2016年2月7日日曜日

福袋は季題か

先日、九年母の雑詠の選していて、ふと次の句に目が止まった。

      福袋中身交換し合ふ子等

そう言えば最近、福袋を季題として使った句をよく見かける。確かに、現代俳句協会編の歳時記「現代俳句歳時記」には、「初市」の傍題として、初売り・初荷・初商い・初糶り、そして今回のテーマである福袋が載っている。しかし、ホトトギス新歳時記にも角川合本歳時記にも、あの何でも載っているカラー図説日本大歳時記にも無い。

どうしたものかと思案していたら、テレビから「春節祭向けの福袋を沢山ご用意してお持ちしています」というコマーシャルが流れて来た。テレビショッピングでは福袋の宣伝が、季節を問わず流れている。これでは季題としては無理だ、と判断した。

季題として立てられていない季語を使う事は、必ずしも間違いではない。先日の九年母新年俳句大会でも、当日が阪神淡路大震災の21回目の記念日とあって、阪神忌という言葉を季の言葉として使った句が散見された。私は選に頂かなかったが、この言葉はこれから季題となる可能性を多分に含んでいると思う。しかし、福袋にそれだけの季節感が有るだろうか。

福袋は、箸紙や年玉、戎笹や吉兆のような、明らかに季節性の強い言葉とは違うと思う。商店が、商品の販売促進の一環として売り出すものであり、そこに季節感は無い。色々な線香を入れた、お盆の福袋だって有り得るのだ。句に季節感がなければ俳句ではない。句であっても俳句とは言わない。敢えて言うならば、短歌の上の句であろうか。

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