先日のある句会にて「卯浪」という兼題が有りました。しかし、どうもこの季題の研究が十分では無かったようで、詠めていない句がかなりありました。この季題をホトトギス新歳時記で見てみると、「陰暦4月(卯月)のころ、波頭白く海面に立つ浪をいう。」とあり、角川合本歳時記では「卯月(旧暦4月)ごろに立つ波のこと。このころは天候が不安定で波が立ちやすい。(後略)」とあります。
シベリアから張り出した寒気団と、南方から吹き込んでくる暖かい空気とが日本列島の上でぶつかり合い、急に天候が変化したり、突風が吹いたりします。このため、突然波が高くなることが有ります。海面に白波が立ち、あたかも海面を白兎が跳ねているような景観を呈します。私も若い頃、しばしば乗合船で海釣りに出掛けましたが、船頭が船を出すのを嫌がるほど、高い波が立ったことが有りました。
つまり、卯浪とはこのような波なのです。ひたひたと寄せて来る波では有りません。二つの歳時記に共通しているのは、荒い波である事です。因みに私は、小さいなみを波、大きいなみを浪、断崖に打ち付けるなみを濤として使い分けています。
貝拾ふいつもの浜辺卯浪寄す
海の面きらりと光り卯波立つ
その句会で出された句ですが、卯浪の感じではなさそうです。
雲垂れて波が風呼ぶ卯浪かな
せめぎ合ひ鳴門の卯浪飛沫立つ
これらの句はに卯浪らしい趣が有ります。
卯浪と卯波、どちらが正しいのか、という質問が有りました。ホトトギス新歳時記では卯浪、角川合本歳時記では卯波が季題となっています。どちらが正しいという事ではないと思いますが、私は浪の方がイメージに合うように思います。
渦巻きていよいよ高き卯浪かな 伸一路
2016年5月28日土曜日
継続という事
大阪府警本部教養課の方が2人訪ねて来られ、哲也先生が担当しておられた機関誌の選者を引き継いでほしいとのお申し出が有りました。播水・哲也と受け継がれて来た仕事であり、私は当然の事として、お引き受けしました。
その時に頂いた資料によると、昭和26年に55歳で亡くなられた本田一杉というホトトギス同人が初代の選者の様で、播水先生で3代目、哲也先生で4代目です。本田一杉さんが何年担当されたかは分かりませんが、2代目の牧野美津穂というホトトギス同人は31年10ヶ月、播水先生は18年10ヶ月、哲也先生は15年11ヶ月と、それぞれ大変長い間担当されています。さて私が何年出来るか、心配になって来ました。
俳壇を担当するという事は、体力的にも精神的にも、相当な覚悟が必要です。和歌山県田辺市に本拠を置く「紀伊民報」という地方新聞の俳壇の選者を、この3月から、哲也先生の後任として私が務めております。聞いたところでは、播水先生は約50年間、哲也先生は16年間、選者を務められたとか。このような地味なご努力が有ったからこそ、九年母会が維持・継続されたのだと思います。
最近では、俳句結社は雨後の竹の子の如く創設され、3年を待たずに消えてゆく、と言われていますが、播水先生は70年間の長きにわたり、九年母会を主宰してこられたのです。男性の平均寿命を考えると、普通の人にはとても不可能な長さです。
病気のデパートの様な私には、とてもこの様な真似は出来ませんが、毎日打席に立って、安打をコツコツと打ち続けて行きたいと思っています。継続の大切さ、難しさを痛感する今日この頃です。
その時に頂いた資料によると、昭和26年に55歳で亡くなられた本田一杉というホトトギス同人が初代の選者の様で、播水先生で3代目、哲也先生で4代目です。本田一杉さんが何年担当されたかは分かりませんが、2代目の牧野美津穂というホトトギス同人は31年10ヶ月、播水先生は18年10ヶ月、哲也先生は15年11ヶ月と、それぞれ大変長い間担当されています。さて私が何年出来るか、心配になって来ました。
