2016年1月21日木曜日

選の罠

句会で互選をするに当たって何を基準にすれば良いかは、悩ましい問題である。句会では清記が次々と回ってくるため、じっくりと句を読むのは困難である。200人もの参加者がある様な大きな大会では、一枚の清記を見る時間はおよそ5秒から10秒。その間に適格な選をしなければならない。他選の難しさはここに有る。

選をする際に陥りやすいのが情緒である。一種の感情移入であり、俳句の内容に惚れてしまう、と言っても良い。雑詠選に出された句に、

       冬桜ひかえめな母思い出し

というのが有った。選をする人はこの句を読んで、自分の母親の思い出に浸るのだ。母も控えめだった、との感慨に陥る。そうなると、この句が盲目的に愛おしくなって採ってしまう。冬桜という季題が響き合って、良い句だなと思ってしまう。文法も何も分からないくらい、盲目的な選になってしまうのである。

私が選をする場合、一読して先ず定型を踏んでいるかどうかを確認する。字余り、字足らずになっていないか。次に、季題の働きが十分かどうかを確認する。その次に文法上の誤りや、送り仮名の誤りをチェックする。あくまでも冷静に見つめるのである。その上で、作者の詠んだ感動が本物か偽物かを探る。心から感動して詠んでいるか、受けを狙って、頭の中だけで詠んだものか。それを判定するのである。

掲句で言えば、「思い」は「思ひ」の誤り。最後の「出し」はいわゆる連用止めであり、「出す」と終止形で止めた方が落ち着きが良い。感動は本物と思われて、甘さはあるが好感の持てる句だ。

互選の特選句の寸評を聞いていると、特選に採った句に盲目的に惚れ込んでしまって、句が見えていない人がある。自分の好き嫌いだけで、情緒的な選をしている人も多い。情緒というのは選の罠だと思う。罠に掛からないように、落し穴に墜ちないように、慎重に選をして欲しい。俳句の大家や選者に理科系の人が多いのも、むべなるかなである。