2016年8月31日水曜日

「や」止めの句

今月の紀伊俳壇の投句の中に、次の様な句が有りました。

    人の子を蹴散らし去った夕立や

先日選が終わったばかりの住吉大社観月祭献詠俳句の中にも、この様な「や」が散見されました。ある俳壇の投句には、この「や止め」の句が10句もありました。下五の最後に詠嘆を示す「や」を置く「や止め」は、ある程度俳句を学んだ方であれば、異常な止め方だと思われる筈です。

喜ぶべきことか、はた悲しむべきことか。私は喜ぶべきことだと思っています。九年母会で俳句を学んでおられる皆さんは、この様な「や」止めの句はお詠みにならないでしょう。しかし、初心の頃には、お詠みになったことが有ると思います。「や」で止めると何となく俳句らしくなると思う、初心者に多い詠み口と言えるでしょう。

    黒きしみつとあり五郎兵衛柿とかや   虚子

虚子にもこの様な「や止め」の句が有りますが、上記の俳壇の句の様な詠嘆では無く疑問の「や」で、五郎兵衛柿と言うのだろうか、と言う場合の「や」です。

団塊の世代の方が定年を迎えられ、シルバーカレッジやカルチャーセンターが大変賑わっているようです。講座を担当する者の実感として、確かに俳句の習得を希望される方が着実に増えています。特に、60歳台後半から70歳台前半の方の受講希望が増えているように思います。加えて、ある民報のテレビの番組の、俳句の出来・不出来を辛辣に批評・格付けする女流俳人の活躍のお蔭で、俳句に興味を持つ方が増えているようにも思います。

従って、この様な「や止め」と言う、通常は使わない止め方が目に付くようになったことは、それだけ初心者が増えて来ていることの証しかも知れません。そうであれば、大変うれしいことで、「や止め」の句が益々増えることを、期待したいものです。俳句の修行を積まれ、やがて気付かれる日が来るでしょうから。