俳壇を担当するという事は、体力的にも精神的にも、相当な覚悟が必要です。和歌山県田辺市に本拠を置く「紀伊民報」という地方新聞の俳壇の選者を、この3月から、哲也先生の後任として私が務めております。聞いたところでは、播水先生は約50年間、哲也先生は16年間、選者を務められたとか。このような地味なご努力が有ったからこそ、九年母会が維持・継続されたのだと思います。
最近では、俳句結社は雨後の竹の子の如く創設され、3年を待たずに消えてゆく、と言われていますが、播水先生は70年間の長きにわたり、九年母会を主宰してこられたのです。男性の平均寿命を考えると、普通の人にはとても不可能な長さです。
病気のデパートの様な私には、とてもこの様な真似は出来ませんが、毎日打席に立って、安打をコツコツと打ち続けて行きたいと思っています。継続の大切さ、難しさを痛感する今日この頃です。
2016年4月26日火曜日
麗かと長閑の違い
ある句会で麗かという題が出た。春四月の季題である。ホトトギス新歳時記では「春の光がうるわしくゆきわたり、すべてのものが明るく朗らかに見えるありさまをいう」とある。広辞苑には「空が晴れて、日影の明るくおだやかなさま」とある。これらから麗という季題は、春の光が明るくおだやかに行き渡るさまであると理解される。
これに対して長閑という季題をホトトギス新歳時記を見てみると「心がのびのびしてくるような春らしい日和をいう」とある。角川合本歳時記では「春の日はゆったりとしてのびやかである。その静かに落ち着いたさまをいう」とある。
これらの説明を要約すると、麗かという季題は、春の日の明るく朗らかなさまを云うのに対して、長閑という季題は、ゆったりとのびやかなさまをいうのである。今回の句会の句を幾つか書き抜いてみよう。
麗かやバギー並べて立ち話
園うららバナナ持ち上ぐ象の鼻
どちらの句もしっかり詠めていると思う。しかし、上記の季題の本意を考えるとき、季題の働きに問題が有りそうだ。両方の句の季題を、長閑に置き換えてみると、次のようになる。
長閑けしやバギー並べて立ち話
園のどかバナナ持ち上ぐ象の鼻
どちらが良いか、微妙な違いである。季題が違うという事は、本意が違うという事。言葉の感覚を磨いてほしい。そのためには、とにかく優れた例句を沢山読んで季題の本意を会得することが大切である。
これに対して長閑という季題をホトトギス新歳時記を見てみると「心がのびのびしてくるような春らしい日和をいう」とある。角川合本歳時記では「春の日はゆったりとしてのびやかである。その静かに落ち着いたさまをいう」とある。
これらの説明を要約すると、麗かという季題は、春の日の明るく朗らかなさまを云うのに対して、長閑という季題は、ゆったりとのびやかなさまをいうのである。今回の句会の句を幾つか書き抜いてみよう。
麗かやバギー並べて立ち話
園うららバナナ持ち上ぐ象の鼻
どちらの句もしっかり詠めていると思う。しかし、上記の季題の本意を考えるとき、季題の働きに問題が有りそうだ。両方の句の季題を、長閑に置き換えてみると、次のようになる。
長閑けしやバギー並べて立ち話
園のどかバナナ持ち上ぐ象の鼻
どちらが良いか、微妙な違いである。季題が違うという事は、本意が違うという事。言葉の感覚を磨いてほしい。そのためには、とにかく優れた例句を沢山読んで季題の本意を会得することが大切である。
2016年4月21日木曜日
象の小川
今週月曜日の朝日俳壇稲畑汀子選を見て驚いた。何と、巻頭・次席が九年母会の会員で占められているのだ。
