2018年5月3日木曜日

俳号について

 俳句の作者としてそこそこの実力が付いて来た際に、俳号を付けることがある。松尾芭蕉は、幼名を金作といい、藤堂家に奉公するに及んで宗房と名乗ったが、主人藤堂良忠(俳号:蟬吟)に仕えて連句の会に出入りする頃は桃青という俳号を使っていた。主人の夭折に伴い江戸へ出た桃青は、やがて俳諧の師匠として独立。芭蕉庵に居住する頃に芭蕉という号を使うようになったという。芭蕉の他に、風羅坊などの号がある。
 因みに、私の伸一路という俳号は、九年母同人で西宮俳句協会の会長であった古澤碧水に、碧櫻会という句会の設立の際に頂いたものであり、本名の伸市郎を若干デフォルメしたもの。姓とマッチしており、自分では気に入っている。但し、本名と俳号が似ているので、親戚から来る手紙ですら宛名が伸一郎となっていることも度々である。高濱虚子の本名は高濱清、山口誓子の本名は山口新比古(ちかひこ)。いずれも本名のデフォルメである事は有名だ。
 私が俳号をお世話した方は今までに4名。最近では笹尾清君に清一路という号を差し上げた。その他の方は、何かの大会の受賞の際に差し上げたもの。ビッグタイトルを手にされた時にである。ご本人にも良い記念になると思う。
 句会や俳句講座などで、ヨシコさんやカズヨさんなど、同じ名前の方が複数おられる場合もある。こんな場合、思い切って俳号を自分で作ってみるのも良い事だ。一度考えてみられたらと思っている。但し、自分の人格と作品を代表することになるので、良く考えて決めて欲しい。ヨシ坊やトシチャンのような、陳腐な号にはしないことだ。
 

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