2024年12月2日月曜日

随想~俳句の力

 「俳句界」誌から、来年2月号に掲載する随筆の依頼が来ております。締め切りは12月9日。テーマは「人生の苦悩と共に~俳句の力」。もうどんどん筆が進んでいます。

夜中の二時ごろ目が覚めると、あれも書こうこれも書こうと、構想が湧いてきます。このまま二度寝してしまうと構想を忘れる可能性があるので、がばっと起きてパソコンに向かいます。「俳句四季」誌の「レジェンド我が源流五十嵐播水」の三部作の時もそうでした。主治医の先生は体を冷やすから駄目だ、と止められるのです、2~3時間、机に向います。そしてある程度書き進んだら、再度横になります。

私は平成13年、53歳の時に悪性リンパ腫(血液の癌の一種)を発症し、さんざん苦しい思いをしました。しかし俳句のお陰で切り抜けることができたと、そんな内容の随筆にする予定です。楽しみにお待ちください。

2024年11月2日土曜日

100周年記念特集号の刊行

九年母」は大正13年10月20日に創刊号が発行されましたので,この10月号で100年となります。これを記念して11月号を記念特集号としました。と言いましても、主宰の私は雑誌社の原稿の執筆や各地の俳句大会の選に忙殺されていましたので、全て編集部の皆さんの手によって仕上げられました。今まで誰も成し遂げたことのない百周年の記念特集号を自分たちだけで完成させたのです。編集長以下編集部の皆さんに心から拍手を送り思います。

表紙の「九年母」という題字は、昭和22年に虚子にいただいたもので、今回はこれが金色の文字になりました。題字の色を変えたのは、恐らく100年間で初めての事。創刊当時の先輩方がご覧になったらびっくりされる、まさにサプライズであります。記念句や記念文章の発表、句碑の写真、会の歩みを語る年譜など、読み応えのある記事が満載されています。是非,隅から隅までお読みください。

併せて、俳句雑誌「俳句四季」の10月号から12月号まで3か月連続で、「レジェンド 我が源流五十嵐播水」という随筆を連載して頂いておりますので、こちらも併せて読んで頂いて、「九年母」の100年間の歩みを学んで頂ければと思います。 

2024年10月1日火曜日

播水を知る

 「九年母」の表紙をめくると播水の著書「句作随想」の一篇が掲載されています。裏表紙には「五十嵐播水集」から、毎月4句を選んで播水の自句自解を載せています。しかし「九年母」の会員も新旧交代が進み、播水を知らない人が増えて来ました。哲也前主宰すら知らない、新しい会員もおられます。

この度創刊百周年を迎えるに当たり、俳句総合雑誌「俳句四季」誌のご依頼で、同誌の10月号から12月号まで、3ヶ月連続で「レジェンド 私の源流 五十嵐播水」という随筆を毎回4頁にわたって載せることになり、既に10月号は発売されています。この機会に播水のことをもっと知って頂くために是非お読み頂きたいと思います。11月号には「今月のハイライト 九年母百周年」という記事も併せて掲載されますので、是非お読みいただければと思います。「俳句四季」は(株)東京四季出版から発行されています。

同誌では、かつて「九年母75周年」の随筆を播水が、「九年母80周年」を哲也が書きましたが、この度の「100周年」は、私の播水研究の集大成として原稿用紙50枚で書き上げました。「九年母」にとってこの100年とは何だったのか、播水が何故70年という長い間主宰を務められたのか、一緒に考えてみましょう。

2024年9月3日火曜日

伝統俳句協会の新体制について

 日本伝統俳句協会は、有記定型の伝統俳句を継承・普及させ、その精神を深め、文化向上に寄与することを目的として、昭和62年、故稲畑汀子先生により設立され、翌63年に社団法人としての認可が下りました。さらに平成24年に公益社団法人の認可を受け今日に至っています虚子の提唱された「花鳥諷詠」という作句理念をないがしろにする風潮に危機感を覚えた汀子先生の決断で、「花鳥諷詠」を守るために創立された俳句団体です。

当然のことながら、中心となって運営に当たって来られたのは汀子先生であり、その活動を支援してきたのが俳句結社「ホトトギス」とホトトギス系の俳句結社の会員です。沢山の俳人が協会の会員になり、九年母会も法人会員として加盟、私は協会の評議員を務めています。

関西には同協会の関西支部という名称の団体があり、支部長以下種々の組織があり、協会の下部組織として、俳句大会などの地域の活動を行っています。私は関西支部の監査役を務めています。山西前支部長の逝去に伴い、関西支部の組織が一新され、戸田祐一新支部長の下、新体制が9月1日からスタートしました。

先日新しい支部の会議に監査役として出席しましたが、各委員の発言も活発で的確、この体制ならばと期待できると感じました。汀子先生亡き後、俳句三協会統一の動きなど俳句界の一部に混乱が見られますが、関西支部は新しい体制の下、伝統俳句をしっかり守って行きたいものです。