巻頭句 清貧と云ふには遠し目刺焼く 池田雅かず
次席句 泳ぐ人溺るる人や花の海 髙田菲路
同じ結社の方が巻頭・次席を取られたのは今まで記憶にない。多分初めてのことだろう。雅一さんは、俳号をそれまでの本名の「雅一」から「雅かず」に変えて投句されたその第一号が巻頭となったのである。
こんなことが起こるから、俳句の世界は面白い。 主宰冥利に尽きるとはこの事だ。
そのほかの親しい方も入選された。
笹舟を象の小川に西行忌 高橋純子
古稀にして受験の夢にうなさるる 黒田千賀子
純子さんの句の「象の小川」については、吉野町の公式ホームページに次のようにある。
喜佐谷の杉木立のなかを流れる渓流で、やまとの水31選のひとつ。吉野山の青根ヶ峰や水分神社の山あいに水源をもつ流れがこの川となって、吉野川に注ぎます。万葉集の歌人、大伴旅人もその清々しさを歌に詠んでいます。
象をキサと読むのは難しいが、俳人の教養として記憶したい。
巻頭句 清貧と云ふには遠し目刺焼く 池田雅かず
次席句 泳ぐ人溺るる人や花の海 髙田菲路
同じ結社の方が巻頭・次席を取られたのは今まで記憶にない。多分初めてのことだろう。雅一さんは、俳号をそれまでの本名の「雅一」から「雅かず」に変えて投句されたその第一号が巻頭となったのである。
こんなことが起こるから、俳句の世界は面白い。 主宰冥利に尽きるとはこの事だ。
そのほかの親しい方も入選された。
笹舟を象の小川に西行忌 高橋純子
古稀にして受験の夢にうなさるる 黒田千賀子
純子さんの句の「象の小川」については、吉野町の公式ホームページに次のようにある。
象の小川(きさのおがわ)
象をキサと読むのは難しいが、俳人の教養として記憶したい。
2016年4月15日金曜日
花びらという季語
千鳥句会の例会で、香櫨園浜に吟行した。参加者は20名。阪神香櫨園駅に集合し、夙川に沿って遊歩道を南下し、香櫨園浜に出た。西宮の御前浜の一部で夙川の河口付近の名称である。この浜から、私の住んでいるマンションが遠望できる。椰子の木の並木もあり、一見南国風の、リゾート地の様な海岸である。
阪急夙川駅の南にある夙川公園から河口まで、夙川に沿う遊歩道をオアシス・ロードと言う。川の両岸には桜並木が続き、お花見の名所となっている。遊歩道を吟行している途中で、ある方から「花筏」は季題になるかどうか、お尋ねがあった。
ホトトギス新歳時記には載っていないが、角川合本歳時記には「落花」の傍題として収載されている。特に花筏については、「水面を重なって流れる花びらを筏に見立てて花筏という」と説明がついている。私としては、花筏は詩情豊かな言葉であり、季題として詠みたいと思う。ならば「花びら」はどうだろう、と言う話になった。
花びらはチューリップなど様々な植物にもあり、季題として使うには無理がある。従って桜の花びらを詠むならば、花の傍題に有る「花屑」を使うようにというのが汀子先生のご意見である。しかしお言葉ながら、花屑という言葉には、土にまみれた塵の様な語感があり、花びらに代わる季題として使うには抵抗感がある。
ならば、枝を離れて空中を舞う花びらを落花と詠み、地面や水面に落ちた花びらを花屑と詠んだらどうだろう。この方が抵抗感が少ないかもしれない。静かに散れば、落花舞う。風が吹けば、花吹雪。美しい言葉である。
流れゆく形は自在花筏 伸一路
阪急夙川駅の南にある夙川公園から河口まで、夙川に沿う遊歩道をオアシス・ロードと言う。川の両岸には桜並木が続き、お花見の名所となっている。遊歩道を吟行している途中で、ある方から「花筏」は季題になるかどうか、お尋ねがあった。
