2015年9月12日土曜日

もしての句

先日の句会で、こんな句が出された。

       触れもして脈打つ命袋角

いわゆる「もして」の句である。この言葉を下五に据えて詠んだ句が、九年母の雑詠選で散見される。私が俳句を始めた昭和59年頃、当時師事していた古澤碧水にこの「もして」を教わった。古風だが俳句らしい語感が有って、好んで使った。周りの方も普通に使っておられた。しかし、調べてみると、使用例は意外に少ない。朝日文庫の虚子著『高濱虚子句集』に収録されている約4000句の中で、私の調べた限りでは次の2句だけである。

       焚火してくれる情に当りもし       虚子
       この寒さ腹立ちもして老の春       同

東京四季出版の『歳華悠悠』には五十嵐播水の句が350句収めてあるが、その中で「もして」の句は次の1句だけである。

       秋暑し女の扇借りもして          播水

五十嵐哲也名誉主宰の近著『復興』においても、収録600句中、平成11〜13年の部に次の1句が有るのみ。

       豆飯のお代わりもして忌明けかな    哲也
 
私の第一句集『鳥語』を繙いてみても、平成15年の部に次の句があるのみである。

       野路行くや色鳥の羽拾ひもし      伸一路

恐らくこの句が私の最後の「もして」の句だと思う。

ホトトギス誌の雑詠欄や天地有情の欄を通読しても、「もして」の句はまず見当たらない。それが現在の状況である。全ての文化と同様、俳句も日々進化している。絶えず新しい句材を求め、新しい詠み方を工夫することによって、自分の俳句も進歩・発展してゆく。古い表現を使ってはいけない、ということではないが、常にフロンティアを志す気構えを持ちたいものである。

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