2023年11月5日日曜日

読者を意識して詠む

 俳句結社の会員は毎月いくつかの句会に参加しています。九年母で言えば本部例会や本部吟行、各自が所属している句会などです。多い人になると俳句講座を含めると六~七つほどの句会に参加しておられます。皆さん頑張って、選者の選に入る句を、願わくば特選や巻頭を、と思って詠まれています。

しかしそれでよいのでしょうか。俳句を詠む目的が句会での入選になっていないでしょうか。句会で選者の選に入る、それだけで良いのでしょうか。雑詠欄に投じるための句を選者に選んでもらうために句会に参加する人も居られます。それでよいのでしょうか。私たちは何のために俳句を詠むのでしょう。

常々句会で申し上げていますね、札幌の人にも熊本の人にも分かるように詠みましょうと。俳句とは、全国の読者に自分の思いを伝え、共に感動してもらうために詠むものだと私は思っています。読んだ人が感動して褒めてくれる。これが俳句作りの喜びだと思います。先ず手始めに互選で会の仲間に伝えて感動してもらう。同時に選者にも評価してもらう。そして雑詠欄を通じて、全国の読者に評価していただきます。九年母誌は、国会図書館を始め、全国各地の図書館や教育機関に、毎月贈呈していますから、全国に読者が居られます。

読者を意識して、共感してもらえるように詠む。句会の小さな、狭い世界での出来不出来に拘らず、読者の存在を意識して詠みましょう。私は選者として、そのお手伝いをさせてもらいます。勿論私自身も、全国の読者に向かって句を詠んでいます。全国誌を通じて、俳人としての、また九年母の主宰としての評価を問うています。視線を遠くに向けましょう。

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