ホトトギス新歳時記には載っていないが、角川合本歳時記には「落花」の傍題として収載されている。特に花筏については、「水面を重なって流れる花びらを筏に見立てて花筏という」と説明がついている。私としては、花筏は詩情豊かな言葉であり、季題として詠みたいと思う。ならば「花びら」はどうだろう、と言う話になった。
花びらはチューリップなど様々な植物にもあり、季題として使うには無理がある。従って桜の花びらを詠むならば、花の傍題に有る「花屑」を使うようにというのが汀子先生のご意見である。しかしお言葉ながら、花屑という言葉には、土にまみれた塵の様な語感があり、花びらに代わる季題として使うには抵抗感がある。
ならば、枝を離れて空中を舞う花びらを落花と詠み、地面や水面に落ちた花びらを花屑と詠んだらどうだろう。この方が抵抗感が少ないかもしれない。静かに散れば、落花舞う。風が吹けば、花吹雪。美しい言葉である。
流れゆく形は自在花筏 伸一路
2016年4月7日木曜日
本場所としての句会
九年母会では毎月一回、本部例会と称する句会を開催している。従来は20名前後の参加者であったが、ここ数ヶ月来参加者が急増し、今回は37名となった。従来殆どなかった大阪方面からの参加者が増えて来ているのも、その一因である。来月は更に数名増えるとの事も聞いている。来月から、婦人会館から新長田勤労市民センターに移転し、更に広い会場で勉強することになる。
九年母会には全国各地に支部がある。相撲界で言えば、親方が運営し弟子を育てている相撲部屋である。相撲取りは、各自が所属する相撲部屋で血の滲むような猛稽古に明け暮れる。そして初場所や大阪場所など年6回の本場所で、その稽古の成果を問うのである。この本場所に当たるのが、九年母会では本部例会である。
本部例会では兼題で詠む。当季雑詠の句会もあるが、これでは自分の好きな季題ばかり詠む事になる。国語の好きな子は国語ばかり勉強する。理科が好きな子は理科ばかりを学ぶ。これでは偏った学力になってしまう。押し出しが好きだからと言って、これでしか勝てないようでは、本場所では戦えない。これと同じことだ。そのためには、苦手な季題についても勉強することが大切だ。
本部例会では、その日の兼題について時間を掛けて説明をしている。今回は「日永」と「草餅」であったが、素晴らしい俳句が発表された。講評で私は、日永と遅日との違いや、草餅・蕨餅・鶯餅・桜餅・椿餅という、餅に関する4月の季題の詠み方などについてお話しをした。
新体制下での本部例会は、誰でも自由に参加できる勉強会として位置づけられている。ベテランの皆さんの胸を借るつもりで挑戦しに来て頂きたい。折角の勉強の場である。年一回でも良いから、遠方の方も参加して欲しい。
心地良き疲れ日永の鍬洗ふ 伸一路
九年母会には全国各地に支部がある。相撲界で言えば、親方が運営し弟子を育てている相撲部屋である。相撲取りは、各自が所属する相撲部屋で血の滲むような猛稽古に明け暮れる。そして初場所や大阪場所など年6回の本場所で、その稽古の成果を問うのである。この本場所に当たるのが、九年母会では本部例会である。
本部例会では兼題で詠む。当季雑詠の句会もあるが、これでは自分の好きな季題ばかり詠む事になる。国語の好きな子は国語ばかり勉強する。理科が好きな子は理科ばかりを学ぶ。これでは偏った学力になってしまう。押し出しが好きだからと言って、これでしか勝てないようでは、本場所では戦えない。これと同じことだ。そのためには、苦手な季題についても勉強することが大切だ。
本部例会では、その日の兼題について時間を掛けて説明をしている。今回は「日永」と「草餅」であったが、素晴らしい俳句が発表された。講評で私は、日永と遅日との違いや、草餅・蕨餅・鶯餅・桜餅・椿餅という、餅に関する4月の季題の詠み方などについてお話しをした。
