2015年10月19日月曜日

地震の記憶

昨日は、淡路島の淡路市小倉に在る北淡震災記念公園を中心とした北淡地区を吟行した。地元の方も多数参加され、63名の大きな吟行となった。県立淡路島公園のハイウエイオアシスでは、素晴らしい秋晴れの下、句材に事欠くことが無く、存分に行く秋を惜しんだ。

問題は震災公園であった。公園には、阪神淡路大震災を引き起こした断層を保存・展示してある野島断層保存館や、断層の真上に有った民家を震災発生当時のままに保存してあるメモリアルハウス等の施設がある。駐車場には全国各地からの観光バスが止まり、沢山の方が熱心に震災の状況に見入っておられた。

ところがその保存館に入った途端、私はフラッシュバックに襲われた。フラッシュバックとは、過去の強烈な体験が脳裏に突然蘇ることである。私は、神戸市東灘区本山南町で地震に遭遇した。辛うじて命は助かったものの自宅マンションは全壊し、町内では60名の方が亡くなった。

当時勤務していた銀行の支店の周辺は焼け野が原。内部担当の副支店長として、水や食料の手配、マスコミの取材への対応、義援金の支払いや店舗内外の警備等、苦難の日々を経験した。交通手段が復旧するまでは、倒壊した家の屋根瓦を踏みながら、自宅から片道2時間掛けて自転車で通った。

そんな苦しい思い出が脳裏に浮かび、句を詠む事は出来なかった。否、そこに居ることすら辛かった。ましてや、地震の揺れを体験することなど、とても出来ることでは無かった。参加者の中には、同じ思いをされた方も有ったのではないかと思う。

公園内のセミナーハウスの会議室で句会が開かれた。震災に関する句が沢山投句されたが、私は殆ど採れなかった。辛くて採れないので、地震の句は避けて秋晴れの明るい句を選んで採った。平常心を保たなければ、と念じつつも目をつぶってしまう自分に負けてしまった。参加された皆さんには、申し訳ない事であった。

           刈萱の揺れて出迎へくれし旅      伸一路

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