2015年9月21日月曜日

吟行の成績

昨日は、九年母会の本部吟行が奈良市であり、朝8時過ぎの阪神電車で出かけた。最近では、近鉄電車が阪神の神戸三宮駅まで乗り入れ、近鉄奈良駅まで約90分で運んでくれる。従来はJR大阪駅まで行って、大和路快速に乗り換えるか、近鉄上本町から奈良行きに乗っていたので、随分楽になった。芦屋から乗っても比較的空いており、隅の方で90分間、選をしたり原稿を書いたりできるので助かる。

到着後、私は子規の庭と元興寺を中心に吟行した。昼食の後1時30分締め切りで句会が始まった。披講を聞いていると、子規の庭の句が多かった。逆に、飛火野やその他の名勝を詠んだ句は少なかった。子規の庭が俳枕になって来ているのだろう。柿と子規とを結び付けた句や、子規の療養生活を詠んだ句も多かった。この様な詠み口も悪い事ではないが、私の選ではこの様な句はあまり頂かなかった。逆に、写生に徹しようとする姿勢の伺える句を頂く様に心掛けた。何故か。吟行は写生の修行の場であるからだ。

結果的に、私と同行された作者の句が沢山入選した。意図した訳ではない。上記の方針に沿った選の結果がこうなっただけである。なぜこうなったのか考えてみよう。子規が泊った宿が嘗てここに有った。その宿で有名な、

       柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺      子規

という句が詠まれた。そのゆかりの庭に柿の木がある。とすれば、子規と柿とを結び付けて詠む事は自然の成り行きだろう。しかし、そこに理屈が入っていないか。説明になっていないか。子規だから柿だ、これは理屈以外の何物でもない。しかもすぐにネタ元がばれる詠み方だ。

子規の庭に吟行したから子規を詠まないといけない、柿を詠まないといけない、と思うのは一種の脅迫観念である。皆が詠むから自分も詠まなければと思う、それは集団ヒステリーの様なもの。子規の庭に吟行しても、心が打ち震える感動が無ければ詠まなくていいのだ。

そんなことに拘らず、奈良の秋の風景の一部として子規の庭を捉えることが、真の吟行なのではないだろうか。庭に咲く秋の七草や、秋の色に変わりゆく若草山の姿、秋天に聳える東大寺の大仏殿など、古都奈良の秋を詠む句材は、子規の庭にも沢山有ったはずである。蟋蟀の声が面白ければそれを詠めばよい。理屈・説明・常識・知識、これらを捨て去ったところに詩が生まれ、俳句となるのだ。

      秋日和とは飛火野の空の色      伸一路

0 件のコメント:

コメントを投稿