2024年8月1日木曜日

随筆集の刊行

 今年ももう8月。早いものです。11月には九年母創刊100周年の祝賀会が待っています。ひとつひとつ問題を解決して、立派な祝賀会にしましょう。

生田神社に100周年記念の句碑が建立されました。建立基金を協賛していただいた会員に何か記念になる物を、と同人会からお話を頂きましたので、私が主宰に就任して以来九年母誌に掲載しました随筆の中から適当なものを選んで一冊の本にまとめることにしました。播水先生は在任70年間の間に10冊の随筆集を刊行されました。平均すると7年に1冊です。私は9年目にして第1号になります。

随筆集の名前は『漣月集』(れんげつしゅう)。琵琶湖の湖面の漣に映る月の影。私の祖父が大正から昭和の初めの頃に所属していました「漣月句会」から採ったものです。サイズは九年母誌と同じで、厚さは九年母誌2冊分。190頁ほどの手頃なサイズになる予定です。字も大きくして読みやすくしました。目下著者校正の最中です。楽しみにお待ちください。

今朝4時半頃窓を開けたら、蝉の声が全く無く、小鳥の声が聞こえていました。9時頃郵便局に行きましたら、近所の庭に桔梗が咲いていました。道には蝉の亡骸が幾つか落ちていました。日中は40度近い猛暑が続いていますが、季節は着実に秋に向かっています。7日は立秋。小さい秋を探してみましょう。

2024年6月1日土曜日

ペーロン吟行会

 5月26日の日曜日、本部吟行で相生市の恒例行事であるペーロン祭を訪れた。私は前日の姫路句会が終わった後、相生に移動してホテルに泊まり、翌朝九年母の皆さんと駅で合流し、吟行先の相生湾に向かった。徒歩で20分、初めて訪れた相生市の市街地や、川に泳ぐボラやチヌ、クラゲの様子を興味深く見物した。

会場に着くと屋台もたくさん出て大変な人出。ペーロン船の競漕も始まっていた。ところが、いつもの吟行と違って人出に圧倒されたのか、精神集中が出来なかった。船を詠めばよいのか、周りの新緑を詠めばよいのか焦点が定まらず、感動が掴めなかった。

句会が始まり、回覧された清記を見て、同行の他の人達も同じだったことが分かった。全体的に成績も振るわなかった。通常、本部例会、本部吟行とも入選率は平均して35%ほど。ところが今回のペーロン吟行の入選率は20%だった。

その原因は説明句が多かったことだ。詩を描くのではなく、ペーロンの説明をしてしまったのだ。詳しくは7月号の随筆でお話しする。当日の成績が振るわなかった方、落胆するには及ばない。観光としては楽しかったが、吟行には無理だったのだ。但し、これは吟行に行って初めて分かったこと。今後の参考になった。

俳句はじっくり腰を落ち着けて心を澄まして感動を探る文芸だ。陸上競技に詫び・寂びを見出すのは至難の業だ。スポーツを詠むのは難しい。しかし、楽しい思い出にはなった。

2024年5月6日月曜日

句碑建立

 4月21日の日曜日、神戸市中央区の生田神社の境内に、九年母誌創刊百周年記念の句碑が建立されました。午前11時、本殿に50名を超える会員と関係者が参集し、境内に句碑が新設される旨の祝詞が奏上されました。二人の巫女による神楽舞いが奉納された後、主宰が玉串を奉奠し本殿祭は終了。この後会場を句碑の前に移し、細かい春雨が降る中、神職によるお祓いに続いて主宰の長男と孫達により句碑を覆っていた白い幕が除かれ、記念句碑が呱々の声を挙げました。最後に主宰が謝辞を述べて除幕式の神事が無事終了しましたが、参加者は達成感と共に、大きな喜びに満たされました。

     (句碑の句)  初明り より万象の 始まれる   伸一路

境内には、新句碑と広庭を隔てた反対側の壇葛の上に、三代目主宰播水の句を刻した800号記念句碑と、四代目哲也の句を刻した1000号記念句碑が建っており、今回の百周年記念句碑は3基目になります。播水と加藤名誉宮司との間には深い交友関係があり、生田神社と九年母会とは強い絆に結ばれています。三宮の駅にも近く、会員の心の拠り所となると思います。

その後、各自食事をしてから中央区文化センターの句会場へと向かいました。句会参加者は45名。投句数225句。主宰の選には80句が入選。うち10句が特選、更にうち1句が特特選に選ばれ楽しいひと時を過ごしました。 

     句碑披く紐を濡らして春の雨  伸一路                       

  

2024年4月4日木曜日

独学の弊害

 参加できる句会が近くに無いということで一人で俳句を学んでおられる方は、九年母会全体でもかなりの数になる。 九年母誌だけを頼りに学んでおられる方も多い。しかし、独学では十分な勉強ができない。季題の解釈も独り合点や独り善がりになり易い。客観的に自分の作品を見ることができないので、良いのか悪いのかも分からない。従って進歩も遅くなる。

