2016年2月26日金曜日

一人称の文芸

俳句は一人称の文芸であると言われる。俳句の詠み方の原則は「いま・ここ・われ」であるとお話ししているが、俳句は「われ」の文芸なのである。ある句会で次の句が出された。

      口笛で真似る鶯登校児

この句は、登校児が口笛で鶯の鳴き声を真似ている、という情景を句にしたものである。句の意味は分かるが、作者は唯見ているだけである。情景の説明をしているだけの句である。それでどうしたのか、その情景を見てどう思ったのか、という肝心なところが描けていない。

確かに季節感は出ている。しかし季節感と写生だけで俳句が詠めたと思うのは、早計である。鶯が鳴いている。作者は、一つ真似してやろう、と思った。口笛で鳴き声を真似てみた。ここで初めて作者が登場する。一句の中に作者の役割が生まれた瞬間である。読者はこの句を読んで、面白い事をする人だ、愉快な人だと思うかもしれない。また、自分もやってみようと思う人があるかも知れない。この結果、一句を通じて、作者と読者との心の交流が生まれ、俳句となるのである。

口笛を吹いているのが児童のこととなると、他人事となる。われの事ではないのである。他人の事では、読者に与える印象が弱くなる。俳句は「われ」の文芸。われが何をして、何を見、何を聞いてどう思ったか。読者と感動を共有するためには、われを描くことである。

     傘を持つ持たずの思案春時雨       伸一路

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