2016年1月31日日曜日

合評会

前回、席題について述べた。今回は更に、俳句の訓練方法としての合評会についてお話したい。句会を開く。清記・選句は通常通りであるが、披講では作者は名乗りを挙げず、代わりに各句に割り振られた番号を記録する。いわゆる点盛りである。披講が終わったら、点盛りの点数の多い句から、全員がその句の句評をする。選に採った人はその理由を、逆に採らなかった人はその理由を述べる。当然その句の作者も、素知らぬ顔をして、採った人としてその理由を述べるのである。

高得点の句については、全員の句評が終わったら、名乗りを上げる権利が与えられる。逆に点数の悪い句については、誰の句か分からないままにしておく。零点の句の場合、作者も素知らぬ顔で、自分の句の欠点を述べねばならないこととなる。酷評されても、辛抱しなければならない。作者が分からないので、良い句についても悪い句についても、だれでも自由に発言出来る。遠慮がないので率直な意見が出される。これが勉強になるのだ。

随分前の事だが、仲間7人が集まって毎月、芦屋で合評会を開いたことがある。3年ばかり続いたが、喧々諤々の句評の嵐の中で、随分成長させて頂いたと思う。自分の句を褒められるのは嬉しい。逆に批判されるのは辛い。そこまで言うか、と思う事も有った。しかし、この辛さの中にこそ、成長のバネが有るのだと思う。

欠点という事実を受け止め、それを改良するからこそ、産業は発展するのだ。自動車産業などはその典型である。ブレーキの利きが悪ければ改良する。俳句の勉強もこれと同じだ。自分の欠点から目をそらし、適当な句を作っていては、進歩はない。合評会を経験すると、この事が良く納得できる。機会が有れば、是非挑戦してみて欲しい。


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