ある日の句会で、こんな句が出された。
触れもして脈打つ命袋角
いわゆる「もして」の句である。この言葉を下五に据えて詠んだ句が、雑詠選で散見される。私が俳句を始めた昭和59年頃、当時師事していた故古澤碧水にこの「もして」を教わった。古風だが俳句らしい語感が有って、好んで使った。周りの方も普通に使っておられた。しかし、調べてみると、使用例は意外に少ない。朝日文庫の虚子著『高濱虚子句集』に収録されている約4000句の中で、私の調べた限りでは次の2句だけである。
焚火してくれる情に当りもし 虚子
この寒さ腹立ちもして老の春 同
東京四季出版の『歳華悠悠』には五十嵐播水の句が350句収めてあるが、その中で「もして」の句は次の1句だけである。
秋暑し女の扇借りもして 播水
五十嵐哲著句集『復興』においても、収録600句中、平成11〜13年の部に次の1句が有るのみである。
豆飯のお代わりもして忌明けかな 哲也
私の第1句集『鳥語』を繙いてみても、平成15年の部に次の1句があるのみだ。
野路行くや色鳥の羽拾ひもし 伸一路
そしてこの句が、私の最後の「もして」の句となった。
ホトトギス誌の雑詠欄や天地有情の欄を通読しても、「もして」の句はまず見当たらない。それが現在の状況である。全ての文芸と同様、俳句も日々進化している。絶えず新しい句材を求め、新しい詠み方を工夫することによって、俳句も進歩・発展してゆく。古い表現を使ってはいけない、ということではないが、常にフロンティアを志す気構えを持ちたいものだ。