 俳句は古くから座の文芸と言われる。会員が一所に集まって(=会衆)、お互いの作品を発表し合い、選をし合って学ぶ。句会で回覧される清記を読むことによって、季題の解釈が広くなり深くなる。会衆の批評や意見を聞くことによって、新たな気付きが生まれる。この様に、会衆と一座することによって句作や選句の力が培われる。

 居住地域によってこの様な機会に恵まれない方も多いが、添削制度やネット句会などを活用すれば、ある程度改善できる。それに加えて、本部主催の句会や吟行に頑張って出てみるとか、九年母誌の句会報欄を参照して自宅の近くで開催される吟行会に飛び入り参加するなど、やる気があればチャンスは与えられる。

 俳句は座の文芸だということを忘れず、独学の弊に陥らないように考えていただきたい。

2024年3月2日土曜日

新人の獲得

 俳句結社の主宰の仕事で最も大切なことは何でしょう。優れた句を読むことでしょうか。雑詠の選をすることでしょうか。そうではありません。一番大切なことは、結社の経営です。会社の社長と同じで、結社という組織を発展させ、会員の福利の向上を図ることです。

ところが最近、俳句結社が相次いで解散、今月に入っても二つの結社誌の終了が報じられています。一番の原因は会員の減少だと思います。少子高齢化が急速に進行し、どの結社でも高齢者の退会が悩みの種です。会員の減少は即ち会費の減少であり、経済基盤が失われれば、結社誌の継続は不可能になります。当会でも、90歳以上の会員が約35名と高齢化が進んでおり、予断を許しません。

組織を維持するためには、一つには新しい句会を設けることです。一昨年の1月に加古川にて発足した笹子句会はその成功例であり、毎月のように新しい方が入会されています。当初8名で発足しましたが、20名にまで増えました。JRの新快速の停車駅毎に句会を置き、発展拡大させる、それが私の考え方です。二つ目は、既存の句会の会員を増強することです。各句会の会員が、それぞれ一人の新人を句会に紹介する。これで句会の会員数は倍になります。会員増強の意識を常に保持し、どうすれば会員を増やせるか、会員全員の問題として考えることが大切です。

汀子先生が居られない関西の俳句界は、戦国乱世の様相を呈してくるでしょう。その中で九年母は、摂津・播磨・丹波・但馬・淡路・紀州を地盤として、土豪の如く強固な根を張って生き残りましょう。今までの100年がそうだったように、これからの100年もそうしましょう。皆様のご協力をお願いします。

2024年2月1日木曜日

俳句の信念

 今月の19日(月)に、俳句雑誌「俳句界」4月号の巻頭グラビア「俳句界NOW」の撮影とインタビューに、東京から取材に来られことになりました。私のような者が適任なのかどうか、大いに疑問がありますが、「九年母」の宣伝になることであれば、火の中でも水の底でも厭わず行くのが主宰の務め。何とかお役目を果たしたいと思っています。

グラビアのインタビューはこれで3度目。最初は「俳句界」、2度目は「俳句四季」でした。何を話そうかと、本ホームページに動画がセットされている「俳句界」のインタビューを再度見てみました。そして私の俳句に対する考え方が、主宰に就任した8年前と全く変わっていないことが確認できました。曰く「俳句は詩である」、曰く「自分の感動を季題を通じて読者に伝え、共感を得て初めて俳句という文学が成立する」、などなど、今聞いても何ら変わりません。インタビューに対する受け答えは、句会でお話ししていることで良いと確信しました。

折角の機会です、是非参考にお読みください。

2024年1月1日月曜日

年頭に当たって

 新年のご挨拶を書き終え、送信をしようとした刹那にグラグラと揺れました。すぐテレビのスイッチを入れましたら能登半島で大地震が起きたとのニュースが飛び込んできました。画面を見ている間にも何度も地震が発生し、大津波警報も発令されました。芦屋は震度3でした。

震度7,マグニチュードは7.6。阪神淡路大震災がマグニチュード7.3でしたからそれより強い地震です。テレビの画面では火が出ている様子も見え、心配です。ビルや家屋が倒れ、停電になった病院に怪我人が運び込まれているという状況は阪神淡路の時と同じです。一夜明けたら凄まじい被害が判明するのではと案じています。一刻も速く地震が収まり、被災者がゆっくり休めます様に、そして復興が順調に進みます様に祈るばかりです。

ところで、今日は元日。神戸の生田神社に家内と二人で初詣に行きました。4月には九年母創刊百周年記念の句碑が建立されますので、その工事の無事や記念祝賀会の成功をお祈りして来ました。句碑建立の窓口になって頂いている沢田権禰宜様に、初詣の参拝客でお忙しい中をお会い頂き、挨拶させて頂きました。これで句碑建立は無事安全、記念祝賀会は大入り満員間違いなし。

創刊百周年記念事業が本格的に始まります。百年前の創刊号については、今月号の九年母誌に詳しく書いておきましたので、是非ご一読下さい。

今年が皆様に取りまして幸せな年であります様にお祈りします。