新体制下での本部例会は、誰でも自由に参加できる勉強会として位置づけられている。ベテランの皆さんの胸を借るつもりで挑戦しに来て頂きたい。折角の勉強の場である。年一回でも良いから、遠方の方も参加して欲しい。
心地良き疲れ日永の鍬洗ふ 伸一路
2016年3月31日木曜日
浪速の春
大阪支部創立70周年記念の祝賀会にお招き頂いたので、久し振りに大阪都心部へと出かけた。先日の住吉大社の献詠俳句選者会では、JR大阪駅で環状線に乗り換え、新今宮駅で南海線に乗り換えた。つまり周囲を回っただけだったが、今回は久し振りに大阪駅から御堂筋線の「なんば」まで地下鉄に乗った。
会場は、なんば駅から歩いて10分程。かなり時間の余裕があったので、途中の道頓堀川に下りて、川岸を歩き、浪速の春を探した。嘗て播水先生がそうされたように、じっと佇んで春の気配を探った。先生は、気に入った場所が有ればそこにじっと佇まれた。2時間も同じところに居られたと、聞いたことが有る。
道頓堀川は波もなく穏やかで、春の光を返して煌めいていた。いつものように目を瞑って耳を澄ます。探鳥会で鍛えた聴力を研ぎ澄ます術である。すると、街騒の中から、船の水音が聞えて来た。曳舟が一艘、東の方から近づいて来て、前を通って西の方へ去って行った。艀は曳いてらず、軽いエンジンの音と水音が前を通った時に、こんな句が出来た。
曳舟の水音とんぼり川のどか 伸一路
余談であるが、大阪人の音感の素晴らしさは、「上本町6丁目」を「うえろく」、谷町9丁目を「たにきゅう」と呼びならわすことにも現れている。道頓堀も「とんぼり」となる。「ロイホ」「スタバ」「ファミマ」「ミスド」などにも音感の良さが感じられる。多分、大阪人の発明した言葉だろう。
道頓堀川のどか、では句が硬くなるので「とんぼり」としてみた。すると「のどか」という季題とうまい具合に響き合う感じがした。但し、「とんぼり川」と言う言葉が読者に分かって貰えるかどうか、再考の余地ありである。
次々とやって来る小船。浪速の春は水音から来るのかも知れない。
会場は、なんば駅から歩いて10分程。かなり時間の余裕があったので、途中の道頓堀川に下りて、川岸を歩き、浪速の春を探した。嘗て播水先生がそうされたように、じっと佇んで春の気配を探った。先生は、気に入った場所が有ればそこにじっと佇まれた。2時間も同じところに居られたと、聞いたことが有る。
道頓堀川は波もなく穏やかで、春の光を返して煌めいていた。いつものように目を瞑って耳を澄ます。探鳥会で鍛えた聴力を研ぎ澄ます術である。すると、街騒の中から、船の水音が聞えて来た。曳舟が一艘、東の方から近づいて来て、前を通って西の方へ去って行った。艀は曳いてらず、軽いエンジンの音と水音が前を通った時に、こんな句が出来た。
曳舟の水音とんぼり川のどか 伸一路
余談であるが、大阪人の音感の素晴らしさは、「上本町6丁目」を「うえろく」、谷町9丁目を「たにきゅう」と呼びならわすことにも現れている。道頓堀も「とんぼり」となる。「ロイホ」「スタバ」「ファミマ」「ミスド」などにも音感の良さが感じられる。多分、大阪人の発明した言葉だろう。
道頓堀川のどか、では句が硬くなるので「とんぼり」としてみた。すると「のどか」という季題とうまい具合に響き合う感じがした。但し、「とんぼり川」と言う言葉が読者に分かって貰えるかどうか、再考の余地ありである。
次々とやって来る小船。浪速の春は水音から来るのかも知れない。
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