅の近くの、芦屋川に架かる「ぬえ塚橋」を汀子先生が笑顔で渡って来られます。稲畑家に嫁がれてより何千回と渡られた橋です。嬉しい時も悲しい時もこの橋を渡って芦屋の市街地に行かれたのです。お子達の学校の行事、父君やご夫君の看病、芦屋市の教育委員長としての公務にも。毎週、東京の朝日新聞社で行われる朝日俳壇の選には、朝一番の飛行機に乗るために暗いうちに渡られたことでしょう。虚子記念館や日本伝統俳句協会の設立の時には沢山の書類を抱えて渡られたことでしょう。そんなことを思って橋を眺めていると、先生は天国に行かれるときもこの橋を渡られたのだと気づき、一句が出来ました。主宰もこの句の講評で同じことを語られ、高い評価を頂きました。

平成18年9月から17年間、毎月この橋を渡って通ったご自宅での下萌句会も、5月で終了と聞いています。大きな歴史が幕を閉じることになりますが、先生は汀子忌という季題と共に永遠に私たちの心の中に生き続けられます。

2023年2月1日水曜日

選の正確さ

 俳句を詠むときは、できる限り自由自在に、できる限り詩的に詠もうと心がけていますが、その時も常に「選の五か条」を念頭に置いて詠んでいます。

       1、有季定型の原則を守っているか。

       2、文字や文法、仮名遣いは正しいか。

       3、写生が出来ているか。

       4、季題の選択は適切か。

       5、詠もうとする感動が本物であるか。

句作と選句とは車の両輪。どちらが疎かになっても車は真直ぐには走れません。詠むときも選をするときも、この基準に照らして判断すればよいと思います。基準がバラバラでは、いつまでたっても我流の俳句しか詠めず、正しい選が出来ません。伸一路の選はブレないという評価を頂いていますが、この基準を守っているのがその要因かも知れません。

私が選者として直接出向いている句会では、汀子先生に習った一句評を必ず行っています。一句評は昔の九年母には無かったのですが、平成18年9月に先生のお宅で開かれている句会に初めて参加し一句評を経験して、その効果を実感しました。以来、指導の一環として採り入れています。

私は皆さんの一句評を聞きながら、選の正確さを考え、その方の指導の方法を考えます。汀子先生も同じお考えだったと思います。後日選だけの句会も沢山ありますが、その句会の方はできるだけ本部例会や本部吟行、千鳥句会や野鳥句会等にお出になって、直接私の選を受ける機会を設けられた方が良いと思います。もちろん厳しいです。そう簡単には選に入りませんが、確実に力がついてくると思います。

2023年1月1日日曜日

新年のご挨拶

 会員・誌友の皆様、明けましておめでとうございます。皆様にとりまして良き年でありますようにお祈りします。

さて、新型コロナウイルスの世界的流行が起こった当時、日本以外の国ではマスク着用が普及しなかったのですが、我が国ではごく自然に大多数の国民がマスクを受入れました。古来、神仏に直接息がかからないように憚って、紙で口を覆う文化があります。年末の大仏様のお身拭いをイメージすれば分かると思います。衛生観念も発達していて、給食当番の幼い子供でも、抵抗感なくマスクを付けています。マスクをすることは理にかなったことであり、良いことだと納得しているからでしょう。

ところで、日本人は良いことだと思い込んでしまうと、なかなかそこから抜け出せず、徹底的にその思いを守ろうとする特性があるように思います。例えば八紘一宇の理想を掲げて始まった太平洋戦争は、壊滅的な被害を被っても自らの手で終結することが出来ず、逆に敗戦後に公布された憲法を、色々な問題が有るにも拘らず、七十数年間、一条の改正も無く頑なに守り続けている事にも、その特性が現れていると思います。因みに米国では、終戦以来、既に五回の憲法修正が行われています。

「思い込んだら試練の道を行くが男のど根性」とはテレビでも放映された野球アニメ「巨人の星」の主題歌の一節ですが、日本人のこの特性を物語っているようです。「男のど根性」とは、ある種の美学なのでしょう。評論家は、同調圧力だとか村八分になるのが怖いからだとか、マスクが外せない理由を述べていますが、私はこの日本人の特性によるものではないかと思います。

最初の大流行の発生時には効果的な治療薬も無くマスクしか頼るものが無かったこともあり、すっかり馴染んでしまったので、感染が下火になったからと言っても、外すことには逆に抵抗感が生まれているのでしょう。知人の女性の話では、マスクしていると化粧が楽なので助かるとか。納得のゆく説明です。

 政府は普通の風邪と同じ扱いにすべく法案の作成を急ぎ、外出の際はマスクを外すように説得していますが、国民の耳には届いていないようです。インフルエンザの同時流行も懸念されていますので、わが国では簡単にはマスクを手放せないでしょう。政府が、外国への面子のために国民を犠牲にして良い訳が有りません。日本は日本の文化を大切にすればよいのです。ある種の美学かも知れません。

 ところで、私達が日頃親しんでいる俳句という文学は、室町時代の後期に俳諧の連歌という形で庶民の間に生まれました。やんごとなき方々が楽しんでいる連歌を庶民流にアレンジして、面白おかしく詠んで楽しんでいました。俳諧とは駄洒落とか言葉遊びのことであり、その内容は芸術とは言えなかったようです。勅撰和歌集など短歌には素晴らしい歌集がたくさん上梓されているのに対し、俳句は室町時代後期の著名な連歌師である山崎宗鑑が著した『新撰犬筑波集』が有るだけで、書物にして残せないところを考えるとすると、どうも当時の俳諧は庶民の言葉遊びのたぐいで、芸術的ではなかったようです。

 短歌を上の句と下の句に分けて、次々と人を変えて詠み続けて行く文芸を連歌と言い、筑波の道とも言いますが、宗鑑の残した『新撰犬筑波集』の名前には「犬」という字が含まれています。植物の名前でもイヌビエやイヌタデのように、役に立たない植物には犬の字を付けたものがたくさんあります。宗鑑ほどの人が自分の書物のタイトルに「つまらない、役に立たない」という意味を込めているとすれば、当時の俳諧の連歌の芸術性は推して知るべし、です。

 この他愛ない言葉遊びを芸術の域に高めたのが松尾芭蕉でした。その洗練された精神性は多くの支持者、賛同者を得、我が国の短詩形文学の絶頂期を築きました。有季定型という、現代の私たちが拠り所としている俳句の基本中の基本原即もこの頃確立し、芭蕉没後約三百三十年経った今でも、この原則は守り抜かれているのです。近年、この原則を無視して自由律と言う短詩を俳句と称して詠んでいる一部の人達が居りますが、やがて歴史の彼方に消えてゆく事でしょう。俳人や俳句の評価は、永い歴史のフィルターを通して定まるのです。

 これだけ永い間有機定型の原則を頑なに守って来た民族の特性には驚かされます。音楽で言えば、例えば洋楽はクラシック音楽とポピュラー音楽に大別され、更にジャズや歌謡曲など、さまざまなジャンルに分かれます。ところが俳句は川柳という枝が生えて独立した以外は、三百三十年間、変わることなく詠み続けられてきているのです。

 これからも有機定型を堅く守って、日本の、日本人による、日本人のための俳句と言う文芸を続けて行きましょう。